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旧東海道視察旅✕プロジェクト㉑(関宿~土山宿)

皆さん、こんにちは。こんばんは。
オノケンです。
前回からだいぶ間が空きました。
今回は、旧東海道視察旅とプロジェクトをかけあわせたお話の21回目となります。
過去の記事をお読みではない方は、以下にマガジンのリンクを張っておきますのでご笑読ください。


前回までの振り返り

1つ前の記事では、第十五回遠征(庄野宿~関宿)を執筆しました。
今回は第十六回遠征として関宿~水口宿+三雲駅をお送りする予定でしたが、関宿~土山宿土山宿~水口宿+三雲駅の前後半に分けます。
今回は前編ということで、関宿~土山宿となります!

補足ですが、太字かつ下線の入った部分は、該当内容のURLを埋め込んでいますので、ご興味があればリンク先もご確認ください。また、文章に適宜埋め込んでいる画像は、Google Maps大先生のお力をこれでもか!とお借りしています。ご容赦を。。

第十六回遠征前編(関宿~土山宿)

今回の遠征(前編・後編合わせる)は、関宿から水口宿+三雲駅までの約35Kmの遠征となります。少々強行軍ですが、比較的交通機関の厳しい場所となるため無理をした形に。途中に宿はあるものの、仕事の都合で回避せざるを得なかった部分があります。
では、本編へ。

関宿~坂下宿

前日に京都入りし、JR琵琶湖線の始発に乗って草津駅へ。そこからJR草津線に乗り換えて柘植駅に。さらに柘植駅でJR関西本線に乗り換えて関駅に向かいます。
ただ、この日は朝からトラブルが発生し、柘植駅で乗り換えの電車を待っていたところ、車両に動物(鹿?)が接触して遅延が発生。
長丁場となる今回の遠征、先行き不安な部分はあるものの、慌てふためいてもどうにもならないため電車を待つことに。
幸いにして15分程度の遅延で済んで関駅に到着。
前回中断した関宿の本陣跡へ向かい、いつもの如く エイエイオー! と心の中で雄たけびを上げ遠征再開です。

JR関西本線 関駅
高札場
旧い町並みが続きます
関宿も終わり、次の坂下宿へ
目の前の道路は国道1号線です
国道1号線を少し歩いた後、旧道は横に逸れていつものように細道に
しばらく歩いた後、再び1号線沿いを歩きます
1号線沿いに登坂が続きます
坂下一之瀬の一里塚跡
一里塚跡を過ぎて最初の分岐を右手へ
勾配が一気に上がります
途中、旧東海道の宿場町が刻まれた木の棒が
左脇には不思議な形をした建物が
鈴鹿馬子唄会館とのこと
しばらく歩いているといつの間にか松屋本陣跡に到着
ゴミ捨て場の横に太竹本陣跡
梅屋本陣跡
小竹屋脇本陣跡

坂下宿の本陣跡に到着。
今回の視察旅で1、2番を争うほど宿場町の痕跡が残っていない場所かもしれません。ただ、かつては難所・鈴鹿峠を控えた宿場町として賑わい、江戸中期には本陣3、脇本陣1を含め旅籠51軒、町並5町56間あり、宿場の範囲は河原谷橋から岩屋観音までの約1kmであったとか。元々はもっと西側にあったものの、土石流で流されてしまい現在の位置に移設されたそうです。

視察した当時、地元の方が道を歩いていらっしゃって気さくに話しかけてくださいました。10分ほどでしたが、心が温かいもので満たされたなと。

さて、いよいよ最後の山場である鈴鹿峠を越えて土山宿へ向かいます。約10Kmの道のりです。

坂下宿~土山宿

坂下宿を後にして先に進むと国道1号線と合流
荒井谷(元坂下)の一里塚跡
フェンスなどで見えないのですが、このあたりにあります
画像正面の奥にもガードが見えるかと思いますが、あちらの方面が旧道になります
GoogleMapsの基本的な画像では旧道がないため、有志の方の画像をお借りして紹介します
旧道
このあたりは路面がある程度舗装されていて歩きやすいです
片山神社
鈴鹿峠を守護する鈴鹿大明神で坂下宿の氏神
大変申し訳ないものの、下から参拝をさせて頂きました
登山モードに
ところどころ石垣があります
登山モードでズンズン進むと鈴鹿峠が
三重県と滋賀県の県境になります
登りきると思ったよりもキツくは感じませんでした
鈴鹿峠を抜けた先にある万人講常夜燈
こちら金比羅参りの安全を祈願して建てられたとか
国道1号線との合流地点
左奥側から手前に進んできた形となります
ここからしばらくは国道1号線沿いに歩きます
新名神高速道路の下をくぐります
写真では伝わらないと思いますが、真下から眺めると圧巻
山中の一里塚跡
一里塚跡を過ぎて少し歩くと、旧道は右手に逸れます
猪鼻村の説明書き
猪鼻村旅籠中屋跡と明治天皇聖蹟
猪鼻村から1号線にカムバック
少し進むと旧道は1号線を逸れて右手へ
右手に入って直ぐのところに神社が、大きなシイノキもあります
GoogleMapsだと人が写り込んでいるためUpは控えます
工場の間を旧道は続きます
蟹坂古戦場跡
高札場跡
突然現れたものの本陣跡はもう少し先に
東海道五拾三次土山の解説文
旧道は田村神社の中を抜けます
神社を抜けた先は国道1号線があり、旧道は左手正面の細道に続きます
右手には新しくなった道の駅がありますが、
歩いた当時は前の建物だったためどの様に変更されたのかは不明
当時、こちらでお昼を頂いた後、お土産品などを見て回った記憶があります
土山宿の案内板
本陣まであと少し
土山の一里塚跡
二階屋本陣跡
問屋場跡
土山家本陣跡

土山宿の本陣跡に到着。
坂下宿とは真逆で、各所に「〇〇跡」の碑石が立ち並びます。一軒に一碑石ぐらいの勢いを感じるほどに充実。
1843年の東海道宿村大概帳によると、家数351軒、人口1,505人、本陣2軒、旅籠屋44軒を数える宿場町だったようです。名物としては「お茶」「木櫛」「蟹が坂飴」があり、名所図会などでも紹介されていたとか。
あらためて振り返ると、当時の道の駅に立ち寄った際に、木櫛がズラーっと展示されていたように記憶します。

さて、次は水口宿へと向かいますが、今回の記事は一旦こちらで終わります。


まとめ

第十六回遠征(前編)として、関宿から土山宿を紹介しました。
GoogleMaps先生のお力が及ばない場所が多く、特に鈴鹿峠の魅力をお伝え出来なかった点が心残り。。
可能であれば、実際に訪れて頂きたいものの、山道のような場所が所どころあります。行ってみたい!と思われた方は、足回りだけは整えてください。

各所のWebページを参考に貼付します。

さて、次回は第十六回遠征(後編)として、土山宿~水口宿(JR三雲駅)まで執筆予定です。

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それでは次回の投稿をお待ちください。