映画『終点のあの子』鑑賞

いやーー!久しぶりに暗めの映画見ましたね!胸糞映画とは全然違うけれど、結果を一言で言うと登場人物全員に「ズルいなお前ら!」って思いました。
主人公含めメインの子が4人に対して、4人ともズルいな!!って感じですね。
女の子特有のズルさでもありつつ、一個人のズルさとも捉えることのできる、そういう子いるよねって思うズルさでした。


ここからはネタバレ、本編の話になります。

私がはっきりとズルいなと思ったのは3年後の奈津子(モリちゃん)が電話で謝ったところかな。
その前に恭子も謝ってるだけど、それも「なんじゃこりゃズルっ」って思ったのですが、奈津子が謝った瞬間に4人がズルいことが確定して「みーーんなズル!!」って思いましたね。

結局希代子も朱里もズルいです。朱里の日記を見てもそれに向き合わずに、恭子のことを半分利用するかのように自分の鬱憤を晴らすわけですし。
じゃあ朱里は本当に可哀想なのか?っていうと希代子に日記のある部屋をすんなり入れたのは甘くない?って話なので。
希代子は「見ていい?」って聞いてたけど、あれは希代子が元々自己判断のできないことが多い子だから言ったし、じゃあ希代子も見たことをなかったことにしたらいいのにそれをそうすることはできないんですよね。それが彼女らですから。
朱里ってあれは見ないでねとかそういうことを発することを考えてない人間ではあるし、自由すぎるを体現してる人だけど、それとこれとは別だから結局朱里もずるいんですよ。見られたくないのであれば管理しなよって話です。


んで希代子のズルさは奈津子の言うズルさ。やっぱあれはズルい。普通にズルい。そんな世間甘くないですよってことをわかってない。
チヤホヤされたいし、甘やかされたいから大学生になって言葉巧みそうな年上の先輩と付き合うんだろうな〜って思う。可哀想だけど、やっぱズルい。

でも希代子ってそもそも恭子と同じような素質の人間だと思ってて。というのも「きよこ」「きょうこ」って発音やひらがなにした字面はめちゃくちゃ似てて。似てる2人なんだよというのがここで現れてる気がしました。
きっと育った環境が違っただけで、きっと希代子も嫌だと思った人間に嫌な攻撃するタイプの人だと思う。実際に朱里に攻撃しましたし。そして、3年後の希代子の方が愛犬のことをブログに書く主婦になりそうな性格してそうだったと個人的には思いました。


恭子は言わずもがなズルい人よね。この作品で1番ズルいことがわかる人。どちらかと言えば性格の悪い人のズルさ。他の人たちって自由なズルさや可哀想なズルさで。恭子は自分の思い通りにしたいだけのズルさ。
希代子をタチバナさんから希代子ちゃん、希代子、きょんって呼びつつ最終的にタチバナさんに戻る怖さ。
怖いズルさ、言わずもがなズルいんだけど、怖い印象強くてズルいことを忘れかける。でも間違いなく恭子もズルい。


奈津子も圧倒的ズルさがある。奈津子のズルいところって、自分のズルさをズルくないように振る舞うところ。
最初はむしろ自分から希代子を遠ざけてたのに、希代子が遠ざかって自分のところに戻ってきたらズルいとか言えるし、そう言える自分が正しい・可哀想って思っているのが見えてズルい。しかも本編にはないけど、裁判も奈津子が仕掛けていったみたいだし、そのことを3年後に電話で泣きながら謝ってるのもズルい。それでチャラにされるとでも?って。

そもそも恭子も奈津子も3年後に謝って泣くってなんなんだろう?って。あれは高校1年生の話だから、3年後って言っても大学1年生だし、2年間高校にいた間も結局謝らなくて、普段会うことがなくなったからやっと謝れるなら、ずっと嫌悪感を抱かせろよって話ですよ。


そして、瑠璃子さんも母親もなんというか「ズルっ!」な性格してたましたね。

母親も希代子がいじめの主犯格みたいなのしてたときにゆったりと「反省はしなきゃだめよねー」って希代子の髪を手入れしながら言うわけですよ。
親としてはやったことを強い口調で言わなかったとしても、向き合って話すべきことなのに、どこか他人事のようで。逆にこの窮地に追い込まれた希代子を守る言葉もないわけです。
結局こうしてゆったりと育てたから希代子は自分で判断できない子になっていったんだろうなと。希代子のことを可哀想に映らせる要素がこの母親にもありましたね。

個人的に作品の中で1番嫌なズルさを感じたのは瑠璃子さん。
瑠璃子さんの嫌なところは絶対希代子と朱里の雰囲気を察してるはずなのに、自分の気持ち優先して希代子に「朱里ちゃんは?」みたいな話を平気でするところですね
瑠璃子さんって結構重要登場人物っぽく感じてて。瑠璃子さんもやっぱ美大院生でどこか自由っぽく描かれてるんですよね。
この作品ってビビットな青を貴重として描かれてて。青を自由として表現してるのね。朱里を自由の象徴とするのに、入学式のワンピースを青にしたりするし、瑠璃子さんのネイルは3年経っても青なんですよ。あと朱里は名前に赤が入ってて、自由だけどきっとどこか自由じゃないというか、言葉では表現し難いけど、朱里はずっと青い要素で描かれるのに名前に赤が入ってるのって皮肉みたいだな、と。
でも瑠璃子さんは名前も瑠璃色の瑠璃子で瑠璃色って調べてもらうとわかるんですけど青なんですよ。それも結構深みのある青。それが名前にもネイルにも常にあるって、この人が1番自由奔放なんだろうなと。
朱里も瑠璃子さんを慕ってたはずなんだけど、瑠璃子さんが結婚することに嫌気を感じてるのが、なんかこう、同じような自由な人だと思ってたけど、違ったから連絡先も消したんだろうな〜とか。


ちなみに青を大切に扱ってるから、朱里以外の登場人物は青を着ないんですよ。しかもやっと希代子が着る青がジージャンというのが世に言う解釈一致で「そう来たか!!」と1人でテンション上がりました。
マリーアントワネットカフェをするときのドレスも濃い水色のような(それは青では?)エメラルドグリーンを濃くしたようなドレスはあるんですけど、結局青らしい青はないんですよね。そもそもあの時代のヨーロッパは青が高貴な色なので、はっきりとしたビビットな青はないんですよね。それがより朱里の登場を引き立てていて私はお気に入りでした。

中世?ヨーロッパと青の関係って結構面白いというのは知ってるので、もう少し知りたいです。
以前知人から“真珠の耳飾りの少女”はどうして有名なのかというのに様々な理由はもちろんあるのだが、そのうちのひとつに「あの時代の青い絵の具は高価で画家にとってものすごく貴重なのに、それをふんだんに使っているから」というのを聞いたのがすごく印象的でした。だからもっと勉強したいですね。(おそらく諸説有り)



話は変わって女性のメイン登場人物って朱里以外全員“子”って名前に付くんですよ。そこが朱里だけの特別感があって気味悪くて良かったです。
原作のある作品だから、柚木先生が意図的に付けた名前だろうとも考えます。でも青は文章で視覚的に表しにくそうだからそこも気になります。映画で青を大事にしていこうと思ったのか。


あと、私は藤本洸大くんをスクリーンで観たくてこの映画を観に行きました。
洸大くんの役もなんか嫌でした!役がです!!洸大くんは一緒にいてた人たちにタメだけど、一緒にいてた人たちは希代子にはタメで洸大くんには敬語だったじゃないですか。てことは、洸大くんは先輩なわけで。女子校出身の後輩に手を出して飲みに連れて回る先輩、嫌!!ってなりました。
私は大学生をしてないので、偏見ですけども…。
でも、洸大くんが今まで出演した映画を映画館で拝見したこともあるのですが、それははっきりと記憶にはなく…きっちりとこの目で気に留めて【藤本洸大】という名をクレジットで見れたのは大変良かったです。
映画のクレジットってやっぱりドラマと違った特別感がありますよね。


この作品を通して、希代子の自分で選択できない子、そしてそれが裏目に出てしまうという恐ろしさを感じることができました。
この姑息な雰囲気は女の子特有のものっちゃものだけど、卓也や洸大くんの役もどこか嫌なやつみたいな雰囲気があって。結局みんながズルいことへ嫌悪感があってよかったです。
洸大くんを好きな上で大切な作品にはなったのですが、もう一度観るには勇気がいる作品です。が、私の人生でもう一度くらいは会いたい作品だとも思いました。

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