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気高き盾と無垢な矛

先日、職場の50代の女性の先輩と、何気ないお喋りをしていた時のことだ。
普段すっぴんで過ごしているその先輩は、「私は肌が強いのよ〜」と笑う。
少しこんがりと日焼けしているけれど、肌にはパッと見で分かるツヤがあり、とても健康的で綺麗だ。
そんな先輩の口から、「化粧品って、実は石油から作られているのよ」という言葉が飛び出し、私は思わず小さく声を上げた。

「え、化粧って、顔に石油を塗って、石油で落としてるってことですか?」

自分は敏感肌だと分かっていたから、普段から肌に優しそうな自然派のものを選んで使っていた。
それなのに中身が石油だなんて。
原油のような真っ黒い液体を顔に塗るイメージが頭をよぎり、胸の奥がざわついた。けれど先輩の話を聞くうちに、私の拙い常識は、オセロの石がひっくり返るように鮮やかに、そして心地よい衝撃とともに新しい形へと書き換えられていった。

化粧品に使われているのは、技術の進歩で不純物を限界まで取り除いた、究極にピュアで透明な「鉱物油」という石油の仲間なのだという。
むしろ天然の植物オイルよりもアレルギーを起こしにくく、皮膚科の軟膏に使われるほど安全性が高い。お肌のためにと選んでいた自然派のものより、石油のほうが優しかったのだ。

考えてみれば、メイクをする私と、すっぴんの先輩、どちらの生き方にも一長一短がある。
メイクをするメリットは、毛穴や色ムラを隠して綺麗に見せ、大人のマナーや自信をくれること。さらに石油由来の成分が、紫外線や空気の汚れから肌を守る「気高き盾」になる。
しかしデメリットとして、毎日のクレンジングで肌をこすり、乾燥を招きやすいリスクを伴う。

一方で、すっぴんのメリットは、クレンジングによる摩擦や乾燥がないことだ。先輩のあの瑞々しいツヤ肌は、その賜物なのだろう。
ただデメリットとして、紫外線などの外部刺激をダイレクトに浴びてしまう。先輩のお顔が少しこんがり焼けているのもそのせいかもしれない。

すっぴんで街に出る勇気はない私には、やっぱり石油の「気高き盾」が必要だ。

しかし、あの日を境に、私の夜の洗面台のルーティンはガラリと変わることになった。

かつて私は、メイク残りが肌荒れに繋がるのを恐れるあまり、ジェルで洗った後にオイルで洗うという謎の「クレンジングの二度洗い」をしていた。
しかし、それは肌のうるおいを根こそぎ奪う、ただの自傷行為だったのだと今はよく分かる。

化学の世界には「似たもの同士はよく溶け合う」という大原則がある。
強力な石油の盾を打ち破るには、同じ仲間であるクレンジングオイルという「無垢な矛」をぶつけるのが、一番早くて、一番肌を傷つけない。

今夜も私は、乾いた手のひらにクレンジングオイルをたっぷりととり、二度洗いをせずに、そのまま顔の上へ滑らせていく。
外での戦いを終えた肌へ、そっと。
そして、一番の大仕事。手のひらにほんの数滴の水をなじませ、もう一度顔を優しくなでる。

すると、鏡の中の私の顔の上で、透明だったオイルがみるみるうちに白く、ミルク状へと変化していく。化学の言葉で「乳化」と呼ばれるこの現象。
あんなに頑固だった盾が、矛の優しさに触れてジュワリと水へ溶けていく魔法の瞬間だ。
鏡に映る自分の白い顔を見つめながら、私は心の中で小さく、けれど確かに感じている。今夜も私の顔の上で、実験が成功したという手応えを。

この白く濁ったサインを見届けてから、ぬるま湯で一気に洗い流す。
あれほど強固だった盾は、擦る必要すらなく、驚くほどすんなりと水と共に流れていった。

二度洗いをやめて、この「オイル一発+乳化」に変えてからというもの、あんなに怯えていたメイク残りは一切なくなった。
それどころか、お風呂上がりの肌が、いつもより驚くほどしっとりしている。自分の肌の油田を守り抜いたような、確かな実感がそこにはある。

石油を塗り、石油で落とす。
あの日の先輩との会話から始まった、私の新しい気づき。言葉の響きはワイルドだけれど、これほど私の敏感な肌に理にかなった美の営みは他にない。

先輩はメイクをしない生き方を選んでいるけれど、
「お化粧をしている人を見るのは好きなのよ。みんなそれぞれに素敵だし、綺麗だなって思うから」
と、私のメイクをいつも優しく肯定してくれる。

すっぴんでツヤツヤな先輩の足元にはまだまだ及ばないけれど、私は明日も、このお気に入りの「気高き盾」をまとって、ご機嫌に社会へ繰り出す予定だ。
もちろん、夜には完璧な化学実験が待っていると知っているから、何も怖くはない。
愛おしい石油の無垢な矛をそっと構えながら、私は洗面台の前で新しく生まれ変わった自分の肌に、そっと微笑んだ。

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