駐在員あるある|「あ、俺、日本に戻れないかも」と思った日
「あの伊藤さんですね」と言われた日
ベトナム駐在時代、日本出張のタイミングで、若手の飲み会に呼ばれたことがある。
当時の私は30代前半だった。年齢だけ見れば、まだ若手側に混ざっていてもおかしくない。だから、こちらとしては普通に若手の飲み会へ行く感覚だった。
ところが、行ってみると空気が妙におかしい。
まず、誰が誰なのか分からない。顔も分からない。名前も分からない。どの部署の若手なのかも分からない。向こうはこちらを知っているが、こちらは向こうを知らない。この時点で、軽く浦島太郎である。
仕方がないので、同じくらいの年齢に見える人たちの席に混ざった。そこで普通に飲んでいたら、見知らぬ若手が挨拶に来た。
「あの伊藤さんですよね。初めまして」
いや、待ってくれ。
「あの」って何だ。
私はそんな登場人物ではない。ただの駐在帰りの疲れた会社員である。こちらとしては、普通に飲み会に混ざりたいだけだった。
しかし、向こうから見ると、私は普通の若手枠ではなかった。
現地法人の駐在員なのに、地域全体の相談が来る
当時の私は、ベトナムの現地法人にいた。肩書きだけを見れば、ひとつの現地法人にいる駐在員である。
ただ、実際の仕事はそこだけに閉じていなかった。
それ以前に、ASEAN全体の調達まわりを見る仕事をしていた。各国の工場を回り、主力サプライヤーも見て、どの国で何が起きているのかを追いかけていた。現地法人にも毎月のように足を運び、現地スタッフとも話していた。
そうしているうちに、情報が自分のところに集まるようになった。
どの国の工場が何に困っているのか。どのサプライヤーが強いのか。どの案件が止まりそうなのか。日本本社は何を気にしていて、現地側は何に引っかかっているのか。
そういう話が、自分のところに来るようになった。
最初から偉かったわけではない。権限で動かしていたわけでもない。むしろ、統括側の仕事には明確な権限がないことも多い。だから、相談は基本的に断らなかった。
日本本社との調整。他国拠点との調整。サプライヤーとの橋渡し。設計や製造を巻き込む話。工場だけでは動かしづらい話。
拾えるものはなんでも拾っていた。
その後、ベトナムの現地法人に移ったことで、今度は情報だけでなく現場も持つことになった。工場があり、納期があり、品質問題があり、現地スタッフがいて、サプライヤーがいる。毎日、泥をかぶりながら物事を進める立場になった。
すると、日本本社からの見え方も変わる。
「ASEANの調達まわりは、とりあえずあの人に聞け」
少なくとも調達まわりでは、そういう存在になっていた。
自分がいた現地法人以外の相談も来た。別の国の拠点の話も来た。現地の製造や、日本側の設計部門を巻き込むような相談もあった。
冷静に考えると、少し変な流れである。
自分はベトナムの現地法人にいる駐在員なのに、ASEAN全体の話をしている。調達の人間なのに、製造や品質や設計の話にも入っている。担当者のようで、担当者の枠には収まっていない。
本社の若手から見ると、私はよく分からない存在になっていた。
年齢はそこまで離れていない。でも、話している相手は管理職や海外拠点の人たち。本社の若手社会にはいない。担当者の列にも、きれいには並んでいない。
結果として、
「あの伊藤さん」
になる。
いや、本人としては困る。
駐在員は、本社の若手ピラミッドから抜け落ちる
これは、自分だけの話ではない。
以前、別の海外駐在員と話したときも、同じようなことを言っていた。その人も、合計すれば5年以上は海外に出ている人だった。
日本本社の若手の人間関係が、もうほとんど分からないという。
誰がどこの若手なのか。誰が有望株なのか。誰と誰が近いのか。どの部署にどんな空気があるのか。そこが抜け落ちる。
一方で、管理職のことは分かる。海外拠点のスタッフとは仲がいい。現地側の事情もよく知っている。
でも、日本本社の若手の顔ぶれや距離感は分からない。だから本社の若手から見ると、自分はよく分からない存在になる。
その話を聞いて、これは自分だけではないと分かった。
駐在員は、海外にいるあいだに、日本本社の若手ピラミッドから少しずつ抜け落ちる。その一方で、管理職や海外拠点とは近くなる。
すると、変なねじれが起きる。
年齢的には若手に近い。でも、付き合っている相手は管理職や海外スタッフ。本社の若手から見ると、どの棚に入れればいいのか分からない。
同期なのか。先輩なのか。偉い人なのか。現地の人なのか。本社の人なのか。
なんかよく分からない。
会社の中に、急に海外から帰ってきた謎の生物がいる。
そういう見え方になる。
日本の流行も、社内の空気も抜け落ちる
会話も少しずつ合わなくなる。
日本で流行っている曲が分からない。テレビ番組が分からない。会社の中で少し前に話題になった出来事が分からない。社内の人間関係も、途中から更新されていない。
自分の中では、時間が飛んでいる。
特に、2012年から2017年末くらいまでの日本の流行は、かなり抜けている。紅白に誰が出ていたのか、どの曲が流行っていたのか、何が社会現象だったのか、全く頭にない。
だから今でも、たまにテレビで昔の曲を振り返る企画を見ると、その時期だけ妙に知らない。
息子と一緒に、
「へぇ、これ流行ってたんだ」
みたいな顔で見ている。
いや、親子で初見みたいな顔をするな。
お前は知らなくて当然だが、私は本来知っている世代のはずである。でも、本当に知らない。
日本にいなかった数年間は、ただ物理的に日本から離れていただけではない。日本の空気からも離れていた。日本の会社員としての季節感からも離れていた。
現地では、いろいろなことが起きる。
納期が遅れる。仕様が変わる。約束がそのまま守られない。担当者が急に辞める。通関や税制の運用が変わる。サプライヤーの事情が突然変わる。
もちろん困る。ただ、毎日やっていると、多少のことでは驚かなくなる。
だから日本側で、小さな調整に大騒ぎしているように見えると、
「それ、そんなに大ごとなのか」
と思ってしまうことがある。
でも、日本ではそれが大ごとなのだ。
逆もある。こちらが現地でかなり深刻だと思って説明しても、日本側にはそこまで重く見えない。
毎日浴びている現実が違う。
その違いは、じわじわ体に染み込む。
そしてある日、ふと気づく。
日本に帰りたいと思っているのに、日本の会社の普通の空気には、もう簡単には戻れない。
本当に寂しかったのは、同期と合わなかったこと
若手から「あの人」扱いされるのは、まだ笑える。
謎の生物扱いも、まあ笑える。
問題は、同期だった。
後年、会社を辞めるときに、同期が送別会を開いてくれたことがある。それは本当にありがたかった。
同期というのは、会社の中で少し特別な存在である。役職でもない。部署でもない。利害関係でもない。入社したときの自分を知っている人たちである。
だから本来、いちばん昔の自分に戻れる場所のはずだった。
でも、そのときにも感じた。
やっぱり、どこか話が合わない。
仲が悪いわけではない。嫌な時間だったわけでもない。むしろ、ありがたかった。
ただ、見てきた景色が違いすぎた。
自分は、海外で何年も仕事をしていた。現地で工場を見て、サプライヤーと向き合い、日本本社と現地のあいだで調整していた。海外拠点のスタッフと毎日のように話していた。
一方で、同期たちは同期たちで、日本の会社の中で時間を重ねていた。社内の空気を知っている。日本側の人間関係を知っている。本社の普通の感覚を持っている。
もう同じ場所にはいなかった。
それが寂しかった。
若手から謎の生物扱いされるのは、ネタになる。管理職と普通に話していて驚かれるのも、まあ笑い話になる。
でも、同期と同じ温度で話せない感覚は、少し重い。
会社の中で、昔の自分に戻れる場所が薄くなっている。そう感じた。
駐在員は強くなる。でも、少し帰る場所を失う
駐在員は、海外で強くなる。
判断力もつく。度胸もつく。現場を見る目も変わる。日本本社を外から見る視点も持てる。海外拠点の人たちとも深くつながる。
それは大きな財産である。
でも、その代わりに失うものもある。
日本本社の若手社会の空気。同期との自然な距離感。日本の会社員としての季節感。流行や雑談の共有感。普通にその場にいた人だけが持っている記憶。
それらが、少しずつ体から抜けていく。
日本に帰りたい。
でも、帰ったところで、昔の自分の席がそのまま残っているわけではない。会社の人間関係も変わっている。日本の空気も変わっている。そして何より、自分自身が変わっている。
駐在員は、海外で会社のために働いている。
でも気づかないうちに、日本本社の普通の列からは少し外れていく。
管理職というほどではない。かといって、もう普通の若手でもない。本社の人間なのに、本社の列にはいない。海外の人間なのに、現地の人でもない。
その中途半端な立ち位置に、ある日ふと気づく。
ベトナム時代のあの飲み会で、
「あの伊藤さんですよね」
と言われたとき、少し笑いながらも、どこかで気づいていた。
もう自分は、普通の若手の列には戻れない。
そして後年、同期の送別会で、その感覚はもう一度戻ってきた。
日本に帰りたい。
でも、日本に戻り切れる気がしない。
あの日、私は確かに思った。
「あ、俺、日本に戻れないかも」と。
