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7月5日 江戸切子の日 【SS】美しい器

日々設定してある記念日の中から一つを選び出して、その記念日から連想した内容でショートショートを綴ってお届けしています。今日の選ばれし記念日はこちら。


【今日は何の日】- 江戸切子の日

東京都江東区亀戸に事務局を置き、業界の発展を促進することを目的に活動する東京カットグラス工業協同組合(現:江戸切子協同組合)が制定。

日付は江戸切子の文様の一つ「魚子(ななこ)」から「なな(7)こ(5)」と読む語呂合わせにちなむ。代表的なカットパターンが10数種類あり、「魚子」は魚の卵をモチーフにしたもので、職人の技量を試される難しい文様である。職人技の思いと、江戸切子を多くの人に知ってもらうことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。


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【SS】美しい器

 人間が作った工芸品は、手が混んでいるほど繊細さと美しさを醸し出す。グラスもしかり。江戸切子の装飾は光を透かす事でより一層美しくなる。そして、その器に注がれた液体によっても変化させる事だろう。

 いろんな美しい器に見せられた男がいた。その男は「器光酒場」というバーを経営していた。すでに五十歳を超え、白髪が目立つ髪の光一という名のマスターだった。薄暗い店の中で、天井から落ちてくる柔らかい光を存分に浴びたグラスに、液体を注ぎ入れる時の光景を客に見てもらいたいという一心で、いろんなグラスを集めていた。その数なんと五百に届きそうなほどだ。

 クリスタルガラス、青磁、白磁を中心とした薄いグラスが店内の壁に所狭しと飾られている。もちろん地震で粉々になってはならないので、対策として棚は一つ一つのグラスを入れる個室が作られている。正面には丸い穴が空いており、グラスを確認できるようにもなっている。客は、自分の好みのグラスをその個室から取り出してマスターに渡し飲み物を注文するのだ。

 グラスを受け取ったマスターは、一度グラスを素早く洗い、水分をしっかりと拭き取って光の反射を最大限に表現できるようにしてから、グラスに透明な丸い氷だったり、時にはカチ割り氷を入れ、注文された液体をゆっくりと注ぎ入れる。琥珀色のウィスキーは薄い光を通すグラスによく似合う。ジンならその透明な液体越しに揺らぐ光が楽しめる。中に入った氷が浮き上がり、転げるたびにグラスの縁とキスをして高い音が響く。目と耳と舌で楽しめるのだ。なんて贅沢な時間を提供しているのかと思うほどである。

 忘れてはならないのが、この店自体が器になっているということである。入り口のドアのところは、一番明るいライトで照らされ、外から入りやすく、また逆に外に出やすいように光が調整されている。マスターがいる一番奥のカウンターに向かって、次第に照明は光量を控えられ、カウンターの上の小さなダウンライトが椅子の前のカウンターの上を照らしているのみになっている。カウンターの中は、マスターの手元部分に灯りがあり、客席の方には光が漏れないように工夫されている。店全体が光をうまく配置し、客同士の間隔を制御しているのだ。店の中で過ぎていく時間を楽しむ客の座っている位置自体が絵になっているような錯覚に落ちる。もっとも、それを一番楽しめるのはカウンターの中にいるマスターだ。そう、この店はマスターが贅沢に過ごすためにも空間が演出されているのだった。

 この店には、まだ変わった趣向があった。ここには、レジという場所が存在しない。レジは空間のイメージを損なうということで置いていないし、受付の場所すらない。そして、お釣りのやりとりもない。マスターは勘定を直接受け取ることもない。その行為自体が現実に引き戻してしまう行為なので店内では一切お金のやり取りがないのだ。セキュリティの観点でも現金を扱わないに越したことはない。この店は入る前に電子マネーで前金決済をする仕組みを導入していた。入店時に前金を入金して店内の非現実的な空間を楽しむことができる。もし、過不足があれば、次の入店の時に追加調整されるらしい。けっこうおおらかな勘定だ。

 そして究極の趣向は、突然お店に現れるマスターの奥様が、光のアートを披露してくれることだろう。カラフルな光を使うわけではない。まるでモノクロ映像をみるような光のアートだ。ゆっくりと泳ぐクジラを店の天井から壁に向かって泳がせたり、南極の氷が溶けて落ちる様子を再現したりしてくれる。そして最後には、客が飲んでいるグラスに可愛い金魚を一瞬だけ表示してくれる。まるでマジックショーのように。グラスの金魚はグラスからグラスに飛び移り続ける。客は瞬きするのも忘れて光の動きに心を奪われていく。そして最後には、光が全て消え、漆黒の闇に一瞬だけなったかと思うと、マスターと奥様がカウンターの中で仲良く並んでいるのが浮かび上がってショータイムが終了する。

 マスターはいつもどおり、その時来てくれている客に挨拶をする。挨拶は毎日のルーティンになっている。

「本日は、お越しいただきありがとうございます。美しい器と光は、心を優しくしてくれます。そして適度なアルコールは心を開放してくれるでしょう。お客様にとってはわずかな時間でもそれを体験していただければと思い、この店を開けています。お客様にとって、大切な方は美しい器と同じだと思います。お客様の帰るべき場所で大切にしてあげていただければと思います。では、閉店までごゆっくりとお楽しみください」

 外は、いつものように夜のとばりに包まれ、人通りも次第に少なくなっている。店内だけは時間が止まったように静かに時間が流れ、淡い光の中、一人ずつ客は店をあとにした。最後は、マスターとマスターの奥様だけとなり、二人は店内で言葉を交わすこともなく、大好きな江戸切子のグラスで光とウィスキーを楽しんでいる。二人はお疲れ様のキスをして、今日の営業を終了する。表の看板の電気も消え、非日常から日常に戻る。


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