7月22日 下駄の日 【SS】板前デビュー
日々設定してある記念日の中から一つを選び出して、その記念日から連想した内容でショートショートを綴ってお届けしています。今日の選ばれし記念日はこちら。
【今日は何の日】- 下駄の日
全国木製はきもの業組合連合会が制定。
「7」は下駄を作るときの寸法に「7寸7分」という数字が使われたことから。「22」は下駄で歩くとその跡が「二」に見えることから。下駄のよさを見直してもらうことが目的。伊豆長岡観光協会では、11月11日を「下駄の日」としている。
下駄は日本の伝統的な履物で、「下」は地面を意味し、「駄」は履物を意味する。その呼び名は戦国時代に成立したと推測され、それ以前は「アシダ」と呼ばれていた。道路が舗装されていなかった時代には、雨などが降って道がぬかるむと、草履などでは、ぬかるみに足が埋まってしまったが、高さのある下駄は、ぬかるみに埋まりにくかったため重宝された。
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【SS】板前デビュー
「おーい、ヒロ。お前には明日から焼き場に入ってもらうつもりだからな。高下駄だけは自前で揃えるんだぞ。今日は早上がりしていいから、買いに行ってこい」
「わかりました。あのー、板長。高下駄を売ってる店を知らないんですけど」
「新宿の地下街サブナードの靴屋にも売ってるぞ。多分一番近いのはそこだな」
「わかりましたー。行ってきまーす」
この会話は、新宿の炉端焼きの店での会話である。時代は今から遡ること四十五年前。新宿の繁華街には居酒屋やスナック、喫茶店などがひしめきあって、路上の客引きも溢れかえっていた。もちろん、怪しい店も多くある。そんな中で、新宿歌舞伎町の入り口とも言える場所のビルに大きな炉端焼きの店が入っていた。ヒロは、バイトとして働き始めたのだったが、白い帽子を被り七分袖の白衣が凛々しく感じ、憧れていた。その時ヒロは、青いハッピを着てお客様を案内するフロア担当のバイトだった。テーブル席のお客様からの注文を受け、料理を運ぶのが主な仕事だ。一方、板前は焼き場と呼ばれる大きな網焼きをする場所で凛として立っていて、周りのお客様の状況を見ながら、注文された魚が焼き上がったら、しゃもじを大きくしたような「炉端しゃもじ」と呼ばれる道具に出来立ての焼き魚をのせた皿を乗せて、すっとお客様の目の前に提供するのだ。ヒロはその振る舞いにも憧れていた。
遠目で見ながら焼き場の仕事を見よう見まねで覚えたヒロは、板長に呼ばれ焼き場の板前に挑戦したいかと問われ「はい」と元気よく答えたのだった。そして、その日から特訓が始まった。数ヶ月間、営業前に魚に対する串の刺し方や、塩の振り方、飾り包丁の入れ方、炉端しゃもじの使い方を教えてもらったのだ。最初はなかなかうまくいかなかったが、粘り強く続けてなんとかできるようになっていったのだ。刺身や煮物などは別な場所で処理されるので、焼き場専門の板前としての仕事だけを叩き込まれた。
数ヶ月経った時、板長から声をかけられ、包丁とユニフォーム一式を渡された。そして、下駄の歯が十センチほどある高下駄を自分で調達するように言われたのだった。ヒロはこの高下駄にも憧れを持っていた。普通の下駄ではない。高下駄である。慣れないと転びそうになるので、先輩の高下駄を借りて歩き方もかなり練習した。
桐でできた高下駄を買ってヒロは店に戻ってきた。そして最初に実施することは、高下駄の歯に粗塩を擦り込み、濡れた板場の床で擦って滑らないようにすることだった。そもそも高下駄が必要な理由は二つあった。一つは、焼き場の床が十センチほど低くなっていること。二つ目は、焼き場は熱いため床は常時水を撒いた状態になっていて滑りやすいからだった。ヒロは神経を高下駄に集中しすぎて、魚を焦がしてしまったり、あまりの焼き場の暑さにフラフラすることがあったが、それも時間が経つにつれ慣れ、お客様から見れば一人前の板前として見てもらえるようになったのだ。
ヒロはこうして炉端焼きの店で焼き場の板前として活躍するようになっていったのである。そしてヒロにはもう一つ嬉しいことが待っていた。バイトという立場は変わりないのだが、途中で休憩時間を取ることができ、近くの喫茶店でコーヒーを飲んでくるという習慣が板前仲間にあったのだ。もちろん自腹でコーヒーを飲むのだが、前掛けだけを外して白衣と高下駄のまま店を出て喫茶店まで人ごみの中を歩いていくのだ。その際、カランコロンと下駄を鳴らして歩くものだから、周りの人は一様に振り返る。その瞬間がヒロには堪らなく気持ちよかった。
こうして、憧れていた板前の姿を自分のものにしたのだが、所詮はバイト。学校を卒業する前には辞めざるを得ない。ヒロは後ろ髪を引かれる思いで板長に挨拶をした。
「板長、バイトの僕を焼き場に立たせていただき、ありがとうございました」
「おう、ヒロ。バイトも終わりか。よく頑張ったな。お前は、真面目すぎるから普通の昼間の仕事の方が似合ってる。ここに戻ってきたいと思うなよ。まぁ、ちょっと寂しくはなるけど。今後は客として遊びにきてくれればいいぞ」
「ありがとうございます。友達をたくさん連れて遊びにきたいと思います」
ヒロは、就職した後も足繁くこの炉端焼きに通っていたのだが、板長のチームと経営者の方針に齟齬が生まれ、人員の入れ替えが行われてしまったようだった。全ての板前が入れ替わってしまい、連絡先もわからなくなり、ヒロも店に通うことはなくなってしまった。その後、板長を中心としたチームの行方はわからなくなってしまいそれきりとなった。
ヒロはそれまで大切に持っていた歯がすり減った高下駄を、年が明けたときに行われるどんど焼きの焚き火の中に投げ入れ、過去の思い出に別れを告げた。もうこの後、ヒロが高下駄を履くことはないだろう。
了
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