ことば、身体、学び 「できるようになる」とはどういうことか(為末大、今井むつみ著、扶桑社BOOK新書)
でも、我々がこの本で話してきた学びというのは、もう少し根本的な、人間の学びの変化に目を向けてみようというというものです。
根本部分の上にはさまざまなスキルが乗っていますが、それらは固定化されたものではなく、幅広い状況に応用可能なものにしていくこともできます。さらに、1階部分の学びは終わったと、みんな思っているかもしれませんが、実はこの部分もまだまだ開拓できます。
「ことば」とは何か
そんな大きめの問いを云々している週末です(笑)
一つ読んでみた本を、備忘録的に残しておこうと思います。
「ことばとは何か」という問いは、簡単に明確な答えが出る問いではありません。
しかしながら、やはりどこかで通っておきたい気がする問いでもあります。
少なくともnoteを書いている人は、常に考えるはずですし、そんなことを考えていないという人も無意識に通っている問いのはずです。
明日、書こうとしている過剰考察記事もこのテーマが関係していたので、立ち寄ってしまいました。
そうはいっても「ことばとは何か」的な問いの本というのは、ざっと調べただけでもいろいろあって、まあそう簡単に読み切れそうにありません。
現状で読んでみたうちの1冊を取り上げてみようと思います。
※ アマゾンのアソシエイトに加入しています。
為末大さんは、オリンピックメダリストで、「熟達論」などの著作も話題になりましたが、ことばの使い方が深い方だと思っています。特に、陸上競技者としてのトップクラスの身体感覚をいかに言語化するかということについて、研ぎ澄まそうとする姿勢を感じます。
今井むつみさんは、言語心理学の著作がたくさんある学者の方で、「言語の本質」新書大賞2024になっています。オノマトペを切り口にしたスリリングな内容でした。
本書は、「ことば」に対するアプローチに、身体感覚というものが絡んでいます。そのうえで、言語的にも身体的にも、人はどのようにできるようになるのかというところにスポットライトを当てている気がします。
この本を面白く読むためには、まず、我々にあるバイアスを一つ取り除いてみるというのがいいのではないかと思います。
それは、あとがきにある、「モア・イズ・ベター」を信じる思考バイアスです。
人間は実に多くの思考バイアスをもっています。そのひとつ─もしかしたら最大のものかもしれません─が「モア・イズ・ベター 」(More is better)を信じるバイアスです。何でも、多いほうがよい。資源、資産は多いほうがよい。知識も多ければ多いほどよい。
これはほとんどの人が同意する共通認識です。この認識は、さらに、個人の学び方にも、社会の教育観にもダイレクトに影響を与えます。今はやりのことばはリスキリングとタイパ。どちらも、「モア・イズ・ベター」の考え方が根底にあります。
この本を読んで遠回りな議論ををしているように見える部分は、もしかしたら、この思考バイアスが存在しているせいかもしれません。
スキルは多いほうがいい、知識は多いほうがいい、コスパ良くたくさんの情報を取り入れることができたほうがいい。
生成AIの時代において、このなんでも多いほうがいいという、バイアスは拍車がかかっているといいます。
それに対して、この本で議論されていることは、どちらかというと知識やノウハウを減らす方向の提案がなされています。
この視点を持つことで、ことばと身体に対して見える世界の捉え方を少しすっきりさせることができるかもしれません。
一つは、映像よりも言語のほうが伝えるために有効なことがあるという指摘です。
為末さんは、陸上の指導をするときに映像を見せるよりも、言語で伝えるほうが有効な場合があると指摘します。
例えば、ハードルを跳んだことのない人に、ハードルの跳び方を教える際に、その動画を見せることよりも「ハードルの上に襖をイメージしてそれを蹴り飛ばすように」とシンプルなことばでコーチングしたほうが効果がでるということでした。
映像は、情報が多すぎて正確すぎるために人間が一度に処理できる処理能力を超えて伝わってしまうといいます。一方で、ことばは大事なところにスポットライトを当てることができる。そのため、コーチングには、ことばのほうが有効という指摘です。
これは、「多いほうがいい」というバイアスに対する有力な反対材料です。
あるいは、赤ちゃんが言葉を習得する過程。
世界に存在する情報は、乳幼児が一度に取得するには複雑すぎる。
子どもは状況の手がかりとなる少ない知識を使って、単語の意味を推論する。一度に複雑な情報を処理することができないために、取り入れる情報をあえて少なくして、身体感覚に紐づけられた最初の知識を自分で作り出す。
これは、「記号接地問題」の文脈でも用いられます。最初の言語の習得には、身体感覚がある。AIと対比されています。AIには、一番最初の身体感覚がない。ある記号からある記号へ変換をし続けているにすぎない。それがいいのか悪いのかはわかりませんが、人間の習得過程と全く異なることがわかります。とにかく、大量の信頼性が高いと考えられる情報を取り込みまくることで、記号としての言語を次々と生成していく。
これはすごいことですが、そのような「モア・イズ・ベター」の記号の伝達は、それを受け取る人間側の処理能力を超えてしまうかもしれません。
一方、子どもは、最初の身体感覚に紐づけられた知識を身に着けながら推論を重ねることで、ことばのシステムを自ら構築していく。試行錯誤しながら探求していく。そして、このことばのシステムそのものに自分なりに気がつくことで、言語の習得スピードが急にアップするといいます。
この熟達の過程は、まとめサイト的な知識を大量に取り入れる場合と大きな差を生じるといいます。
丸暗記型で大量のインプットを行うことは直近のテストや受験では、短期的には有利に働くかもしれない、が、その先に伸び悩むといいます。
模倣することはある程度のレベルまではいきますが、その先のレベルに到達する応用のところで伸び悩む。むしろ、少ない知識の本質を捉え、柔軟に応用を効かせるほうが伸びる。
ここにも「モア・イズ・ベター」の精神が、裏目に出る方向の指摘があると思います(ちなみに、この精神がおよそ不要であると言っているわけではないと思います。ある程度の効率化も上達のためには必要、しかし、ある程度のところまで習得した後に、その先の柔軟性を欠くと伸び悩むということを指摘しているのではないかと思います)。
ということで、とにかく「多いほうがいい」というバイアスをなくすことが、この本を読む際の楽しみ方なのではないかと思います。
そんななかで、「ことばとは何か」ということをもう一度少しだけ考えてみて、この記事を終わりにしようと思います。
世界は、多層的で連続的であり、ことばはその中から一層だけ取り出し、連続量ではなく、離散量としてカテゴライズをすると今井さんは言います。
ことばがあるから我々は世界を知ることができるのか、ことばで我々は世界を説明しているのか、それは難しいところですが、少なくともあいまいで何もない世界を、我々はことばをつかってカテゴライズしているということは言えるのではないかと思います。
例えば、赤や紫といった色は連続性(グラデーション)がある。ここに言葉を使くことで線を引き、区別をしている、そんなことが言えるのではないかと思います。
だから、例えば、我々がnoteに文章を書くという行為は、あいまいな世界にそれを区別する線を引いて、カテゴライズする行為ということができるのではないかと思います。
そして、文章の面白さは、そのカテゴライズした線をどう引くか、あるいはどう越えるかそんなところにあるのではないかと思ったりしています。
カテゴライズの線引きの仕方をいくつか持っておくことで、文章展開の方法やパターンをそれこそカテゴライズすることができるのではないかと思ったりしてます。
ということで、「ことばとは何か」に関する伏線を本書を参考にいくつか取り上げてみました。
他にも興味深い言及がいくつもあるのですが、そのあたりは是非読んでみてください。kindle unlimitedで読めるのでお得だと思います。
そんなわけで、次はこの問いにより具体的に踏み込んでみようということで、「今日一日を最高の一日に」
