なぜアメリカとイランは仲が悪いのか
2026年2月末、米国・イスラエルとイランの軍事衝突が始まった。
この衝突は原油高を引き起こし、日本にも年8兆円規模の所得流出として跳ね返っている。
ニュースを追っていると素朴な疑問が浮かぶ。
そもそも、なぜこの2国はここまで仲が悪いのか。
Q1. なぜ仲が悪いのか
一言でいえば、互いに「裏切られた」と思っているからだ。
アメリカは、1979年に大使館を444日間占拠された屈辱を忘れない。
イランは、1953年に民主的な政権をCIAに潰された恨みを忘れない。
どちらの言い分にも事実の根拠があり、どちらも自分を被害者だと感じている。
だから一方が譲歩しても、もう一方は「過去の借りがある」と納得しない。
これが70年続いた敵対関係の正体だ。
しかも、この感情の対立の上には構造的な利害が乗っている。
具体的には、石油利権、イスラエルとの関係、シーア派とスンニ派の宗派対立、核拡散問題だ。
感情と利害が絡み合って固着しているため、政権が変わっても関係が解けない。
Q2. 昔から仲が悪かったのか
意外だが、No。
戦後しばらく、両国はむしろ蜜月だった。
当時のイランはパーレビ朝という親米王政で、アメリカにとって「中東の優等生」だった。
実際、1950年代のテヘランの写真には、ミニスカートで歩く女性とジャズが流れる近代都市が写っている。
ではどこで反転したのか。
決定的な転換点は2つある。
転換点① 1953年:CIAクーデター
最初の転換点は、1953年のCIAクーデターだ。
当時、民主的に選ばれたモサッデク首相が、イギリス企業に独占されていた石油の国有化を進めていた。
これに反発したのがイギリスとアメリカだった。
イギリスは石油利権を失うことを恐れ、アメリカは冷戦下でイランがソ連側に流れることを警戒した。
両国の利害が一致し、CIAがクーデターでモサッデクを失脚させた。
その結果、石油利権は英独占から米英折半に変わり、アメリカも実利を得た。
この事件は、イラン人の集合的記憶に深い不信感を刻んだ。
「アメリカは口で民主主義と言いながら、都合が悪くなれば平気で潰す国だ」——これが現代の対立の原点になっている。
転換点② 1979年:イラン革命
2つ目の転換点は、1979年のイラン革命だ。
クーデター後、CIAに支えられたシャーの独裁が26年間続いた。
その間に弾圧と格差への不満が蓄積し、ついに革命として爆発した。
王政は倒れ、宗教指導者ホメイニ師が率いる「イスラム共和国」が誕生した。
これにより、親米路線は180度反転した。
さらに革命直後、決定的な事件が起きる。
アメリカが亡命中のシャーを受け入れたことに怒った学生が、テヘランの米大使館を占拠し、52人を444日間人質に取ったのだ。
この事件を境に、両国は国交を断絶した。
そして今に至るまで、正式な外交関係はない。
結論
ここまで見てきたように、2026年の軍事衝突は突然始まった出来事ではない。
それは、70年前にアメリカが蒔いた種が、革命を生み、人質事件を生み、相互不信を積み重ねた末の、最新の局面に過ぎない。
皮肉なことに、1953年の介入がなければ、1979年の革命も現在の反米イランも存在しなかった可能性が高い。
つまり、70年前の判断が原油高となって、今、日本の家計にも届いている。
それが今回のニュースの遠景だ。
元記事
イラン混迷で資源高、日本の所得流出8兆円に 食品減税上回る規模(日本経済新聞)
