お前のnoteには愛がないんじゃないのか
noteを書くのに、愛なんて必要ですか?
書くことは、孤独です。
よく交流とかいってますけど、書くときなんて誰もが最後は孤独です。
一人でなければ書くことはできません。
私は、私のために書くだけなのです。
大事なことは継続です。
辛抱強く、忍耐強く、続けていく。
うまくいかなくても、誰も見ていなくても、重い荷物を背負って砂漠の中を淡々と進んでいくラクダのように。毎日、少しずつ。
孤独に続けられる人間だけが、忍耐力を身につけます。
続けられない人間は言い訳をしているだけです。
その忍耐力は、誰にも奪われることはありません。
だから、愛なんて必要ないのです。
そう言い聞かせながら、ふと立ち止まって思い浮かべる。
なぜ書き続けているのかって?
それは努力することで自分の能力を高めたいから?
がんばりを自分で認めてあげたいから?
いや……
本当は、書くんだったら、誰かに見つけてほしいんだ。
読んでほしい。
認めてほしい。
報われたい。
そんなの誰かに承認されたいからに決まっているじゃないか。
人はみんな承認欲求のかたまりみたいなもんだ。
報われたい。なんとしても。
だから、ただ辛抱強く書いているだけじゃだめだ。
読まれるためにすべきことは何でもやるべきだ。
タイトルは気を惹くタイトルにしなきゃ。
見やすくて読みやすい文章にすべきだ。
noteだけじゃなくて、Ⅹとか他のSNSもやらないと。
アカウントやプロフィールだって最適化しなきゃ。
サムネイルだって工夫しないと、文章以外にも力を入れるべきだ。
そう、あの人のあのアドバイスどおりにやるべきなんだ。
「お前はこうすべき」
巨大な竜の鱗の一枚一枚。そこに「お前はこうすべき」と刻まれたタイムライン。スマートフォンをスクロールするたびに、それは溢れだしていく。
まるでそれが、すべての源泉であるかのように。
ありあまる言葉は、もう既に全部書かれつくした跡地みたいだ。
これ以上、新しく書けることなんてもうないんじゃないか。
「お前はこうすべき」
そこに書いてあることがすべて。
ただ、それに従うべきなのだ。
……本当に?
本当にそれはすべてなのか。それが従うべき一切の価値なのか。
それに従えばいいのか。それだけでいいのか。
「わたしはこうしたい」
そう思っちゃいけないのか?
違う。諦めろ。従うのだ。
みんな気を遣って言わないだけだ。お前が「こうしたい」は通用しない。
お前にはやるべきことがたくさんある。
それは違う!
「お前はそうすべき」から自由になりたい。
「わたしはこうしたい」
もしそれが、見えない境界線で囲まれた世界なのだとしたら。
その世界は、忍耐強い従順な誰かが反旗を翻すことを恐れているだけではないのか。
今こそ自由になりたい。
奪い取れ。新しい創造への自由を。
勇気を振り絞れ。ライオンのように。
「わたしはこうしたい!」
その瞬間、眩い光とともに巨大な竜はただの平面となり、わたしが世界のすべてだと思っていたものは失われた。
いや、大げさだ。最初からそんなものなかったのかもしれない。
新しいはじまりは、どこにだって線を引ける。
それは、一度すべてを失った時だ。
「さて、どうしたものか」
どこにだって線を引けるのだったら。
遊ぼう。
新しいはじまりは、新しい創造という遊戯だ。
わからなければ遊べばいい。
今まで敵だと思っていたものをすべて、まるで子どものように肯定するのだ。
―お前のnoteには愛があるのか。
心に響く文章も、「お前はこうすべき」と煽る文章も、読むのが辛い文章も、腹が立つ文章も、固すぎる文章も、敵だと思っていた文章も、そして愛なんて必要ないと書いた孤独な文章さえも、すべてを、さあ、子どものように無邪気に全部肯定し、
愛せよ。
(1493字)
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