「普通って?」
世の中にはたくさんの「普通」がある。
学校も会社も休まず行くのが素晴らしい。
仕事は変えずに勤め上げるのが素晴らしい。
親なんだから。
母なんだから。
社長なんだから。
子どものくせに。
女のくせに。
男なんだから。
生きていると、そんな言葉をたくさん耳にする。
でも時々思う。
その普通は、本当に普通なのだろうか。
私たちは生まれた時からその普通を知っていたわけではない。
家族から。
学校から。
テレビや雑誌から。
職場から。
SNSから。
いろいろな場所で見たり聞いたりしながら、
少しずつ「これが普通なんだ」と覚えてきた。
気づけば、
その普通を基準に人を見たり、
自分自身を測ったりしている。
でも、本当のところはどうなのだろう。
支援の仕事をしているとよく思う。
目の前にいる利用者さんは、
誰一人として同じではない。
一人暮らしを続けたい人。
畑仕事だけはやめたくない人。
人付き合いが苦手な人。
家族と距離を置きたい人。
家族ともっと一緒にいたい人。
その人にはその人の人生があり、
その人にしか分からない思いや事情がある。
だから私は、
「普通はこうだから」
という言葉に少し違和感を覚える。
それは時々、
その人自身ではなく、
その人が背負っている看板を見ているように感じるからだ。
親。
妻。
夫。
社長。
子ども。
ケアマネ。
私たちは知らないうちに、
看板を見て人を判断してしまうことがある。
でもそう思う私自身も、
同じことをしている。
良い親でいなきゃ。
良い妻でいなきゃ。
良い上司でいなきゃ。
良いケアマネでいなきゃ。
そんなことを考えてしまう。
そうなりたい気持ちもある。
でも時々、
そう見られたい気持ちも混ざっている気がする。
「良い」の基準は誰が決めたのだろう。
私は何を気にして生きているのだろう。
何を目指しているのだろう。
そんなことを考える日がある。
不思議だなと思う。
犬は犬として生きている。
猫は猫として生きている。
空を飛ぶ鳥は、
良い鳥になろうなんて考えていない気がする。
きっと人間だけなのだろう。
自分で作った「こうあるべき」に縛られてしまうのは。
人はいつも何かを背負って生きている。
親だから。
妻だから。
夫だから。
社長だから。
子どもだから。
ケアマネだから。
ひとつひとつは小さくても、
積み重なれば重くなる。
少ない荷物の人もいる。
どっしりと大きな荷物を抱えている人もいる。
そして時々、
「ああ、荷物が増えてきたな」
と分かる日がある。
心に余裕がなくなったり、
少しのことでイライラしたり、
いつもなら気にならない言葉に傷ついたりする。
そんな時、私は神社へ行く。
何かをお願いするためではない。
木々の音を聞いて、
風を感じて、
空を見上げる。
ただそれだけだ。
それなのに不思議と涙が出ることがある。
悲しいわけではない。
苦しいわけでもない。
張りつめていた何かが、
少しずつほどけていくのだと思う。
帰る頃には気持ちが軽くなっている。
たぶん私は、
そこで荷物を少し下ろしているのだろう。
最近思う。
大切なのは、
荷物を持たないことではない。
生きていれば荷物は増える。
役割も増える。
責任も増える。
悩みも増える。
だからこそ、
荷物で動けなくなる前に、
自分で軽くする方法を知っていること。
それが大切なのだと思う。
神社でもいい。
散歩でもいい。
温泉でもいい。
コーヒーでもいい。
空を見上げることでもいい。
自分の心が少し軽くなる方法を持っていること。
そしてもう一つ。
自分の荷物をそのまま誰かに乗せないこと。
言葉には重さがある。
余裕がない時ほど、
その重さは周りに伝わってしまう。
完璧にはできない。
私も時々こぼしてしまう。
それでも、
できるだけ誰かの荷物まで増やさない人でいたいと思う。
世の中の普通は、
本当に普通なのだろうか。
その人の普通は、
その人にしか分からないのかもしれない。
だから私は、
普通を探すよりも、
目の前のその人を知りたい。
そして、
私自身のことも、
もう少し知っていきたいと思う。
