8月5日 タクシーの日 【SS】行き先のない客
日々設定してある記念日の中から一つを選び出して、その記念日から連想した内容でショートショートを綴ってお届けしています。今日の選ばれし記念日はこちら。
【今日は何の日】- タクシーの日
1984年(昭和59年)に東京乗用旅客自動車協会(現:東京ハイヤー・タクシー協会)が制定し、翌1985年から実施。
全国乗用自動車連合会(現:全国ハイヤー・タクシー連合会)が全国統一キャンペーンとして実施している。1912年(大正元年)のこの日、東京・有楽町の数寄屋橋にあったタクシー自動車株式会社が日本で初めてのタクシーの営業を開始した。日本初のタクシーはT型フォードであり、6台で事業を開始して以来、2012年(平成24年)で生誕100周年を迎えた。
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【SS】行き先のない客
指示をされ、怒られる毎日のサラリーマン生活に嫌気がさしてタクシー運転手に転向した中年の男性がいた。大手の企業に入社はしたものの、同期入社の社員のみならず後輩が昇進していくのを横目で見るばかりの自分が情けなかった。頑張ればなんとかなるかもしれないと昇進もできないまま二十年も務め続けた。並野平太、四十三歳。ようやく、自分にはこれまでの仕事が向いていないと悟り、意を決して第二種運転免許を苦労して取得し、個人タクシーの運転手になったのだった。並野はもともと大の自動車好きでもあった。どうしてもっと早く気がつかなかったのだろうと思ったくらい、車の運転を職業にすることを全く思いつかなかったのだ。
「全く、こんなことだからサラリーマンやってても上手くいかないんだよな。僕の得意なのは道を覚えることと車の運転だもんな。どうして、それを職業に生かそうと考えなかったんだろう。まぁ、気が付いただけ良しとするか」
全く人がいいのか、頭のネジが幾つか足りないのか分からない男だった。それでもタクシーのハンドルを握るようになって、目に見えない締め付けから解放された気分を感じていた。最も収入は大幅にダウンしたのだが、生活ができないわけではないので現状に満足していた。そして、今日も都内でタクシーを流していた。手を挙げてタクシーを拾ってくれたのは、高そうなスーツを着た中年男性。会社の中でも偉い方なのだろう。すました顔で開いたドアから乗り込んできた。
「新百合ヶ丘まで行ってくれ」
まだ夕方で電車がある時間にも関わらず、タクシーを使って長距離のリクエスト。運転手としてはありがたい客だ。すぐに高速に乗り、用賀あたりで若干渋滞になりつつも特に問題なく走っていると、ゲリラ豪雨に見舞われた。一瞬前方視界がほぼゼロの状態になりながらも、数分程度で豪雨は車の後方へと去って行き、胸を撫で下ろしながらリクエストされた新百合ヶ丘へと車を走らせた。そして、客の自宅に到着し料金を清算しドアを開けた。乗っていた客は吸い込まれるように目の前の家の門を開け、中に入ろうとした時、奥様と思われる女性が駆け足で駆け寄ってきて、降ろした客の耳をつまんで引っ張り込むように玄関のドアを開け、家の中へと消えて行った。なんとなく、その後の修羅場を想像してしまったが、余計なことだなと思い、車をUターンさせて東京に戻った。
次の日の夜、六本木を流しているとカップルが手を挙げていた。タイミングよく、車を止めることができ、仲良く乗り込んできた二人をルームミラーで確認した。どうやら、会社員とクラブの女性のようだ。しきりに女性が同伴での入店を誘っている。これから出勤なのだろう。男性の方は、何やら予定があるからと乗り気ではなさそうだ。しかし、グイグイと押してくる女性に根負けしたのか、一時間だけならと譲歩していた。
「お客様、どちらまで行きましょうか」
「新宿の東口までお願い。歌舞伎町の入り口で降りるわ」
並野は「なるほど、店は新宿だけど六本木でデートしてたってわけか」と思いながら、靖国通りに向かって車を走らせた。歌舞伎町の入り口に着いた時、女性が先に車から降りた。料金は男性が払うようだ。清算の時に小声で男性が並野に話しかけてきた。
「運転手さん、ドアを閉めて車を出してくれないか。僕は今日は用事があるんだ。なんとか助けてくれ」
並野は後ろから来ている車の列が途切れたところを見計らって、車を発進させた。女性が驚いたように呆然としている姿がバックミラーで確認できた。
「いやー、助かったよ。運転手さん、このまま池袋まで行ってください」
「分かりました。池袋に向かいます」
途中でゲリラ豪雨に襲われながらも、無事に男性を池袋に送り届け、ハザードランプを点けたまま、男性が立ち去る方向を何気なく確認していたら、なんとクラブのドアを開け、男性は迷うことなく中へと消えて行った。
タクシーを走らせていると、いろんな人間ドラマに遭遇するものだと並野は考えていた。特に都会ではいろんなドラマが日々渦巻いているような気がしている。同時に、こんな面白い仕事は他にはないだろうなとも思い始めていた。
翌日になり、いつものように流していたらいつの間にか錦糸町まで来ていた。この日は近距離の客ばかりで、売り上げはあまり上がっていない。そろそろ早めに切り上げようかと考えていた矢先だった。控えめに手を挙げている若い女性が立っているのが目に入った。車を止めドアを開ける。女性は静かに座席に座り、長い髪を掻き上げながら行き先を告げた。
「相模湖まで行ってください」
「えっ、これから相模湖ですか。着く頃には日が沈んでしまいますがよろしいのですか」
「問題ありません」
並野は若干の胸騒ぎを感じながらも、錦糸町から相模湖を目指して車を走らせた。すでに夕方になっているので首都高速も混んでいる。思ったより時間がかかりそうだと後部座席の女性に伝えても「問題ありません」としか回答しない。会話が弾むこともない長時間ドライブは思ったより並野を苦しめた。津久井湖を過ぎたあたりで、またしてもゲリラ豪雨に見舞われた。土砂崩れが心配だが進むしかないと車を走らせ、やっと相模湖のそばまでやってきた。幸いにも雨は上がった。そろそろ具体的な目的地を聞かなければと思い、ルームミラーで後部座席を確認し、話しかけようとした。
「お客さん、あ、えっ、あれ」
後部座席の若い女性の客は忽然と消えていた。慌てて車を止める。ハザードランプを点け運転席から降りて後部座席を確認した。後部座席に温もりはなかった。シートは温もりどころか氷のように冷たかった。並野は、過去の事件を思い出し背筋が寒くなった。
「そういえばまだサラリーマン時代に錦糸町の若い女性が相模湖で事件に巻き込まれ、死体となって発見されたというニュースを見た記憶があるな。まさか今回の客はその時の女性だったのだろうか」
タクシーに乗っていると色々なドラマに巡り合うものである。それは、人間のみならず時には霊界のドラマにまでも巡り合うようだ。
了
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