【SS】 大好きな可憐 #シロクマ文芸部
走らないでいいと思い、安心していた一人の陸上部選手がいた。高校2年生で舞常賢徒という、本来は陸上とは無縁の高校生だった。賢徒が好きになった女の子で同級生の走姿可憐が女子の陸上部に所属していたので、そばで可憐の走りを見たくて陸上部に入部したという不純な動機の持ち主だった。もちろん、可憐は賢徒のことを想っているわけではない。賢徒の片想いである。
陸上部のメンバーは、迫っている大会に向けて最終調整をしている。賢徒も一応、陸上部なので練習メニューをこなしている。だが、タイム的にはどう頑張ってもトップにはほど遠く、大会があってもレギュラーに選出されることはほぼなかった。賢徒自体も大勢の観客の前で走るということを想像もしていない。どちらかといえば、目立つのが苦手な方だったのだ、人前に出ると緊張してしまうのだ。なので、専用のスパイクシューズさえ準備していなかった。
ところが、大会が迫って後二週間という時、事故は起きてしまった。陸上でトップの二人を乗せた車が、大会が行われるトラックの感触を確認するためにタクシーで移動していた。そこに居眠り運転の乗用車が左横から突っ込んできたのだ。脇道からいきなり現れた車をタクシーが避け切れるはずもなく、走行車線を走っていたタクシーは、追越車線に押し出され、後ろからやって来たトラックに追突されてしまうという大事故になってしまったのである。後部座席に座っていた選手二名は、一般道だったためシートベルトをしていなかった。運転手が急ブレーキをかけたことで前に飛ばされ胸を打ち、肋骨にひひが入ってしまったのだ。そしてそこにトラックが追突して首も捻ってしまった。
程なくしてやって来た救急車で二人とも病院に搬送され、即入院になってしまった。幸いにも、命には別状もなく、安静にしていれば三ヶ月ほどで陸上競技に復帰できる見込みと診断された。しかし、二週間後に迫った大会には出場できない。そこで、顧問の先生から賢徒に連絡が入ったのだ。
「賢徒、今度の陸上大会だが、一郎と洋一が交通事故に遭ってしまったんだ。来年のことも考えると、大会に穴を開けられないので代わりに走ってくれ。賢徒には百メートルを走ってもらいたい」
「えっ、先生。僕のタイムではちょっと無理ですよ」
「いや、申告タイムは十一秒で提出しておくから大丈夫だ」
「え、いや、そんなタイム出したことありません。てか、一郎より速いじゃないですか」
「大丈夫、大丈夫。心配するな」
問答無用でノミネートされてしまった賢徒は、迷った。恥はかきたくないけど、そんなに速くも走れない。賢徒は十三秒を切るのがやっとくらいの速さだった。このまま出場すれば、赤っ恥をかくことは目に見えている。賢徒は悩んだ。そして奥の手を使うことにした。
賢徒は自分の分身ともいえるアンドロイドを持っている。実は、賢徒の父親はロボット工学博士であり、限りなく人間に近いロボットの研究開発をしている研究者だった。その一環でシリコンで作った精巧な皮膚で覆われた人そっくりのアンドロイドを作ったのである。どうせ作るならと自分の息子そっくりで身体能力の高いアンドロイドを試作したのだった。難点はバッテリーの消耗が早く、二時間しか活動できないことである。
賢徒は考えた。そして、百メートル走の一種目だけなら、ロッカールームで入れ替わればなんとかなりそうだなと思ってしまったのだ。ここから大きく運命のレールが変わっていくことを考えてもいなかった。
いよいよ、その時がやって来た。スタートラインに並んでいるのは、賢徒そっくりのアンドロイドだ。離れて見ていれば全く区別はつかない。ただ、横にならんだ選手たちは違和感を感じないのかが心配だった。アンドロイドのアイカメラを通してロッカールームで映像を見ていた賢徒は、誰も不思議そうにしていないことに安心していた。
スタートの合図が鳴り響いた。全員が素晴らしく綺麗に横一線に並んだまま走り始めた。なんということだろうか、歩幅、速度が皆同じに見えている。横一線状態が五十メートルを超えても変わらない。こんなことは陸上の歴史上初めてである。選手たちはそのまま横一線のままゴールしてしまった。写真判定の結果、千分の一秒まで完全に同時だと判定された。走ったのは八人の選手。タイムは、十秒七七七。全員が走り抜けた後はそのまま姿が見えなくなった。賢徒は戻ってきたアンドロイドをロッカーの中に押し込んで、トラックに戻っていった。その時には他の選手も戻って来ていた。その時、アナウンスが流れた。
「ただいまの百メートルは、全員同時という稀に見る結果となりました。審査員同士で話し合った結果、再度百メートルの競技を実施するということになりました。選手の皆さんは、もう一度スタートラインに集合してください」
会場は湧き上がった。今見た信じられないレースをもう一度見ることができるかもしれないという期待感だった。だが、八人の選手の表情は曇っていた。何人かは抗議もしていたが聞き入れられなかった。賢徒も困惑していたが、逃げ出す場所がないし、アンドロイドと入れ替わる時間もない。
再び、百メートル走のスタートの合図が鳴り響いた。先ほどとは打って変わって、全員の走りがおかしい。二回目なので筋肉が疲れているのかと思われたが、そうではない。明らかに全員が一回目とは違う人間のような走り方になっている。フォームも綺麗ではない。賢徒も同様だ。今回はゴールもバラバラ。一着のタイムは十二秒五。信じられないくらい遅くなっている。賢徒は十二秒七で自分自身としてはベストタイムだった。
審査員たちが、一回目と二回目のビデオを見比べている。何かおかしいと感じたのだろう。八人の選手たちは別室に呼ばれていった。
「君たちは何か不正な行為をしたのではないか。一回目と二回目では明らかに違う人間としか思えない走り方だったぞ」
選手全員が下を向いていた。そこに賢徒の父親がいきなりドアを開けて入ってきた。
「あなたはどなたですか」
「私は、ロボット工学博士の舞常と申します」
「えっ、あの有名な舞常博士ですか」
「あ、父さん」
「えっ、賢徒がなぜいるんだ。ははぁ、お前も使ったんだな」
「うん」
「大会主催者の審査員のみなさん、申し訳ありません。この最終レースは私が企画したレースでした。七体のアンドロイドで競わせたらどうなるかということを実証しようと思った結果なんです。できれば観衆がいた方が盛り上がるだろうと潜り込ませていただきました。記録からは削除してもらって構いません。というか、それが当たり前ですね」
「しかし選手は八人ですよ。今、博士は七人とおっしゃいましたが」
「ええ、私の息子が混じっていましたが、多分、何かの手違いだと思います。彼に作ってやったアンドロイドをベースに、他の七人のアンドロイドを作ったのです。クローンのように身長と顔以外の仕様を完全に合わせたんです。そしたら、完璧に同じ動作を再現できました。これは、今後のアンドロイドの開発において重要な結果を得ることができました。本当にありがとうございました」
ポカンとしている審査員を前に、舞常博士は息子と共に、大会会場を後にした。もちろん、アンドロイドも一緒に。
「父さん、僕、陸上部辞めるよ。やっぱり向いてないみたいだし」
「舞常くーん、待って〜」
追いかけて来たのは、可憐だった。どうやら一回目も二回目の走りも観客席から見ていたようだった。
「舞常君、ズルはだめだよ。私はこれから走るんだから、帰らないで応援してくれる? そして、終わったら一緒に帰ろう」
「えっ、本当に。わかった。一生懸命、応援するよ。父さん、ということなんで一人で帰って。僕は可憐ちゃんと一緒に帰るよ」
舞常博士はニコッと微笑み、賢徒のアンドロイドを抱えて帰っていった。賢徒と可憐の距離は一気に縮まったようだ。
了
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