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2026年W杯日本代表発表。日本サッカーの30年に、ありがとう

日本サッカー30年の答えは、選手層と代表文化にある

2026年北中米ワールドカップに向けた日本代表メンバーが発表された。

大きな話題のひとつは、三笘薫の不在だった。ケガによる落選。もちろん痛い。痛くないわけがない。あの一対一の突破力は、日本代表の中でも特別である。世界の相手に対して、単独で局面を壊せる選手はそう多くない。

だが、今回の発表を見て、私は少し不思議な感覚になった。

三笘がいない。
それでも、日本代表全体に「終わった」という空気がない。

これは、昔の日本代表を見てきた人間にとって、ものすごく大きな変化である。

昔は、ひとり抜けるだけでチームが変わった

少し前までの日本代表は、絶対的な主力がひとり欠けるだけで、チームの形そのものが変わってしまった。

中田英寿がいない。
名波浩がいない。
中村俊輔がいない。

それだけで、代表の空気ごと変わる時代があった。「代わりは誰だ」というより、「代わりなどいない」に近かった。

だが、今は違う。

三笘の完全な代わりはいない。そこは間違えてはいけない。三笘は三笘である。だが、左にも右にも前線にも、使いたい選手がいる。

久保建英がいる。堂安律がいる。伊東純也がいる。中村敬斗がいる。前田大然がいる。他にもいる。

三笘がいることで、むしろ出場機会を得られない選手がいる。そういう段階にまで、日本代表は来た。

昔は「誰を使えば形になるのか」で悩んでいた。
今は「誰を外さなければならないのか」で悩んでいる。

この差は大きい。

1997年から見始めた人間には、今の代表は別物に見える

私が日本代表を見始めたのは、1997年のワールドカップ最終予選だった。

初戦のウズベキスタン戦。カズのゴールラッシュ。あの頃の映像や写真を見るだけで、今でも胸が熱くなる。

ドーハの悲劇も、ぎりぎり記憶にある。当時はまだ小学生で、大会のレギュレーションを正確に理解していたわけではない。それでも、あのイラクのゴールのあと、大人たちの空気が一気に沈んだことは覚えている。

1997年の最終予選は、日本サッカーが世界の扉をこじ開けようとしていた時間だった。

カズがいて、ゴン中山がいて、名波がいて、井原がいて、中田がいた。ジョホールバルでは岡野雅行が延長で走り抜け、日本を初めてワールドカップへ連れていった。

あの時代を見ていた人間からすると、今の代表はほとんど別の生き物である。

岡野から前田大然へ。特殊兵器が標準装備になった

岡野雅行はレジェンドである。あのゴールがなければ、日本サッカーの歴史は違うものになっていた。

ただ、当時の岡野の武器は、かなり尖っていた。

異常に速い。

最後に相手の足が止まったところへ、その速さをぶつける。まさに最後の切り札だった。

今の代表で、その役割に近い選手を挙げるなら前田大然だろう。だが、前田は速いだけではない。運動量がある。守備で追える。戻れる。奪える。得点もできる。

かつてなら特殊兵器だった能力が、今は総合力を持った選手の一部になっている。

ここにも、日本サッカーの30年が表れている。

「足りない代表」から「選ぶ代表」へ

1998年のフランスワールドカップで、日本は3戦全敗だった。

ゴン中山のゴールで、ようやく日本がワールドカップで一点を取った。あの時代から見れば、今の日本代表は別世界である。

当時は、ワールドカップに出ること自体が夢だった。選手層も薄かった。FWが足りず、呂比須ワグナーが帰化してすぐに重要な戦力になった。

もちろん呂比須は素晴らしい選手だった。だが構造としては、「足りないピースを外から補う」時代でもあった。

今は違う。

Jリーグで育ち、海外へ行き、欧州で揉まれ、代表に戻ってくる。その流れが日常になった。

かつて「海外組」という言葉には特別な響きがあった。ジーコやザックの時代には、海外組とJ組の距離感が語られることもあった。

だが今では、海外でプレーすること自体が特別ではない。海外にいるから代表なのではなく、海外で戦っていても代表に入れない選手がいる。

海外は、異世界ではなくなった。
日本サッカーのキャリアの中に、普通に組み込まれた。

海外化しても、代表の求心力は消えなかった

日本代表の強みは、単に選手が海外に出たことではない。

現代サッカーでは、代表チームの地位低下がよく言われる。選手の日常はクラブにある。評価も報酬も、基本的にはクラブで決まる。チャンピオンズリーグや欧州主要リーグの重みは増し続けている。

国によっては、圧倒的な才能を持つ選手がそろっていても、代表チームとしてまとまらないことがある。外から見て「本気で代表に向き合っているのか」と感じるチームもある。

もちろん、それぞれの国には事情がある。協会の体制、報酬、移動、治安、政治、世代間の関係。単純には語れない。日本代表だって、常に一枚岩だったわけではない。空中分解しかけた時期もあった。

それでも今の日本代表には、強い求心力が残っている。

海外で個が育った。
それでも、代表に戻れば同じ方向を向く。

ここが大きい。

森保監督は、代表文化の管理者でもある

森保一監督自身は、ドーハを知る世代である。

日本サッカーがまだ世界の入口に立つ前から、その変化の中にいた人だ。今の欧州組から見れば、クラブでの肩書や実績だけなら、世界にはもっと派手な監督がいるかもしれない。

だが、森保監督には、日本サッカーが何も持っていなかった時代から積み上げてきた重みがある。

そして、周囲には名波浩、中村俊輔、前田遼一といった、代表の歴史を知る人たちがいる。長友佑都のように、長く代表を背負ってきた選手もいる。遠藤航のように、静かにチームの重心を作るキャプテンもいる。

これは、単なるスタッフ配置やベテラン枠ではない。

代表文化の継承である。

日本代表監督という仕事は、戦術家である前に、文化の管理者でもある。野球の侍ジャパンもそうだが、日本代表という看板には、とんでもないプレッシャーがかかる。

サッカー代表は、シーズン中も動き続ける。予選があり、強化試合があり、遠征があり、欧州組のコンディション管理があり、メディア対応がある。勝って当然と言われ、負ければすぐに批判される。

並みの胆力では務まらない。

保守的に見える監督ほど、勝負どころで腹をくくる

森保監督は、外から見ると保守的に見えることがある。岡田武史監督も、そう見られることがあったかもしれない。

だが、本当に保守的な人間は、追い込まれた局面で勝負手を打てない。

岡田監督はジョホールバルで、カズとゴンを下げた。日本サッカーの未来がかかった試合で、看板の2トップを替えた。あれは簡単な判断ではない。

森保監督も、前回大会のドイツ戦で後半から一気に選手交代を行い、試合の構造を変えた。耐えて終わりではなく、勝ちに行った。

そして日本はドイツに勝った。
スペインにも勝った。

あの時、私は泣きそうになった。

フロックではなかった。相手が油断していただけでもなかった。日本はワールドカップ本番で、ドイツとスペインに対して真っ向から戦い、勝ち切った。

1998年に3戦全敗し、ゴン中山の一点で震えていた国が、世界の強豪を相手に勝ち切った。

時代が変わった。

優勝を目指すと言っても、笑われない国になった

30年前、日本がワールドカップで優勝を目指すと言えば、笑われたと思う。

本田圭佑は、本気でそれを口にしていた。だが、当時それを本気で信じた人がどれだけいただろうか。少なくとも、1998年のフランス大会で3戦全敗した日本を見ていた人間には、あまりにも遠い夢に見えた。

だが今は違う。

日本が優勝を目指すと言っても、もう笑われない。少なくとも、昔のようには笑われない。世界のメディアも、日本を「参加国のひとつ」ではなく、警戒すべき強豪として見始めている。

これは、とんでもない変化である。

少し大きな話をすれば、明治維新後の日本が、近代国家として列強の中に入っていった過程を見るようでもある。最初は誰も本気にしなかった。だが、制度を作り、人を育て、海外に学び、国内に戻し、少しずつ力をつけていった。

もちろん、サッカーと国家を単純に重ねるつもりはない。それでも、「夢を語り、それを本気で形にしていった」という意味では、どこか通じるものがある。

Jリーグを作ると決めた人たちがいた。
日本をワールドカップに出すと本気で考えた人たちがいた。
海外で通用する選手を育てようとした人たちがいた。
育成年代、クラブ、学校、地域、協会、指導者、選手、サポーター。

数え切れない人たちが、それぞれの場所で積み上げてきた。

その結果として、今がある。

今回のワールドカップで、日本がどこまで行くかは分からない。結果は勝負だから、思い通りにはならない。強豪国との紙一重の差で、夢が終わることもある。

それでも、私はもう幸せだと思う。

日本代表が本気で上を目指し、世界からも本気で警戒される。
「優勝を目指す」と言っても、笑われないところまで来た。

その状態にいさせてもらえること自体が、サポーターとして幸せなのだ。

それでも、ベスト16の壁は残った

一方で、ベスト16の壁は越えられなかった。

クロアチア戦。
PK戦。
あと少しで届きそうだった扉は、また開かなかった。

だから今回、もし日本が決勝トーナメントで勝ったら、私はたぶん泣く。

それは、ただの一勝ではない。

ドーハをぼんやり覚えていた子どもが、ジョホールバルで初めて本気で代表を見て、フランスで世界との差を知り、Jリーグを見て、ジュビロ磐田を好きになり、ゴンや名波や前田遼一の時代を追いかけ、その先にようやく見る景色だからだ。

日本代表は、スターに祈るチームから、層で戦うチームになった。
個が育ち、海外が日常になり、それでも代表の求心力は失われていない。

昔は、組織で個の不足を補っていた。
今は、個が育ったうえで、代表という文化に戻ってくる。

三笘不在は痛い。
それでも、日本代表は沈まない。

その事実そのものが、日本サッカー30年の答えなのだと思う。

もし今回、日本が決勝トーナメントで勝つ日が来たら、私はきっとこう思う。

生きててよかった、と。


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