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4月20日 ジャムの日 【SS】旅と共に

日々設定してある記念日の中から一つを選び出して、その記念日から連想した内容でショートショートを綴ってお届けしています。今日の選ばれし記念日はこちら。


【今日は何の日】- ジャムの日

全国のジャムの製造メーカー、販売企業などで構成する日本ジャム工業組合が創立50周年となる2015年(平成27年)に制定。

1910年(明治43年)のこの日、長野県北佐久郡三岡村(現:小諸市)の塩川伊一郎が「苺ジャム」を明治天皇に献上した。明治初期に始まったジャムの製造が皇室献上品として認められたことは日本のジャム産業の発展に大いに貢献したとの考えから記念日とした。ジャムの美味しさや魅力を多くの人に知ってもらい、ジャムの需要の喚起と消費の拡大が目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。


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【SS】旅と共に

 街から遠く離れたところに大きな岩に取り囲まれた小さな村がありました。岩のせいで外からやってくる人はほとんどいません。村人たちは、みんな仲良く全ての収穫を分け合って平和に暮らしていました。一人も、私腹を肥やそうと考える者はいません。この村にはお金も存在していないのです。

 大きな岩に囲まれてはいますが、近くには海や川があり、魚介類は豊富に取れるので食料には困りません。そして村人が一年間食べられる小麦も小さな畑で毎年収穫できるので食べることに困ることはありませんでした。それにすぐ後ろの森からは季節に応じたフルーツも収穫でき、食後のデザートにも困りません。

 この村では戦争とは無関係な暮らしができていたのです。それでも、時々遠く離れたところから軍隊が押し寄せてくることもあります。この村には兵隊がいないので、思案を重ねた結果、森に住むオオカミと取引することにしました。オオカミは村が襲撃されるような時には、村を守るために兵隊となって敵と戦ってくれます。中にはオオカミ男に変身するオオカミもいました。満月の時には絶大な力を発揮します。オオカミとの取引の条件は、村人が森を壊さないこと、海の幸を毎月獲ってきてくれることの二つでした。これで、村人とオオカミとの取引が成立し、お互いに安心して生活をすることができるようになったのです。

 そんな平和な村にも、村を維持していくために独自の二つのルールがありました。一つ目は、子供は、十六歳になったら一旦外の世界に出て世の中を学習して来なければならない「学習の旅」と呼ばれているルールです。二十歳になる前に戻ってきて、学んだことを村人たちに教える義務もありました。それで知識の共有が図られ、外の世界の進歩について行くことができていました。

 村の外では「お金」が必要になります。十六歳で学習の旅に出る時、多くのフルーツを背中に背負って外の世界で売ってお金にすることで何とか凌いでいました。子供達は学習の旅でお金を知り、お金で品物を買うということを覚えます。そして村の外の世界ではお金がないと食べ物にも困ることを実際に学ぶのです。しかし、学習の旅では最初から一つ問題がありました。村を出て一番近い街に到着するまでに一週間ほどかかります。そうするとせっかくたくさん持ってきたフルーツも、自分自身の食糧になったり、腐ったりしてしまい、街に着いた時には新鮮さが無くなってしまうのです。せいぜい煮込んで使うことしかできなくなり、二束三文でしか売れなくなっていたのです。

 ある時学習の旅を終えようとしていたヤンは、村で二十歳の誕生日を迎えるために急いで帰ってきました。リュックには、粉のようなものとタネをたくさん持って帰ってきました。村人を集め「粉のようなもの」の作り方を教えたのです。そして小麦畑の隣を耕し、持ってきたタネを撒きました。作ろうとしたのはサトウキビ畑でした。持って帰ってきた粉のようなものは、砂糖だったのです。村人はその甘さに驚きました。

 収穫したフルーツが余った時、腐ってしまう前に良く煮詰めていたお婆さんがいました。ヤンはそのお婆さんのところにいって、砂糖を混ぜてみようといったのです。フルーツを煮詰めながら砂糖を入れたのです。最初はごちゃごちゃにフルーツを混ぜて作っていただけでしたが、砂糖を入れることで甘さが増して美味しく食べられることを発見したのです。そして何と長く保存しても腐らないことにも気づきました。こうして、ジャムが誕生し、学習の旅に出かける若者はフルーツを背負って行くのではなくジャムを背負って出かけるようになりました。腐りかけのフルーツと違い、ジャムは高値で売れるようになり、学習の旅に出かける若者も意気揚々と学習に専念することができるようになりました。

 ルールは二つだったことを覚えていますか。二つ目のルールは五十歳になったら村を出て、村を包囲するように配置されている四つの小さな村に移り住まなければなりません。これらの村は、中心の平和な村を外敵の標的にならないようにカモフラージュするための村です。最悪の時には犠牲になってでも中心の村を守り抜かなければなりません。オオカミの兵はこの村を突破された時にしか出動しません。しかし、年寄りたちは戦争の経験はありせん。人を傷つけた経験もありません。仕方なく食事を提供する際に毒を混ぜて侵略者を撃退することで身を守ってきました。そんな防衛の村に新たな武器が提供されたのです。そう、それが毒入りジャムでした。ジャムを食べたことがない侵略者はその甘さに釣られてみんなが舐めてしまうのです。そして、そのまま永遠の眠りについてしまうのです。村人は兵士を一人ずつ手厚く葬ります。そして持っていた武器や鎧などを通りすがりの商人に売却し、わずかなお金に換金し貯金するのです。村ではお金を使いませんが、外の人間が来た時には必要なのです。毒を使うことなく退散させることができれば、お金を取られても誰も命を失うことがありません。平和を愛する村人はそんな考えを持っていました。

 ヤンは四十歳になっていました。サリーという妻を娶り、二人の賢い子供がそろそろ十六歳になろうとしていました。学習の旅に出る年になってきたのです。ヤンは自分の子供は外に出したくないと思っていました。この時ヤンは村を束ねるリーダーになっていて、何とか村の発展と防衛のあり方を変えようと思っていたのです。そしてヤンは行動に出ました。ジャムを大量に生産できる体制を作り、いくつかの街でジャムを売り、村の中に学校を作ろうと計画したのです。もちろん外から先生を招きます。そうすることで、もっと小さな頃から知識を得られる仕組みを作ろうと考えたわけです。「お金」を手にすることができるようになり、開かれた村への第一歩を踏み出してしまいました。同時に「学習の旅」を廃止し、自分の息子たちが旅に出なくてもいいように制度を変えてしまいました。

 この村の運命は、ジャムを作った時から変わり始めていたようです。これからどんな運命を辿ることになるのでしょうか。


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