見出し画像

春なんて来なければいい

この町にも桜が咲いて、別れの季節はあっという間に終わった。あなたは上京して、わたしだけが取り残された。やることなんてないから病院の事務になったけど、すぐ辞めた。

この町の中心には、少しだけ大きな三階建ての駅があって、その近くには居酒屋とカラオケとパチンコがあった。

駅から細い道を入ったところに、古い四階建てのビルが立っている。ビルの隣にはラブホテルがあった。

わたしが働くコンカフェは、そのビルの三階にあった。前はカラオケのパーティールームだったらしい。壁紙もソファもそのままだった。

支給された制服は肩のところが少しほつれていた。キャストのみんなは、よく見るとメイクが少しずつ変だった。アイラインが長すぎたり、涙袋が白すぎたりしていた。わたしも、チークが濃すぎて、頬だけが変に赤かった。

どうやって生きていけばいいのか分からなくて、顔に色を足せば、すこしは何かがましになる気がしていた。ビルの地下にはキャバクラがあって、そこの女の子たちは「裏オプ」でおじさんたちから金を巻き上げていた。そういう勇気は、わたしには無かった。

はじめてのセックスを思い出す。弓道部の先輩だった。その一回きりになるという予感がして、実際その通りになった。先輩はきれいなひとで、同じくらいきれいな同い年の女の子をいつも横に連れていたけれど、女の子はさきに地元の国立大に受かって、先輩は浪人生となった。彼女は大学で新しい彼氏を見つけて、自暴自棄になった先輩は、手当たり次第の同級生や、元後輩にメッセージを送っていた。

それでもよかったから、一度だけ公園の公衆トイレでした。それでもよかったから。先輩は、名前を聞いたことのない東京の大学に受かって、上京していった。

コンカフェバイトをはじめて二ヶ月、見たことない種類の客が来た。

それまで来る男のひとはだいたい似ていた。眼鏡をかけている醜いひとか、眼鏡をかけていない醜いひとだった。でもそのひとは、眼鏡をかけていたけれどきれいだった。ドラマで、冴えない役をやっている男のひとが、どう見てもイケメンなときみたいだった。七月だったので、短パンを履いていた。白いふくらはぎに、薄くすね毛が生えていた。

彼は東京から来て、ここの医学部で一年生らしい。彼は早口で受験のことについて話していた。わたしにはそのほとんどが分からなかったけれど、彼は肌がきれいで、首が長かった。まるで東京のひとみたいだった。

彼と付き合ったのはそれから一ヶ月後だった。人生ではじめての彼氏だった。

最初のデートは駅から百メートルさきにあるGUで、服を買ったあとはドトールに入った。彼は無糖のアイスティーを飲んでいた。

わたしがさっき見繕ってあげた服をそのまま着た彼は、その四角型の眼鏡を除けばどこに出しても恥ずかしくない高身長イケメンだった(一週間後にはJINSで買った丸眼鏡が出来上がった)。涼しげなワイシャツからネックレスがのぞいて、いやに都会的な空気を放っていた。

そのまま彼とホテルに入った。彼ははじめてで、わたしもほとんど初めてのようなものだったから、ぎこちなかった。

醜い行為が終わったあと、わたしは漫画の真似をしてエモいセリフを言ってみた。そうすれば喜ばれるかなと思ったから。たしか浅野いにおか押見修造の何かに出てくるセリフのはずだった。彼はすこしどぎまぎしたらしくて、なにかを早口で言っていた。内容は特に聞こえなかったけど、イケメンだった。

彼の家に入り浸るようになった。暇さえあればセックスばかりしていた。彼は音楽を覚えてくれた。いままでアニソンと音ゲーソングしか入っていなかった彼のプレイリストはいつのまにか、大森靖子や、ハヌマーンや、神聖かまってちゃんで埋め尽くされるようになった。わたしが教えたたくさんの曲を聴いて、古着屋さんで服を買うようになった。髪を少しずつ伸ばし始めて、ハイライトを吸うようになった。

しあわせだった。彼がわたし色になっていく。ずっと、特別になりたかった。先輩の特別になれないくるしさを呑み込んで、自分を慰める必要はもうなかった。いまのわたしはあなたの特別で、あなたはわたしの特別だった。そのさらさらの髪も、綺麗に通った鼻も、鎖骨のあたりのほくろも、わたしのものだった。冬がやってきて、次の春がやってきた。

この一年でいちばん楽しかったのは、彼と冬の海に行ったことだった。靴を脱いで裸足を水につけてみるととても冷たくて、冷たさのなかで時が止まってくれたらいいのに、と思った。エモかった。溺れるナイフに出てくる菅田将暉と小松菜奈と違って、季節は冬で、冷たい水のなかでぜんぶをぶつけ合うことはなかったけど、わたしたちはふたりの体温を見失わないために手を繋いで、冷たい水に触れた足の裏が感覚を失っていくままに任せていた。わたしたちは一緒だった。

春が来た。暖かさのなかに時は進みはじめた。春は失う季節だった。彼は浮気した。あたらしく大学に入ってきた医学部の一年生だったらしい。インスタのDMの通知を切っていなかったから、すぐわかってしまった。

わたしだけの彼がわたしだけの彼ではなくなってしまった。春は失う季節だった。彼にぜんぶのお皿とかを投げつけた。わたしはあなたを特別にしてあげているのになぜあなたはわたしを特別にしてくれないんだろう。愛されているのは嘘だった?ほんとだったのかもしれないけど彼のそれはもう汚れていた。ひとしきり怒鳴ったあと、アプリで男を見つけてすることにした。

したときの動画を送ると彼はすぐ電話をかけてきた。彼は泣いていた。はじめて親鳥を見た雛鳥はこんなふうに着いてくるのかな、と思った。わたしのために苦しがっている彼はかわいくて、とりあえず許してあげることにした。

仲直りの日、彼の部屋で、きのこ帝国の『フェイクワールドワンダーランド』をふたりで聴いた日のことをいまでも思い出す。ほんとうは靖子ちゃんのライブに行く日だった。一泊二日で近くの政令指定都市に行って、それでわたしたちの神さまに会えるはずだったのに、彼のせいでなくなってしまった。それも悲しかった。わたしたちの大好きな曲。彼のBluetoothスピーカーから光のような音が流れていた。彼の嗚咽はずっと止まらなかった。世界に片時でも美しい瞬間があって、その一瞬はずっと留まるということはなくて、約束された終わりのなかに吸い込まれていくのをわたしはずっと眺めていた。

彼はそれから、浮気をしなくなった。スマホを監視しても証拠はひとつもなかった。ほんとうかは分からない。隠していただけかもしれない。ひとつ言えることとして、下手だったはずの彼はその頃からだんだん上手になっていった。

わたしは浮気をするようになった。マチアプでたくさんのイケメンを見つけて、たくさんした。彼を傷つければ傷つけるほど彼を愛することができるような気がしていたから。彼が泣けば泣くほど彼がまだわたしのものだと思えたから。
たしかに彼はそのたびに泣いてくれた。でも何度か繰り返すうちに、だんだん涙の量は少なくなっていって、だからもっと浮気した。

彼の髪はいつのまにかセンター分けになっていて、穴の空いたジーンズを穿いて、ジャラジャラとしたネックレスをつけるようになった。靴も黒と白の安いナイキだったのが、エアマックスになっていた。彼のプレイリストには大森靖子や、ハヌマーンや、神聖かまってちゃんのかわりに、よくわからないラップがだんだん増えていき、彼からはよく分からない甘ったるい匂いがするようになっていった。彼はいつのまにか学校に行かなくなっていた。わたしはコンカフェから、同じビルの地下一階にあるキャバクラに転籍した。そのころには化粧も上達して、自然な色を頬に差せるようになった。

ふたりの関係はもうおしまいだった。もうおしまいなのに、はなれるのがつらくていっしょにいた。ずっと痛くて悲しかったあの日々に戻りたくはなかった。彼はもうわたしのことがいらないはずなのに、わたしが無理やり引き留めていた。

その年の冬に、弓道部の先輩が帰省で戻ってきた。いままで彼からDMが来ても無視していたけれど、ふと会いたくなって、返事してみた。先輩とドライブに行くことにした。ほんとうは彼と、今度こそ靖子ちゃんのライブに行く日だったけど、出勤だからといって、ドタキャンした。

先輩のドライブは上手だった。先輩は東京でたくさんの人脈をつくっているらしい。わたしも知っているような芸能事務所の社長とのツーショットを見せてくれた。たくさんのひとに囲まれて楽しげな笑顔を浮かべていた。先輩の車のBGMからは、TikTokで何度か聴いたことがあるような、よくわからない曲がずっと流れていた。

あの冬、彼と電車で一緒に来た海岸線を車で通りすぎて、先輩は山のほうへハンドルを切った。わたしは窓の向こうの長い長い海岸線をぼぅっと眺めていた。冬のうみはあの時と違ってぜんぜんきらきらしていなくて、荒々しい波がコンクリートブロックに打ち付けるだけだった。先輩は軽薄そうに肩に手を回して撫で付けてきた。振り払う気も起きなかった。そのまま車は山の中腹のラブホテルに着いた。
先輩は
「一度来てみたかったんだよなぁ、知ってる?最近の東京だとレトロなラブホが人気なんだ。ここも口コミで紹介されてるんだよ」
なんて話していた。わたしは特に聞いてなかったけど、連れてこられて来たし、しょうがないのでした。ぜんぶが終わりだった。彼に別れを告げることにしよう、と思った。

町に戻って、彼の家に行こうとしたら彼はいなかった。ラインを開くと、「実家に帰ってる」と一通だけ入っていた。

それから数日して、「別れよう」とラインで言われた。単位取得の最低基準を下回って、退学になったらしい。春からは東京の実家に戻って、別の進路を考えるらしい。

さいごに一度だけ、ぜんぶの荷物を引き払う日に会おうと言われた。少し悩んだ。彼への未練でおかしくなってしまいそうだったから。それでも彼のことがだいすきだったし、別れを告げるために会うことにした。

当日になっても彼は来なかった。待ち合わせ場所の駅は相変わらず寂れていて何もなかった。スマホに目を落としても連絡は入ってなくて、帰ろうとしたら何日かぶりだね、と声をかけられた。

彼かと思った。彼は頭がよくて、いつ会ったかを全部覚えているから、会うたびに「◯日ぶりだね」と言ってくれて、そういうところも好きだった。何日かぶり、なんてことは言わないはずだった。怪訝におもって顔を上げると先輩だった。彼が来ないので先輩とGUに行って、GUのあとはドトールに入った。

カバンからはずっとスマホの振動音がしているけど、癪だったからずっと無視していた。先輩と、キャバクラの隣のラブホテルに入った。見知った光景。ルームカードの取り方も、どの部屋が安いかもぜんぶ知っている。想い出の場所で、仕事場で、最低の場所。わたしのずっといる場所。

醜い行為が終わったあとスマホを見ると、彼からの着信がたくさん入っていた。親が部屋の片付けに一緒に来た関係で30分遅刻してしまったらしい。わたしが先輩とどこかに行ってしまったことで途方にくれた彼は、ずっとメッセージを送ってきていた。最初は居場所を確認するだけだったのに、だんだん内容は変わっていって、さいごは呪いみたいになっていた。さいごのメッセージは30分前だった。「いままでありがとう」

わたしは涙が止まらなくなって、とめどなくずっと泣いていた。先輩は特に事情がわからず、何か悪いことをしてしまったかな、と困り気な顔で後ろからわたしを抱きしめてくれた。

わたしは泣きながら先輩に「先輩も東京に帰っちゃうんですか?」と聞いた。

先輩は面食らったような表情を一瞬浮かべたけど、すぐに困ったように笑って、「まあ、明後日には」と言った。それから少し考えて、「でも、また帰ってくるよ。地元だし」と言った。

先輩の腕の中で、わたしは何度も息を吸った。シャンプーと煙草と、車の芳香剤みたいな匂いがした。彼の匂いではなかった。

春なんて来なければいい、と思った。

この町にも桜が咲いて、別れの季節はあっという間に終わった。あなたは東京へ戻って、わたしだけが取り残された。やることなんてないから病院の事務になったけど、すぐ辞めた。

いいなと思ったら応援しよう!