【SS】麦茶
昭和の時代も残り二十年くらいになった頃、そう昭和43年ごろの夏休みの暑い日の出来事である。当時は今のように一般家庭にエアコンなどは設置されていなかった。扇風機があればいい方だった。ただ、今日のように温度が四十度にまで上がることもなかったので、扇風機だけで真夏を過ごせていたのかも知れない。そんな昔のある日のことを綴ってみたい。
◇ ◇ ◇
暑い太陽の下で友達と走り回って遊んでいた小学生の男の子が汗をかきながら家に帰ってきた。家も暑いので窓や障子は開けっぱなしになっている。父親はあまりの暑さに風通しのいい縁側にステテコ姿で座って団扇であおいでいる。母親はそろそろ夕食の準備のため台所で忙しく動いている。汗を拭うためなのか、首には日本手拭いを巻いている。
現在なら脱水症状が心配になるくらいの汗をかきながら帰ってきた男の子は、玄関で靴を脱ぐ時間も惜しいかのように、脱ぎ散らかして上がってきた。案の定、母親に怒られている。
「こら、靴ば揃えて上がらんね。行儀の悪かね」
「あー、はいはい。これでよかやろ」
「返事は一回でよか」
「はーい」
「返事は伸ばさんでもよか」
「・・・」
玄関で時間を取られてしまった男の子は、喉の渇きを我慢できなくて部屋に上るなり叫んだ。
「喉カラカラ。なんかなかとー。あっ、なんだ。麦茶があるたい。これもらうばい」
喉が渇いてたまらなかった男の子は、テーブルの上にある麦茶が入っているコップを手に取りゴクッゴクッと飲んだ。これで喉の渇きも一段落と思いきや、男の子は経験したことのないような口の中に熱さを感じ始めた。まるで口の中で火が燃えているような感覚だったようだ。
その異変に気づいた父親が縁側から焦ったように団扇を放り投げて振り返り、男の子のところに駆け寄った。
「ぼ、ぼうず。それは麦茶じゃなか」
残念ながら父親の声は既に遅かった。コップの中身は半分になっていた。どうやらコップに注がれていたのは、父親が後から飲もうと思っていたウィスキーだったようだ。しかもストレート。
「うわー、ぼうず、飲んだのか。おい、大丈夫か、母ちゃん、水、水ば持ってきて」
男の子は、麦茶と信じていたので入っているのがウィスキーとは思わず、一気に飲んでしてしまったのだ。しばらくすると男の子は目の前がグルグル回り始めるような感覚に襲われた。そしてさらに時間が経つと吐き気に襲われ、父親に背中を摩ってもらい、飲んだものを吐き出した。そのあとはひたすら水を飲み、落ち着くのを待った。夕飯どころではない時間となり、母親は男の子に扇風機の風を当てたり水を取りにいったりして男の子の回復を待った。
吐き出したことがよかったのか、それ以上は変な現象を味わうこともなく男の子は復活した。男の子が大丈夫だと安心したのか、父親はコップを見て悲しそうに呟き、母親からは怒られていた。
「ああ、わしのウィスキー。楽しみに取っておいたのに、もう半分も残っとらん」
「あんたが、そんなもんをテーブルの上に出しっぱなしにするからたい」
言われてみれば尤もである。傍目からはコップに入っていれば麦茶に見える。しかも、暑い夏だ。外から帰ってくれば一気飲みしたくなるのも道理だ。
このあと、男の子は必ず冷蔵庫から麦茶を出して飲むようになったそうだ。テーブルの上に何かある時は、必ず母親に確認してから手をつけるようにもなったとさ。
了
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