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「疾風」迅雷の四式戦

 今回は日本陸軍機 四式戦「疾風」です。とても戦闘機らしい名称ですね。 


◆中島最後の戦闘機となった四式戦「疾風」

 太平洋戦争が始まった際、陸海軍の戦闘機の両雄は三菱の「零戦」と中島の「」であったことには異論がないでしょう。そして戦争後半の両雄は川西の「紫電改」と、同じく中島の「疾風」であったことも異論はないと思います。
 そして偶然にも、零戦も隼も中島の「栄12型(ハ25)」エンジンを搭載し、紫電改も疾風も中島の「誉(ハ45)」エンジンを搭載しています。両軍ともに同じエンジンを使用し、持ちうる技術で最高の機体に仕上げました。
 1,000馬力級エンジンを搭載して始まった戦闘機開発は、わずか数年で倍近い2,000馬力級エンジンを搭載できるまでに進展しました。

上段が大戦初期の主力機(零戦と隼)
下段が大戦後期の主力機(紫電改と疾風)
共に同じエンジンを搭載していたというのが興味深いです

◆疾風の開発の苦労

 さて、「大東亜決戦機」として、生産に集中した疾風(キ84)でしたが、その開発にあたっては二つの障害に苦しめられました。

優秀なれど稼働率が悪かった「誉」エンジン

 一つ目の障害はエンジンです。誉は栄エンジンよりわずか3cmほどの直径が増えただけですが、2,000馬力近い出力を出すことに成功した「奇跡のエンジン」とも言われています。
 しかし、海軍の紫電改に比べ、エンジンの稼働率の低さに泣いた疾風は、思うような活躍ができませんでした。当時の工業製品の品質悪化やガソリンの品質低下があったのは事実ですが、海軍に比べて陸軍の整備教育にも問題があったという説もあります。
 戦後、アメリカが評価試験で140オクタン価のガソリンを入れてテストしたところ、687km/h(6,100m)の最高速度を叩き出したことは有名なエピソードです。

プロペラ効率の悪さ

 二つ目の障害はプロペラです。エンジンが生み出すエネルギーを推進力に変換するには、プロペラ効率を高めることが重要なのですが、いつも使用しているアメリカのハミルトン油圧式可変プロペラではピッチの変更角度が不足しており、自国開発の電動可変式を採用せざるを得ませんでした。
 これが性能を十分に発揮できない原因の一つとなり、特別のプロペラ技術者による整備班を戦地に派遣せざるを得ない事態に陥りました。

プロペラは馬力の強さに応じて3枚→4枚になることが多いです。

◆疾風に活かされた様々な工夫

 疾風の設計主任は隼と同じく小山悌(こやまやすし)技師です。そのため、形態が隼とも似ており、隼の治具(製作補助設備)も利用できました。その工夫もあって、疾風の工数(工具数と製作所要時間の積)は、隼の2万5千に対し、1万4千にまで下がっています。制作時間も三分の二まで減少。「大東亜決戦機」として3,500機も生産できたのは、このような努力の賜物でしょう。
 この中島飛行機の工夫と努力は、決して無駄になることはなく、戦後の航空機開発やその他の平和技術にも大いに活かされることになります。

主翼の形とか似てますね。デザイナーのセンスを感じます。

◆疾風とコードネーム「フランク(Frank)」

 さて、米軍からも、The best Japanese fighter(日本最優秀戦闘機日本最良戦闘機)として称された疾風。
 中島四式戦闘機「疾風」はアメリカ軍からフランク(Frank)と呼ばれていました。
 そのコードネームですが、日本の名称は複雑で分かりにくく、アメリカでは適当な呼び名を付けていました。それでも一応簡単なルールを設けており、戦闘機には男性名、爆撃機には女性名をつけていたそうです。本当、いい加減。
 たとえば、隼はオスカー、紫電改はジョージなどです。爆撃機の一式陸攻はベティなどで、銀河は最初は戦闘機だと勘違いされFrancisという男性名が付けられましたが、後で爆撃機と分かり女性名であるFrancesに変更されたというエピソードもあります
 ちなみにこのフランクは、コードネームを付与する部門の責任者であったフランク・マッコイ大佐の名前でもあるそうです。この大佐は、自分の名前を敵の有力な戦闘機に付けたかったようで、フィリピンで鹵獲した疾風をテストした際、その性能に惚れ込んで名付けたそうで。
 弱い戦闘機に自分の名前を付けてしまったら「Hey、今日もフランクを撃ち落としたぜー」と言われるのが面白くなかったのかもしれません。「フランクは強敵だ、手強いヤツだ」と言われたかったのかもしれませんね(笑)。気持ちは分かる。

◆疾風迅雷の名の如く、過ぎ去っていった優秀機

 疾風(はやて)とは、速く激しく吹く風という意味で、「しっぷう」とも読みます。疾風迅雷(しっぷうじんらい)、疾風怒濤(しっぷうどとう)という慣用句もよく使われており、激しいエネルギーが突然にやってきて、やがて過ぎ去っていくというイメージがあります。
 四式戦「疾風」は、その名の通り、戦争の終結間際に登場し、強烈な一撃を敵に与えましたが、稼働率の低さに泣き、過ぎ去るかのようにその存在感を失いました。この点は、言い得て妙というか、皮肉な結果でもありますが、名前にふさわしい戦闘機だったと思います。私の大好きなヒコーキでもあります。
 それにしても、日本の兵器のネーミングセンスは本当に素晴らしいと思います。当時の将校たちは教養がありましたね。

小池繁夫氏の描く四式戦「疾風」この画家さん、大好きです。





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