天才の育て方
っていうタイトルにしたら読んでもらえるかなぁ〜という邪な考えで
「天才の育て方」などというタイトルをつけてみたが、
私は天才の育て方を知らない。
だがしかし、うちの息子は天才だ。
次男のユウトは知能検査でIQが133あることが判明し、MENSA会員になったことで新聞にも取り上げてもらった。
(下書き段階では次男の名前は伏せていたけど、新聞にも実名で載っているので、そのまま名前で書いちゃえ〜!って名前出して書いてます)
町の広報誌にも載せていただき、彼の自己肯定感はかなり上がったように感じている。
町長室で町長から直々にサインをお願いされ、ユウトがおそらく人生で初めて書いたサイン色紙が郷ひろみの横に並んだときには、私の方が興奮した。

友人からは「どうやって育てたの?」と聞かれることも多い。
答えはいつも、「天才にしようと思って育ててない」の一択。
むしろ、「普通」に育って欲しいと思うことさえある。
「普通」って何?
という話は置いておいて、
もうすぐ10歳を迎えるユウトが、MENSAに入るまでの歩みを残しておきたい。
抱っこよりおんぶの乳児期
長男が2歳のときに産まれた次男・ユウト。
抱っこよりも、おんぶしてる時間が長かったかもしれない。
長男がまだまだ甘えたい盛りで、夜泣きも続いていたこともあり、
長男を抱っこしてユウトは抱っこ紐でおんぶ、というサンドイッチマンスタイルがこの時期の定番だった。
専業主婦だったので、長男が抱っこを必要としない時でも、ユウトをおんぶして家事をしていた。

ただひたすら抱っこして抱っこして抱っこして…という時間は、首がすわってからはほとんどなかった記憶。
おんぶが多かったことが、ユウトの発達に影響したかどうかはわからない。
でも、私が人生で一番おんぶした人間は、ユウトであることに間違いない。
保育園で留年しかける
最初に「ほかの子とは違うな」と感じたのは2歳を過ぎた頃。
そのとき通っていた認可外保育園で、
「ユウトさんは先生のお話が聞けないので、次年度も1歳児クラスにいてもらいます」と告げられた。
まさかの、保育園で留年である。

2歳児になっても1歳児クラスに通う予定だったユウトは、
待機中だった認可園への入園が決まり、しれっっっと転園して、2歳児クラスに入った。
「転園」という裏ワザを使って留年回避。
2歳児クラスから入った認可こども園は、とても素敵な環境で、
遠方から通う家庭もあるくらいめちゃくちゃ人気のある園だった。
先生方も発達に関する知識や理解が深く、
ユウトのためにとても良く関わってくれた。
しかし、ここでも
・先生の指示に従えない
・想定外のことが起きるとパニックになる
・登園しぶり
という事態が頻繁に起き、とくにパニックになった時が大変だった。
例えば、「今日は公園に行く」と決めていたのに、
雨が降ったり他に用事ができたりして行けなくなると、
何がなんでも「行く!!!!!」と言って暴れ出す。
一心不乱で大暴れ。
できない理由を伝えても、
妥協案や、ごますり案を提示しても、一切耳を貸さない。
「自分の要求が通るまで、テコでも動かないぞ」と言わんばかりに頑なに主張を繰り返す。
どうにか要求を満たしてあげられる場合ならまだ良いが、
「〇〇(売ってない物)が欲しい」とか、「△△(閉店中)に行きたい」、「××(壊れたオモチャ)を直して」など、
どう頑張っても実現不可能な要求された時にはもうお手上げ。
ただただ暴れるユウトを眺めていることしかできず、この時間が苦しかった。
保育士からも「今は身体が小さいから抱き上げられるけど、大きくなって力も強くなったら大変だよ」と言われ、この状況はどうにかせんとヤバい。
ということで「保育所等訪問支援」も受けさせてもらった。
こども園に巡回に来た心理士の人にユウトの様子を見てもらい、担任保育士との面談も定期的に行なっていた。
パニックがひどい時は、頭を床にガンガンと打ちつけたり、血が出るほど爪や指を噛むユウト。
母としてはそんな自傷行為を見るのが一番辛かった。
活きたマグロのように暴れるユウトを抱え、保育園に送り届ける日々。
大声で怒鳴ってしまい、虐待と通報されまいか心配したことも多々。
毎日が戦いで、毎朝が憂鬱だった。
担任の保育士に
「私たちは仕事として関わっているから、いくらでも付き合える。でも、お母さんはずっと関わり続けるしかないから、頼れるときに頼って」というような事を言われ、泣いた。
保育士には感謝しかない。
「子育ては一人ではできない」と、痛感する毎日だった。
特別支援学級へ
年長クラスになり、
小学校入学に向けて保育士と心理士との面談が何度か行われた。
ユウトの日頃の様子から、
「大人が丁寧に、手厚く関われる環境にしたほうが良い」という結論に至り、小学校は特別支援学級に入ることに。
私は「支援学級ね、了解で〜す!」という感じで軽く受け止めたが、
夫やママ友は「そんな…ユウトが支援学級…?普通級でも大丈夫じゃない?」と、戸惑っている様子だった。
あまりにも私が戸惑わなさすぎたのかもしれない。
保育士からも「受容が早いですね」というお褒めの言葉(?)をいただいた。
特別支援学級に入ることは、障害児であることとほぼ同意だ。
自分の子どもが障害児ですよと言われても平気な母親に見えていたのだろうか。
私は別に「理解のある母親ですよ」とアピールしたい訳でも、
「特別支援クラスに入ることがこの子のためになる」と確信していた訳でもない。
どうして、ユウトが特別支援学級に入ることを、私はこんなにもすんなりと受け入れられたのか。
振り返って考えてみると、
「障害児だろうが特別支援学級だろうが、ユウトはユウトだし。手厚くサポートしてもらえるなら、サポートしてもらった方が良い。なぜなら私の手には負えんから。」というのが大きな理由。
「私がこの子をなんとかしなくては」という責任感みたいなものが、
日々の目の前の嵐をやり過ごすことで薄れていたように思う。
いつのまにか、諦めにも近い「なんとかなるだろ」という無責任な楽観視が板についていたのだ。
とにかく、子育てにおいては「一人では抱えきれない。抱えてはいけない」という本能が働いていた。
「私だけでこの子を育てていたら、この子の成長を妨げてしまうかもしれない」という自虐的な考えもあった。
こども園でそうしてもらったように、
「専門知識のある方に関わってもらいたい」という想いも強かっただろう。
「特別支援学級に入って、途中から普通級に移るのは簡単。
でも、普通級に入ってから途中で特別支援学級に移るのは大変」
というアドバイスもあったので、
迷わず特別支援学級での入学を決めた。
自閉症スペクトラム症候群の診断を受ける
行政や関係各所へ
この子に支援が必要だという根拠を示すため
そして、卒園してからも長く付き合ってくれる相談先を確保するため、
こども園を卒園する頃に、児童精神科のあるクリニックを受診した。
そこで受けた診断が「自閉症スペクトラム症候群」だった。
そうだろうな、と予測はしていたものの、
改めて“診断書”として目の前に出されると、
「おお……」と、なんだか感慨深いものがあった。
3歳くらいの時、
おもちゃをひたすら一列に並べる独特の遊び方をするユウトの姿を見たお姑さんが
「自閉症だから早く病院に連れて行け」と言っていたのを思い出す。
お姑さん、お見事です。あなたの見立ては当たっていました。
ただ、「治る」かどうかはわかりません。
正直、診断をもらう前も、もらってからも、
ユウトが“障害児”という実感はない。
五体満足でお風呂もトイレも一人で行ける。
目も見えるし耳も聞こえる。
会話もできる。
パッと見ただけでは、障害があるように見えない。
これが発達障害の難しいところなのかもしれない。
診断名に入っている「スペクトラム」には、「グラデーション」という意味があるらしい。
同じ診断名でも、症状の特徴は様々で、境界線があいまい。
だから「治療法」なんてものはなくて、
その人その人に合わせた「対処法」や困らないための「予防策」を考えていくだけ。
「特性を考慮した“取扱説明書”を作るといいよ」というようなパンフレットも見たこともある。
ユウトの取扱説明書を作ろうか…と考えたこともあるが、
同じ対処法でもその日の気分やタイミングによって変わってくるので、
そこまで考慮して情報をまとめたり資料を作る気力も体力もなく、
「こういうときはだいたいこうなるよね〜」くらいの認識を夫と共有するくらいだった。
エジソンとか、アインシュタインとか、
歴史に名を残す偉人たちも実は発達障害だったという説もあるし。
この診断書は、特別支援を受けるための「資格」と捉えているので、
「病名を告げられた!」みたいなショックはなく、
とくに落ち込んだりもしなかった。

不登校の始まり
小学校に入り、長男と一緒に登校できるようになった!
と喜んだのも束の間。
入学して一ヶ月も経たない頃、
「教室にランドセルはあるんですが、ユウト君がいません…」と学校から連絡。
慌てて帰宅したら、玄関前に座り込むユウトを発見。
登校中にランドセルを捨て、Uターンして帰宅したらしい。
道端に捨てられたランドセルは、他の子が学校へ持って行ってくれた模様。
何故ランドセルを捨てたのか
何故いきなり帰宅したのか
聞いても答えてくれず。
真相は定かではないが、
「学校へ行きたくない」という気持ちだけは伝わってきた。
そして、1年生のGW明け頃から、
朝なかなか起きず、
起きても「行きたくない」を連呼。
学校へ行けない日が増えていった。
どんなに
「行ってくれなきゃ困る」
「学校は楽しいところだ」
と伝えたところで、
ユウトが進んで学校へ行くことはなかった。
それでも、機嫌が悪くならないように、
朝ごはんはユウトの好きな納豆や果物を用意して、
急かさず、なにも押し付けず、ほんわかと誘導するように身支度をすすめ、
家を出ることに成功し、学校へ送り込り届けられる日もあった。
学校へ行けないのは、本人のせいじゃない。
私の接し方次第だ。
だから、行けないことを責めてはいけない。
と、自分にいつも言い聞かせていた。

それでも、感情的に責めてしまうことがたくさんあった。
楽しみにしていた友達とのランチに、
家から出ないユウトのせいで行けなくなった時。
自分でも、こんなに怒りの感情を出せるのかと驚くほどに、
阿鼻叫喚、発狂した。
予約していた美容室を当日キャンセルしたり。
仕事の打ち合わせをリモートに変更してもらったり。
「楽しみにしていた予定が、自分のせいではない理由で出来なくなる」ということが、こんなにもストレスを感じるものなのかと身をもって知った。
ユウトが暴れるときも、こんな気持ちなのかな…
などと想いを馳せる余裕は当時の私にはなく、
ただただスケジュール通りに動けない日常にイライラしていた。
私のストレスが爆発したときは、
日本語になってない言語で怒鳴りながら、
頭がおかしくなってしまったかのように泣き暴れていた。
家族の誰も見たことがない、
強烈に怒り狂う私の姿を、
ユウトだけは見たことがある。
だんだん私も、無理やり学校へ連れて行くよりは休ませたほうがラクだというスタンスになり。
流れに身を任せ、
「行きたくない」と言われれば
「はい、そうですか」とすぐに休ませるようになった。
毎朝「どうする?」と聞き、
「行かない」と答えられ、
学校へ休みの連絡を入れる。
というモーニングルーティンが完成。
仕事の打ち合わせにも、
「子連れでも良いですか…?」と了承を得てユウトを連れていくこともしょっちゅうあった。
「学校に行かなくてもなんとかなる」という成功体験(?)を親子で積み重ね、1年生の後半には学校を休むことが当たり前みたいになっていた。
こうして、ユウトは不登校児になった。
不登校のままじゃいられない
ユウトが2年生に進級するタイミングで、
夫の実家に引っ越すことになった。
集合住宅に4人で住んでいた生活から、平屋一軒家に6人で住む生活へ。
ユウトは環境が変わることに対してテンションが上がるタイプ。
新年度のスタートは張り切って学校へ行っていた。
4月までは。
GW明け頃から登校しぶりが強くなり、
「行きたくない」と布団から出てこない。
不登校児ムーブ復活。
去年までと違うのが、家にいる大人が私だけではないということ。
自分以外の大人がいることで、私の負の感情にもストッパーがかかり、
以前のように発狂することは無く、冷静に対応できるようになった。
同居している義理の両親も、学校へ行かないユウトを心配して
色々と声をかけてくれた。
「ユウトが学校行かないと、お母さんお仕事できなくてお金なくなちゃうよ」と、わりと本気の脅しをかけてくれたこともある。
その甲斐あって、2年生の春〜夏くらいまでは
週に2〜3回は学校へ行けていた。
行き渋ってはいるものの、今までの様子から
いったん学校へ行ってしまえば、あとは楽しく過ごしているだろう。
と勝手に思っていたが、それは違った。
ある日、学校から電話があり
「ユウトくんが授業中に教室を抜け出してしまい…帰ろうとして校門から出ていくところを、たまたま先生が見つけて引き戻しました。」
という話を聞き、ランドセル捨ててUターン帰宅した過去がフラッシュバック。
本人にしかわからない、学校での居心地の悪さか何かがあったのかもしれない。
1年生の時にも似たようなことがあったことを伝え、
安全のために見守り要員(支援サポーター)をつけてもらえないかと学校へ相談した。
手続きの関係で年度内の配置は難しいことがわかり、次年度に配置してもらう流れでこの時の相談は終了。
夏までは週に2〜3回行けていたのが、
秋には月に2〜3回くらいの登校日数に減っていた。
「どうにかなるだろ」と思いつつ、
「どうにかしなきゃ」という思いも頭から離れない。
発達に関する書籍を読み漁ったり、
「ペアレントトレーニング」講座を受けたりした。
ユウトが将来自立して、社会生活を送れるようになってもらわなくては。
でないと私は私のために時間を使えない。
“ユウトのため”というよりは、“自分のため”の試行錯誤だった。
本人も自分が発達障害であると気付いてる様子で、
図書館で発達障害の本を借りて読んだりしていた。
お姑さんは社会福祉協議会で働いていることもあり、福祉関係の情報に明るい。「こんなところがあるよ」と、適応指導教室や児童デイを教えてくれた。
夫は県内のフリースクールの情報を集めてくれて、何ヶ所か見学に行った。
その中でユウトに“合っている”と感じた、自由な校風のオルタナティブスクールに通うことに。
情報通な家族のおかげで、学校以外に通える場所を見つけ、
2年生の冬には
月・火・金:フリースクール
水・木:小学校&児童デイ
という平日のスケジュールを組むことができた。
ユウトが入ったフリースクールの最大の魅力は「自由」なところだ。
一応のカリキュラムはあるが、強制はされない。
本人が「参加しない」と言えば、不参加が許される。
みんなが授業や集団活動をしている横で、
ユウトは本を読んだりPCでプログラミングをして過ごすことが多い。
フリースクールの先生からは「もうちょっと何かしてあげたい」と言われるほど、活動にぜんぜん参加していないようだが、
引きこもり予備軍だったので家から出ているだけでOKとしておきたい。
児童デイサービスにも、頭が上がらないほどお世話になっている。
先生方は特別支援のプロなので、声かけの仕方や関わり方が優しいし、成長を促してくれている感じがする。
本来、児童デイサービスは放課後からの預かりだが、
不登校ということで、特別にお昼前から利用させてもらっている。
本当にありがたい。
児童デイに行き渋る時期もあったが、
家に様子を見にきてくれたり、
ユウトのやりたいことを聞いて寄り添ってくれたり、
集団遊びにもうまく参加させてくれたりと、
「通えてよかった」と思うことばかりだ。
児童デイの先生は
「居心地の良い場所と思ってもらえるように、楽しいと思うことをやっていきます」と話していて、優しさ溢れんばかりの笑顔でいつも接してくれている。
人にあまり興味を持たないユウトも、
「〇〇さん(デイ職員)は、このゲームできるかな〜?」と友達感覚で仲良くなっている。
そんなわけで、
フリースクールに行ったり児童デイに行ったり、
時には私の仕事についてきたりと、外出の機会が多い、
明るい不登校児にユウトはなった。

癇癪とメガネ
私が発狂しなくなったからか、
ユウトが成長したのか、
義実家に引っ越してから、
癇癪を起こす回数はかなり減っていった。
ときどきキレて騒ぎ散らすことはあるが、
以前のように身体を傷つけるようなことは無くなった。
その代わり、物を投げたりメガネを壊したりしていた。
メガネは、1年で5〜6本壊した。
壊れたらすぐに買うも嫌だったので、壊れた部分をテープで止めるなど
自己流で修理した不恰好なメガネをしばらくつけさせることも。

見た目がちょっとアレだが、
耳にかける部分をマスクのゴム紐にしたときは、本人も付け心地が良かったようで、この状態のメガネをしばらく愛用していた。
夫作の改造メガネ。
お姑さんも「これは特許とった方がいい」とキテレツ大百科風のメガネをたいそう気に入っていた。

メガネメーカーさん、こういうメガネを作ってくれませんか。
試作はありますし、情報提供やモニターなど協力は惜しみませんので、
ぜひご検討の程よろしくお願いいたします。
知能検査で高IQが判明
3年生になり、
前年度お願いしていた見守り要員(支援サポーター)のための手続きを進めることに。
学校へ行く日がほとんどない中で人を付けて欲しいというのもなんだか気が引けたけど、道路への飛び出しなど安全面が心配だったので要望は出した。
手続きには、診断書などの書類提出のほかに、教育委員会での面談や発達検査が必要だった。
発達検査に関しては、保護者が回答する「S-M 社会生活能力検査」というものと、心理士のもとで本人が回答する「WISC-IV 知能検査」というものを受けた。
この「WISC-IV 知能検査」がいわゆるIQを測るもので、心理士とユウトだけで個室に1時間くらい篭り、どんな内容なのかは教えてもらえない。
検査から約一ヶ月後、結果説明の場が設けられた。
そこで知らされたのが「ユウトはとても IQが高い」という事だった。
平均得点が100の検査で
全検査(IQ):133
言語理解:129
知覚推理:132
ワーキングメモリー:123
処理速度:110
と、全ての項目で高得点。
所見では「学習面では困難を感じにくい」と書かれていた。
確かに、本をよく読んでいるから語彙力も豊富で、理解も早い。
3学年上の兄や大人とも対等に会話を楽しんでいるので、知能は高いだろう。
検査を担当してくれた心理士からは
「国によっては国家予算で教育を受けさせたり研究者として育てたりするレベルのIQです。お母さん、頑張って育ててね!」と応援された。
他の子が難しいと感じる問題も簡単に解けるようになるので、
難関校への進学も期待できますよ、とのこと。
「小学校もまともに行ってないのに、受験なんてできるんだろうか…」と不安しかないが、真っ直ぐに応援してくれる心理士さんの前では
「頑張ります!」としか言えなかった。
支援サポーターについては、
知能検査 → IQ低い → 支援が必要、で配置、という流れだったっぽく。
IQ高いことが判明したので、サポーターの話はうやむやになってしまった。
この頃には、数ヶ月に1回行くかどうかの登校頻度になっていたので、
必要性も感じず、サポーターの件は言及しないことにした。
MENSA会員とは
心理士に「頑張って育ててね!」と励まされてから、
私は悩んでいた。
どう頑張れば良いのか。
それこそ私が育てるよりも、専門機関とかで能力を伸ばしてもらった方が良いのでは…と考えていた。
天才の育て方なんて、知らんがな。
発達障害児を育ててるママ友はいるけれど、
高IQ児を育ててるママ友はいないので、情報交換ができない。
天才のことは、天才に聞くしかないねーな!と思い、
天才集団 “MENSA”について調べた。
これも、お姑さんがぽろっと「高IQといえば、メンサってのがあるよ〜」と教えてくれた情報である。持つべきものは、情報通のお姑さんだ。
MENSAについては、ぼんやりとたイメージしか持っていなくて、
「人類の危機がやってきた時は、政策や方針をこの人たちが決める国際的天才集団」という都市伝説を聞いてから、なんとなく怖いイメージがあった。
マークもなんか宗教っぽいし。(失礼)
調べてみると、全人口の内上位2%のIQ(知能指数)の持ち主であれば、誰でも入れる国際グループで、IQ130以上あれば条件を満たすそう。
人口の2%というと、とても希少に感じるが、
50人に1人というと、クラスに1人くらいはいる感じでそんなに珍しく感じないから不思議。
MENSAの目的は「高い知性を社会に役立てること、知性に関する研究を支援すること、そして会員同士が交流して知的な刺激を得られる環境を提供することの3点」とされており、とても健全。
特に「知性を社会に役立てる」と「交流」というワードに惹かれ、
ユウトにはMENSAに入ってもらうことにした。
未成年者の場合、知能指数を証明する書類があれば、試験を受けなくても入会が可能。さっそく申請書やら誓約書やらの書類を用意して送り、入会金やら年会費やらを支払って申し込んだ。
手続きをして数週間後、黒いMENSAの会員証が届いた。
限られた人間しか持てない特別なカードに、ユウトも興味津々。
会員証を手にしたユウトは「このカードで何か買える?」と聞いてきたが、クレジットカードじゃないので「買えない」。
「じゃあ何に使えるの?」と聞かれたが、
確かに、使いどころが思い浮かばない。
このカードは、MENSA会員であることを証明するものであって、
何かのために使うものではない、とだけ説明しておいた。
MENSAに入会させた私の目的は、
天才集団にユウトの進路相談をすることだ。
まずは、他のMENSA会員と交流したい。
MENSA会員の交流会が沖縄で開催されていないか日々チェックしていたが、交流会の開催はほとんどが関東か関西。
オンライン開催もあったが、基本的に会員しか参加できないので見送っていた。
新聞にでも載れば、MENSA側から見つけてもらえるかな、と思い
MENSA会員になったことを記事にしてもらった。
そうして、冒頭の記事が琉球新報に載り、
町の広報誌にも載った。
知人友人からは「新聞載ってたね〜!おめでとう!」と声をかけられ、
自分が有名人だと錯覚したユウトは調子に乗って
「テレビに出たい」と言いだした。
テレビの関係者さん、こういう子がいますがテレビに出してくれませんか。
フリースクールが取材された時に地元テレビでの出演経験はありますし、
情報提供など協力は惜しみませんので、
ぜひご検討の程よろしくお願いいたします。
ちなみに、テレビのなんの番組に出たいのか聞いたら、
「クイズ番組」「CMに出たい」だそう。
もうすぐ天才
9歳でMENSA会員になったユウトも、
もうすぐ10歳。
10歳。ten歳。天才。
現在、4年生になって3ヶ月が経つが、
ユウトが学校へ行ったのは日曜参観の1日だけ。
年々、不登校具合が進んでいる。
通常は学校で受ける健康診断の類も全く受けていないので、
私が歯医者や眼科に連れて行き、検査結果をもらい、学校に提出するという業務が発生しているなう。
児童デイサービスに通うために、役場に提出する書類も多々あり、
平日の昼間は仕事してない時間が長い。
私はもうフリーランス以外の仕事はできないだろう。
最近は「今日どうする?」のモーニングルーティンの中に、
「小学校行く?」の意味は含まれていない。
フリースクールに行くか、児童デイに行くかの確認がほとんどだ。
児童デイに行った時は、
凄腕職員さんの対応スキルで集団遊びに参加させてもらったり、
いろんな体験をさせてもらっているが、
フリースクールや自宅にいる時は、ほとんどの時間をパソコンでスクラッチ(プログラミング)や動画視聴に費やしている。
ユウトのスクラッチのアカウント名が「tomodatihosiiyo(ともだちほしいよ)」だと知った時は、なんとも切ない気持ちになった。
本当は、学校で友達と遊びたいんじゃないだろうか。
行かない日が続きすぎて、行きづらくなっているんじゃないだろうか。
いろいろ推し測ってみるけれど、
ユウトの気持ちはユウトにしかわからない。
教えてくれるのを待つしかない。
唐突に「学校いこっかな〜!」と言うこともあり、
いつか本当に進んで学校へ行く日が来るかもしれないと期待する。
なので、時々は「学校行ってみる?」と聞くようにしている。
質問の答えは、いまのところ100パーセント「NO」だけど。
行動心理学とかアドラー的には、
理由があってその行動をとってるのではなくて、
目的のためにその行動をとってるという。
これに当てはめて考えると、
何か嫌なことがあって学校へ行けないんじゃなくて、
行かないことで、読書やプログラミングやお絵描きなどの自分がやりたい事をして過ごすという、目的を果たしていることになる。
なので、ユウトの不登校を人に説明するときは
「学校が嫌っていうよりは、家にいて自由に過ごしたいんですよね〜」と言うようにしている。
学校はなにも悪くない。
賢いユウトのことだから、
何か目的ができたら学校に行くかもしれないし、行かないかもしれない。
ここまで読んでいただけたらご理解いただけるように、
ユウトは天才であると同時に、発達障害児で不登校児だ。
そして、かけがえのない、唯一無二の子。
ユウトの可愛いところや、ユーモアあって面白いところもたくさん書きたかったけど、この場では割愛させてもらった。
会える距離にいる人はぜひ、ユウト本人に会って、その魅力を感じてほしい。
そして、友達になってもらいたい。
もう一つご理解いただきたいのは、
母親である私には、確固たる教育方針もなければ、息子の癇癪を受け止める器の広さもないということ。
発狂しながら振り回されて、流されて、
諦めたり、あがいたり、悩んだり、
感情的になったり、理論的になったりしながら、
ただただユウトと自分の心身を守ってきただけ。
もうすぐ10歳。
10年、生きててくれて、ありがとう。
これからも、辛かったり、苦しかったり、
親のエゴに付き合わせることがあるかもしれないが、
どうか健やかに育ってほしい。
先日いきなり「老衰を目指す」と言っていたユウト。
ぜひとも長生きしてほしい。
絶対に、私より先に死んではいけない。
これからも可能な限り、ユウトを見守っていきたい。
【追記】
今回、このnoteを書くにあたって、ユウト本人にも了承を得た。
もうすぐ10歳という、しっかり自我がある状態で、母親が自分のことを文章にして公開するというのは、おそらく嫌だろう。
不可抗力で本人が知ってしまった時に、危険かもしれないと感じたからだ。
最初は「プラスなことだけ書くなら良い」という条件付きだったが、
「プラスもマイナスもない。今までの出来事を書くだけだから」という説得と、「お願い…」と懇願&泣き落としにかかり、「いいよ」の返事をもらった。優しい。
おそらく、本人にとっては「マイナス」であろう事ばかり書いてしまっているので、今後は「プラス」だけの記事も書いていきたいと思う。
