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エースパイロットを集めた部隊。日本の第343空とドイツのJV44部隊

 自分たちの国の未来が絶望に満ちていたら「最後の可能性にかけて、やりたかったことを思い切りやる」というのは人の本能なのでしょうか。
 敗戦の不安が肌感覚で迫ってくる日本とドイツ、現場の指揮官たちは最後に持てる能力や人材をかき集めて、起死回生の一撃を与えたいと思ったように感じます。
 今回は、そんな話です。


■日本〜第343海軍航空隊と原田実

 源田実(げんだみのる)大佐という人物がいます。日中戦争からの叩き上げのパイロットでした。指揮官から参謀まで出世し、日本の航空機開発に多大な影響を与えた人物です。自衛隊では初代航空総隊司令もして航空自衛隊の育ての親として有名です。

 この源田大佐、1944年末の敗戦が濃厚になってきた時期、制空権を取り戻すべく、起死回生の構想を練ります。
 それは当時の最新鋭の航空機「紫電改」と、現地で活躍している熟練パイロットたちを集めた航空部隊の構想です。

「精強な戦闘機隊をもって片っ端から敵機を撃ち墜とし、怒涛のような敵の進撃を食い止め、もって戦勢挽回の端緒をつくる」

 この着想のもと、本土周辺の制空権を回復するための目的で初代である隼部隊を再編しました。今までの日本では珍しい2機1組の徹底した編隊空戦で、当時不良状態であった通信無線を改良活用し情報ネットワークを作り上げたのです。

 部隊の機体は、「紫電」と最新の「紫電改」、それに戦闘前の偵察を行う最速を誇る「彩雲」で編成していました。

左から源田実氏、菅野直氏、杉田庄一氏

・海軍の最強の戦闘機「紫電改」

 紫電は、太平洋戦争期に大日本帝国海軍が開発した戦闘機で、水上戦闘機「強風」を改良して陸上戦闘機化したものです。主翼を中翼から低翼に改修した後期型の紫電二一型は「紫電改」としても知られています。
 零戦の後継機として一時的に開発され、実戦では期待以上の性能を発揮し、日本海軍の主力戦闘機として活躍しました。生産機数は約400機で、戦局に大きな影響を与えたわけではありませんが、精鋭部隊に配備され、多くの作品で取り上げられるなど高い知名度を誇ります。紫電改は日本海軍の戦闘機の中でも優れた機体とされています。

 紫電改ですが、零戦の正統後継機の「雷電」や「烈風」の開発が遅れていた代りに登場した機体ではあるのですが、誉21型という2千馬力近いエンジンの性能と相まって後継機としての期待がかかりました。

紫電改の元となった水上戦闘機「強風」中翼なのがよく分かりますね。

 この最新鋭の紫電改を優先的にまわしてもらい、各戦地の優秀なベテランパイロットたちを集めて編成されたのが、有名な第343海軍航空隊です。
 部隊の名前も航空隊の剣部隊の他に、飛行隊にも通称の名前をつけて部隊の士気を高めます。

 301戦闘隊→新選組 隊長・菅野直大尉(杉田庄一が所属)
 701戦闘隊→維新隊 隊長・鴛淵孝大尉  
 407戦闘隊→天誅組 隊長・林喜重大尉 
 偵察4飛行隊→奇兵隊 隊長・橋本敏男大尉 
 401戦闘隊→極天隊 隊長・浅川正明大尉 

・菅野直や杉田庄一らのベテランパイロットが集結

 この部隊にエースとして名高い、菅野直杉田庄一などをはじめとしたベテランパイロット達が集まります。もちろん当時の状況ですので未熟なパイロットも多かったのですが、源田司令の情熱と実行力で機材や人材を優先的に集めたのでした。
 ちなみに「大空のサムライ」の著者で有名な坂井三郎も教官として呼ばれましたが、現場や杉田らパイロットたちから反感を買い異動させられます。
 源田実という、かつてのエースで今は海軍航空隊のトップの一人が最前線で指揮をとる。最新の戦闘機と最速の偵察機に名高いエースパイロットを集めて、剣部隊、新選組などの明治維新のネーミングですから、これは、もう、人気が高いのもうなずけますね。
 また実績としても、終戦間際の完全劣勢の状況の中で米軍に対しての渾身の一撃を加えた最後まで活躍した部隊として有名なのです。

343空の紫電改。ずんぐりむっくりしていますが格闘性能も優秀

・米軍も警戒した戦闘機部隊

 有名な戦果は部隊の初陣でもある1945年3月19日で「松山上空の空中戦」と呼ばれています。この日だけで、米艦上機160機に対し紫電7機、紫電改56機が迎撃し、米軍機58機撃墜を報告します。
 実は日米双方にかなりの戦果誤認はありましたが、日本最後の大戦果となりました。
交戦した米軍の戦闘機隊長は「かつて経験したことのない恐るべき反撃を受けた。東京方面で出会ったものよりはるかに優れ、巧みで攻撃的。彼らは良好な組織性と規律と空中戦技を誇示していた。彼らの空戦技法は米海軍のそれと似て、戦闘飛行の訓練と経験をよく積んでいる」と戦闘報告で述べています。
 最後の一撃を与えたことはできたようです。

■ドイツ〜第44戦闘団とアドルフ・ガーランド


 さて、これと似た状況がドイツでもありました。こちらも有名なアドルフ・ガーランド率いるMe262ジェット機部隊である第44戦闘航空団JV44です。

 JV44戦闘団の創設ですが、1945年の3月ですから敗戦のわずか2ヶ月前です。
 創設者は、政争に巻き込まれて、戦闘機隊総監解任されたばかりのアドルフ・ガーランド中将。
 
こちらはスペイン内戦時に派遣された義勇軍・コンドル軍団の第88戦闘大隊の半分の成功を収められればという願いを込めて新設された部隊でした。
 ヒトラーの思惑に逆らい、「Me262は爆撃機よりも戦闘機として使用するべき」という信念を実証すべくMe262戦闘部隊を創設してしまいました。

アドルフ・ガーランドとJV44のマーク
世界初の実用ジェット戦闘機メッサーシュミットMe262

・歴戦のエースたちが最後に大集結!

 ガーランド自体が96機撃墜の名だたるエースパイロットで人望もありますから、当時の優秀なパイロットたちに声をかけ、最強の部隊をつくります。 
 その部隊員の大半が騎士鉄十字章受章者(ドイツ軍で7,313名のみ)だったため、騎士鉄十字章戦闘機隊とも呼ばれた凄い部隊になりました。
 シュタインホフ(178機撃墜)、リュッツオウ(110機撃墜)の両大佐にベール中佐(220機撃墜)、バルクホルン少佐(301機撃墜)などの超高位エース17名に、ほぼ同数の戦歴のある下士官たちで50機なみの飛行隊になります。ちなみに最高撃墜数のエーリッヒ・ハルトマン(352機撃墜)も呼ばれたのですが、仲間の部隊に戻ります(これはあとで彼を後悔させることになりますが別の機会に)。
 「隊に所属することそのものが名誉」「鉄十字章が部隊章」とまで言われた最強部隊が誕生します。ガーランド自身も中将の身分でありながら、パイロットとして戦いに参加します。

援護部隊のFw190D-9とMe262

・最新鋭のメッサーシュミットMe262と最高の兵器R4M

 こちらの主な機体はメッサーシュミットMe262と支援部隊のFw190D-9。
 Me262の弱点である、低速の愚鈍性をカバーすべく着陸時の援護の部隊もありましたが、この援護部隊の隊長のハインツ・ザクセンベルク少尉でさえ、104機撃墜のエースです。

胴体下面を赤白のストライプを入れているのは味方から撃たれないため

 JV44は、終戦間際の2ヶ月という短い期間でしたが、高速ジェット戦闘機Me262に加えて、R4Mという空対空ロケット弾で連合軍に絶大な効果を上げています。

 日独どちらも叩き上げであがったトップが敗戦間際に自分の思うような戦闘部隊を創立し、最戦前に出て最後の一撃を加えたところが共通しているのが興味深いところですね。


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