ポケモンの「にげる」の回数が"0回"を誇るな
「俺、にげたことないぜ!」と言ったことありませんか?
1章 いろんな事から逃げてきた
子どもの頃、ポケモンの「にげる」コマンドをあまり使わなかった。
「にげる」の回数がカウントされると、負けたような気がしたから。
でも、大人になるにつれ「にげる」コマンドを使うようになった。
一般論や学校教育では「逃げは悪」と教えられますが、ゲームの世界では「にげる」コマンドが明確にあり、撤退は戦略の一つとされています。
ポケモンでも、逃げることで野生ポケモンとの戦闘を回避できます。レベルの低い雑魚戦はスルーし、経験値の高い敵のみを倒し、リソースを温存して次へ進むことができます。
一方で、現実で「にげる」を明確に選択することはあったでしょうか。
少なくとも私はほとんどありません。気づいたら忘れていた、自然消滅していた。。。受け身の「にげる」経験は沢山あります。これを「質の悪いにげる」とした場合、ポケモンの「にげる」は「質の良いにげる」ではないでしょうか。
2章 質の良い「にげる」
結論から言うと「質の良いにげる」は自分で選択した「にげる」です。 「にげる」理由に、目的やメリットが分かっていれば最高です。 ポケモンに話を戻すとゲームの「にげる」の目的は、「経験値効率の高い敵のみを倒し、リソースを温存すること」と明確です。 このゲームの"一般的"な最終的な目的はチャンピオンを倒し殿堂入りすることであり、効率化の観点から「にげる」選択は合理的なことが明らかです。 このようにゴールと選択できるコマンドが明確になっている場合は簡単に「にげる」選択を取ることができます。
しかし現実では、逃げる段階で理由が明確になっているケースは多くありません。
聞くだけの会議に参加するかしないか
近所付き合いをどうするか といった小さなことから
進捗のない惰性でしているプロジェクトを切るか
キャリア変更のために会社を辞めるか といった大きな選択まで
「にげる」を選択肢として考慮すべき状況でも、
「ここで逃げたら勿体ない」、「にげたらもっと悪くなるのではないか」と"「にげる」から逃げる"ための言い訳として継続を選択することがあります。実際にそうした場面で“主体的に”逃げることは、エネルギーが必要な行動です。しかし、長期的な目線で見れば、効率的かつ楽な選択である可能性もあります。このように自分で選択した「にげる」は逃げた後の後悔が少なく、道を誤る可能性が低いと考えています。何故なら、逃げ先をイメージするからです。私の例としては、大学院まで進学しながらも、現場に足を運び顧客と調整をする営業のような仕事に就きました。大学院の研究で「こりゃだめだ。毎日同じ部屋にいるのがツライ」と感じ、もっとブラブラできる仕事逃げる形で仕事を選びました。結果として今は後悔していませんし、あのまま順当に研究職を追い求めいたことを想像してもゾッとします。「にげる」を選ぶ時の感情は自分の適性を測るための指標にもなります。
3章 質の悪い「にげる」
では逆に、質の悪い「にげる」とはどのようなものでしょうか。
単純に質の良い「にげる」の逆で、自分で選択していない「にげる」、いわば無意識の撤退です。
自分で選ぶという意識もなく、方向性を定めたわけでもない。ただ気づけば離れていた――そんな逃げ方です。
私の例で言えば、「毎日書く」と決めた日記を、ある日から何となく書かなくなったり。仕事においても、向き合うべき長期的な課題を先延ばしにし、結局、自然消滅や後日炎上してしまったり。
このような「にげる」は、逃げ先のイメージがないことに加え、「自分でにげると決めた」という経験になりません。結果として、「選んでいない逃げ」は【再開↔停止】のループを生み、意思をもって選択したという実感が得られないまま時間だけが過ぎていきます。このような決断のない逃げこそが、私の考える質の悪い「にげる」です。
4章 現実では「にげる」が難しい理由と解決策
ポケモンの「にげる」が戦略的な判断であるように、現実における「にげる」もまた、自分の体力や精神を守り、重要な物事へフォーカスするための手段です。
しかし残念ながら、現実世界では、ポケモンほど選択肢が明示されていません。他人との関係がつらい時、「やめる」という選択肢はメニューに並んでいないように感じ、転職や異動についても転職エージェントやサイトに唆(そそのか)されることが多くあります。加えて、「今の環境を離れる」という行為は、同じ環境にいる人から、まるで「負け」を認めるような雰囲気を感じます。つまり、「にげる」の選択が難しい理由は、「逃げた先に何があるか」が、あまりにも曖昧なことです。先が不透明なまま逃げることには勇気が必要であり、特に自分で明確に選択する際には恐ろしく大きくのしかかってきます。
この問題を乗り越えるための解決策として、唯一挙げられることは「この選択を将来自分が後悔しないか」、これに尽きると思われます。逃げるときに明確なビジョンや目的があれば何よりですし、自分が消極的な逃げではないと誇れるのであれば十分です。
このままでは精神を病んでしまう。
将来の収入が危ういかもしれない。
自分には向いていない。
やっていても面白くない
このような理由で十分です。大事なのは「にげる」判断を自分ですることです。この判断こそが「にげる」コマンドを押すために必要な解決策だと思います。あとは退職代行を使うなり、意識的に自然消滅を狙うことも良いと思っています。キリをつけるのは自分の中であり、他人から見た明確さは重要ではありません。
5章 「にげる」ことで正解をさがす。

タイトルに戻りますが、ポケモンにおいて「にげる」を選ばずにプレイすることは、一種の縛りプレイとして楽しむ手段のひとつです。(否定していません。)ゲームとしての難易度や達成感を高める、良い遊び方だと思います。
ただ、そのスタンスを現実で誇ることは私は好きではありません。「にげる」を選べない、そもそもメニューに存在しないようなゲームとは、一本道であり、RPGではなく作業ゲーです。社会においても、成果ではなく実行が目的となる所謂「手段の目的化」です。情報やコンテンツが多様化した今、私たちに本当に求められているのは、「これをやる」よりも「これをやらない」と判断する力ではないでしょうか。
私も多くのインフルエンサーが活躍している姿を見て「自分にもできるかもしれない」と手を出したくなることがあります。興味を持って手を出すこと自体は尊重されるべきことですが、誰しも適正や才能、そして運があります。しかし、向いてないと思った時に、「いつまで先延ばしにする」「今後はやらない」と一度「選択」をすることが重要です。それでも止めたくないと思えるものこそ、自分が大事にしていることであり、継続するための活力になるのではないでしょうか。
