この一年で受け取った、一番大きな贈り物#ハッピーライティングマラソン57週
本田健さんの「ハッピーライティングマラソン」の今週のテーマは、
「この一年で、あなたが受け取った一番の贈り物は何ですか?」
でした。
ちょうど、今日は近所の氏神様へお参りに行きました。
鳥居をくぐり、境内へ階段を登ります。そして静かな境内を歩き、手を合わせると、こんな思いになります。
「この地域を守ってくださってありがとうございます。」
「この町に存在させていただいてありがとうございます。」
「そもそも世界が存在し、この世界に自分というものを存在させていただいてありがとう」
普段すっかり簡単に忘れがちな存在そのもの<喜び>を思い出す機会をいただきました。
(<>で括った言葉は、非二元のそれを意味します。)
すると、「うえっ、おえっ」と若干嗚咽しながらの、涙が込み上げてきました。
僕たちは毎日、いろいろなこと体験します。五感の刺激が入力されます。
内的なもの(自動思考、自分責めなど)
外的なもの(家族や友達の言動、社会情勢などなど)。
だからこそ、
健康でありますように。
仕事がうまくいきますように。
家族が幸せでありますように。
当然、願います。希望します。(同時にうっすら、またはかなり不足を感じます)
もちろん、大切なこと。
でも今日、神前で感じたのは、あらためて、それ以前のことでした。
(本当は非二元である、ということ)
「世界がある。」
「そして、その世界を感じる"私"という媒体が存在している。」
それだけで、すでに計り知れない贈り物なのだと。
普段はあまりにも当たり前すぎて忘れてしまいます。
朝が来ることも。
息をしていることも。
風を感じられることも。
誰かと笑えることも。
悲しめることも。
考えられることも。
すべて、「存在している」からこそ味わえる奇跡です。
それらは全て、「正」「反」という、二元性がセット。
本当は、毎瞬毎瞬、存在の喜びだけで満ちていても、いいです。
でも、私たちはそうはいきません。
忙しさに追われたり、
悩みに飲み込まれたり、
不足ばかりを見てしまったりします(全部、僕のことです)。
けれど、それもまた悪いことではないんですよね。
忘れるからこそ、思い出す喜びがある。
離れたように感じるからこそ、再びつながる感動がある。
存在を当たり前だと思ってしまうからこそ、
ある日ふと、「生きているだけでありがたい」と心の底から感じられる瞬間があります。
それもまた、この世界が私たちに与えてくれた美しい二元性なのでしょう。
だから今日、そして、この一年、または生涯で僕が受け取った一番の贈り物は、
何か新しい出来事でも、
何かを手に入れたことでもありませんでした。
「ただ存在していることの尊さを、もう一度思い出せたこと。」
そして、そのことを思い出させてくれた氏神様とのひとときにも、心から感謝しています。
また、本田健さん、そして今回はマツダミヒロさんのおかげで、振り返る機会をいただきました。
ハッピーライティングマラソン、万歳!気づきの深化の機会をありがとうございます。
そして改めて、ありがとうございます。
この世界があることに。
ここに生かされていることに。
そして、この文章を読んでくださっているあなたが、今この瞬間も存在していることに。
すべてに、ありがとうございます。
