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彼女の写真を愛機に付けて戦場へ〜リチャード・ボング

 前回のチャック・イェーガーの話の続きでアメリカのエースの話を。
 イェーガー自身はアメリカ陸軍所属のパイロットで、欧州戦線でドイツ機11機+1/2機撃墜の戦歴でしたが、今回はアメリカトップエースの話を。


■アメリカ軍は欧州戦線と太平洋戦線の2つに別れて戦った。

 第二次世界大戦のアメリカ軍ですが、ナチス・ドイツらの枢軸国と戦うための欧州戦線組と大日本帝国軍と戦うための大西洋戦線組に2つに別れました。
 通常一度に複数の相手と戦う、二面作戦は戦力分散となり不利なのですが(ドイツはそれが原因で敗戦)、アメリカ軍はそれを技術力と物量で押し切りました。
 なにせ、終戦間際には護衛空母を毎週一隻完成させていたのですから・・・勝てる訳がありません。
 当時は空軍が存在していなく、陸軍、海軍、海兵隊がありました。軍用機はそれぞれの軍が所有し、パイロットたちもその軍に所属していました。
 
 アメリカの主なトップエースたちは以下の通りです。
リチャード・ボング 40機 アメリカ全軍のトップエース
デヴィッド・マッキャンベル 34機 海軍のトップエース
ジョセフ・フォース26機 海兵隊のトップエース

 
中には中国大陸と欧州戦線で日独両方の軍用機を撃墜した珍しい戦歴のエースもいます。

ジェームズ・ハウエル・ハワード 日独機を6機づつ撃墜した珍しい戦歴のエース

■アメリカのトップエース、リチャード・ボング

 アメリカ全軍のトップエースはリチャード・アイラ・ボング(Richard "Dick" Ira Bong, 1920年9月24日-1945年8月6日)。
 アメリカ陸軍のパイロットです。最終階級は陸軍少佐でした。
 ウィスコンシン州ポプラで生まれ、19歳の時に第二次世界大戦が勃発。
 その後戦闘機パイロットになるために1941年5月に陸軍航空隊(陸軍航空軍)へ入隊。1942年10月から南西太平洋戦線に配属され、格闘戦には不向きなP-38で日本軍機を相手に戦います。

 1944年4月にはアメリカ軍全軍を通じてのトップ・エースとなります。
 同年12月に名誉勲章を受章した後は本国勤務に回され、婚約者と結婚して広報活動と新型ジェット戦闘機P-80 シューティングスターのテスト・パイロットを務めていましたが、1945年8月6日、P-80の離陸直後の墜落事故で殉職しました。
 8月6日といえば、広島に原爆が投下された日です。この日の新聞にはこの2つの記事が一面で掲載されました。

当時の新聞

 ちなみに第2位は撃墜数38機のトーマス・マクガイア陸軍少佐です。この人の愛機もP-38Lです(空戦で戦死)。

■乗機P-38Jライトニング”マージ号”

 彼の愛機であるP-38の機首には、婚約者のマージョリー・バッテンダールさんの写真を大きく引き伸ばして貼った、通称“マージ号”が有名です。

御本人とツーショット。

 大好きなのは分かるけど、なんかなぁ〜^^; 日本機では考えられません(笑)。人気なのでプラモデル化されています。

1/48 傑作機シリーズ No.123 ロッキード P-38J ライトニング

 まさか彼女も数十年後までプラモデルで自分の顔が使われるとは思いもしなかったでしょう。ちなみにマージョリーさんの写真はこちら。

あー。確かに美人さんですね。ボング少佐のニヤけた顔も憎めません。

 この機体は再現されて展示されています。スコアマークの旭日旗のかたちが、日本人から見るとなんか違いますが、アメリカ人には分からないだろうなぁ。

もはや、ノーズアート。

マージのイニシャルにもいくつかタイプがあるようです。アメリカ人のノーズアート好きには特集組めるくらいの記事になりそうなので機会をみてご紹介します。文化の違いですね(^^)

 これだけ、奥さんを愛していたボングでしたが、結婚期間はわずか1年足らず。
 最新鋭のジェット戦闘機P-80の事故で殉職してしまいます。

P-80 シューティングスター 最後の機体はジェット機でした。

 英雄に死んで欲しくないとして、後方に下げることによって、かえって戦闘の勘が鈍るのでしょうか。事故死が多いのは戦史にはよく見受けられることです。
 かたや常に戦場で戦い続けたことで生き残ってしまうドイツや日本のエースたち。
 戦場から離脱することで、戦の女神にそむかれてしまうのでしょうか。運命の皮肉を感じます。


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