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ウエイトリフティングを広めたい! by佐藤陽太郎

はじめまして
女川町スポーツ協会所属地域おこし協力隊 佐藤 陽太郎 です。

地域おこし協力隊には珍しい、女川町出身の隊員です。
簡単に自己紹介をすると、自分は女川町で生まれ育ち、女川小学校を卒業した後に、中学受験をして仙台の東北学院中高に入学します。

小学校3年生から父と兄の影響を受け、柔道を高校卒業までやっていました。
柔道を始める前の自分は体も弱く、気持ちも強くありませんでした。
当時小学生の自分は、何事にも秀でず、特徴のない弱い自分にふがいなさを感じ、ある時テレビで放送していたロンドン五輪の男子柔道競技を見て、
この人たちのように強くなりたいと思いました。

なんとなく、その時から自分は圧倒的な強さに強い執着と憧れを持つようになったと思います。

高校時代はコロナ渦の最中で、あまり柔道ができない中で出会ったのがウエイトリフティングでした。

初めて見たウエイトリフティング選手は、2020の東京五輪に出場していた山本俊樹選手でした。
当時、YOUTUBEでバックスクワット300kgを一番下までしゃがむフルボトムスクワットで立ち上がっている姿を見て、化け物だと思うと同時にここまで強くなってみたいと思いました。

バックスクワット300kg

その時から、自分は柔道の練習よりも筋トレに力を入れていきました。
何よりもスクワットをやりこみました。
当時高校三年生でバックスクワットベストは220kgでした。
脚のトレーニングをやるにつれ、同級生とは大きく力の差ができていきました。
1対1でやる綱引きのトレーニングが、部活であったのですが前なら苦戦していたはずなのに、ある時から余裕で勝てるようになっていたのです。

スクワットをやりこんだことにより、高校三年生の時は県大会の決勝で負けるまでは一度も投げられたことがありませんでした。

そして、高校三年間をかけた柔道では最後の総体で決勝で負けてしまいましたが、当時一番強かった同級生とやれたので悔いはなかったです。

そこで柔道は引退したのですが、今まで本気でやってきたものをいざやめるとなると心の空虚感は否めませんでした。

まるで心の中にぽっかり穴が開いたようでした。

その穴を埋めるというわけではないですが、また本気になれるものはないだろうかと模索した結果
『そうだ、ウエイトリフティングをやろう!』
となりました。

当時の自分にとってこれ以上ない救いでした。

ですが、ここからがなかなか険しい道でした。

ウエイトリフティングというスポーツは競技特性上、重量物を落下させるためそれなりに限られた条件の場所でしかできないのです。

なので、宮城県にはウエイトリフティング場は部活のある学校にしか基本ありませんでした。

ここで当時の自分は葛藤します。
せっかくウエイトリフティングやりたいと思ったのに場所がない、、、

そこで、ネットで山本俊樹のPODCASTを聞いたときに山本選手はパワーリフティングという競技にも出たことがあるというのを聞きました。
そこで、パワーリフティングとは何だろうと思い、調べてみました。

パワーリフティングとは、スクワット、ベンチプレス、デットリフトの合計挙上重量を競う競技で、少しウエイトリフティングと似ているなと思いました(中身はかなり違うのですが笑)

そこで、当時パワーリフティングのジムであれば宮城県にはあるようだったので、ウエイトリフティングの強化にもつながりそうだしとりあえずやってみようと思い、利府のTHEZENCLUB K&Bジムに行きました。

そこからパワーリフティングは今まで継続していますが、ウエイトリフティングとの出会いが進学後のタイミングで起こりました。

高校卒業後、東北学院大学に進学しましたが、あまり周りに溶け込めず友達も全くできませんでした。
後から考えると、大学生が全員そうではないのは百も承知ですが、当時パワーリフティングに本気で向き合ってた自分は、周りの同級生が遊びやいわゆる大学生らしい生活があわなかったみたいです。
もっと競技や部活に本気の奴はいないのかと、葛藤していました。

自分で選んだ道ではありましたが、今まで部活や競技に心血を注ぎ、日々を過ごしていた自分には何とも物足りなく感じました。

そこで、ある時こんなにトレーニングが好きならトレーナーになりたいと思うようになりました。
同級生にトレーニング教えてといわれることもあったので、教える機会は何度もあったのですが、そのたびに友達ができなかった動きや重さを扱えるようになっていく進歩を見て、自分は心の底からうれしかった。
魂が震えるのを感じました。
職業にするなら、この仕事がいいと思うようになりました。

そう思ってからは、行動は早く大学を一年で中退し、仙台のトレーナーの専門学校に通い始めました。

最初は機能解剖学や、スポーツ外傷などでしたが、パーソナルトレーニングの指導実践の授業の時は一番身が入りました。
おそらくクラスでも、ストレングストレーニングにおいての指導の仕方は一番うまい自信がありました。

また、専門入学と同時にある授業でフリートレーニングの時間があり、当時パワーリフティングだけやっていた私は暇つぶしに、スナッチ(ウエイトリフティングの動作)の練習をシャフトでしていました。

すると担当の先生から、ウエイトリフティングもやってるの?と聞かれました。
自分は、本当はウエイトリフティングやりたいんですけどできる場所がなかなかなくて今はパワーリフティングやってますと答えました。

すると先生の知り合いにご子息がウエイトリフティング選手の先生がいるからつなごうか?と言われました。

自分はついにチャンスが巡ってきた!と言わんばかりにお願いしました。

そこから、いろんな高校、大学に練習に行かせてもらいました。
専門学生時代はパワーリフティングとウエイトリフティング一色の生活でした。
授業が終われば、学校のトレーニングルームか、船岡まで行き大学か高校の練習に参加する。

パワーリフティングでは2024年に当時のジュニアスクワット日本記録を樹立
295kg
その後も現在宮城県記録となる300kg台を歴代最速かつ最年少で樹立

そんな日々でした。

ウエイトリフティングをしている時間は本当に幸せで、楽しいです。
日々できない動作ができるようになったり今まで挙がらなかったものが挙がるようになる成長が楽しいのと、やはりウエイトリフティングは動作が特殊なのでうまくはまると、今まで以上に軽く挙がるようになったりで、必ずしも重いものだけを扱う競技ではないのです。

常にフォームを探求していく醍醐味があります。

こんなに素晴らしいスポーツをやらないなんてもったいない!

とすら思います。

だからこそ、今女川町で働かせていただいてる身として今後いるかはわかりませんが、もしウエイトリフティングをやりたいとなった子供たちがいたとして、自分のような道を歩むのはハードルが高いと感じるので、この度、女川町総合体育館にウエイトリフティングの設備を揃えました。

これからこの町で育つ子供たちに、是非ウエイトリフティングという楽しくかつ素晴らしいスポーツを知って欲しい。

自分の根底にあるのはその思いです。
きれいごとかもしれませんがそれくらい自分はウエイトリフティングが好きです。
大学を辞めてまで歩んだ道に、出会うべくして出会ったこのスポーツを女川町で広めていくことに全力で取り組みたいと思います。

女川町スポーツ協会所属
地域おこし協力隊
佐藤 陽太郎


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