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『温泉とプロポーズ』第2話

 青森へ陽太と二人で帰省した日から、1か月が経った。猛暑は9月になっても全く衰えることがなく、エアコン無しでは寝られない日々が続いている。    
 青森から帰ってきた日、突然「温泉を継ぎたい」と言い出した陽太との話し合いは、あれから全く進展していない。話を切り出された日は、あまりに予想外の展開ですぐに返答できなかったが、冷静に考えたら絶対にありえない。
 翌日から、陽太の提案がいかに非現実的なのか説得しようとする日々が続いていた。しかし、陽太も折れる気配が無い。この日も、久々にお互い早めに退勤して、陽太の家で一緒に夕食の焼うどんを食べている時に、議論が再燃した。

「やっぱり郷の湯を継ぐなんて、無理だと思うよ」
「もちろん、簡単だとは思ってないよ」
「簡単とかじゃなくて、無理だって。ありえない」

 青森に二人で移り住んで温泉を継ぐなんて、絶対に無謀だ。そんなの分かり切ってることだと思うのに、陽太は全然納得しない。普段は穏やかな陽太だけど、今回は固い意志を感じる。

「そもそも、今から二人で青森に住むのが想像できないよ」
「そうなの?綾さんにとっては地元なのに」
「でも、大学生のときに離れてからもう10年経ってるし。友達もほとんど県外に行っちゃったから、あっちで相談したり遊んだりできる人もいないし」

 中学校や高校の時に仲の良かった友達は、進学や就職でそれぞれ盛岡や仙台、関東の方へ引っ越していった。今更青森に戻ったところで、どうやって生活していくかイメージがつかないのが本音だった。

「大体、温泉を継ぐのも無謀だと思う。お父さんいつも、自分たちがやっていくだけで精一杯って言ってるし」
「それは、僕もお父さんから聞いたけど。じゃあ綾さんは、お父さんたちの代で郷の湯が終わってもいいの?」
「それは・・・」

 そう言われると、すぐには返答できない。もちろん私だって、郷の湯が無くなってほしいわけではない。だからと言って、陽太と一緒に青森に帰って、郷の湯を切り盛りしながら暮らすというイメージが、全く湧いてこない。

「なんで陽太は、自分が温泉をやれるって思えるの?今、やってる仕事なんて、全然、本当に何も関係ない業界じゃん」
「うん・・・もちろんそれは分かってる。だけど、僕はこのまま今の仕事を続けることが、自分の中ではしっくり来ないんだよね」

 確かに、陽太は少し前から、別の仕事に就くことを考え始めている様子だった。私に直接言ってきたことはないが、陽太が家のパソコンで求人サイトを見ているのを、たまに見かけることがあった。

「入社してそれなりに年数が経って、もちろんまだまだ未熟だけど、少しは慣れてきた所もある。今の仕事をこのまま続けて、もしかしたら出世することもあるかもしれない。でも、それが自分が目指すべき道だとは、思わなくなったんだ」

 伏し目がちに話す陽太の顔に、ちらっと視線を送る。陽太の言っていることについて、たしかに共感できる部分もある。私だって、陽太と一緒に入社して、今年で7年目だ。会社の中ではまだ若い方だが、自分がこのまま会社にいたらどのようなキャリアを歩むのか、最近朧気ながら見え始めてきたような気もしている。そのことに何とも言えない違和感を感じる、陽太の気持ちも分かる。
 でも、その違和感は裏を返せば安定しているということで、これから結婚して、家族になるために必要なことだと思っていた。そして陽太も同じように感じていて、これからの生活を考えてくれていると、期待していた。結婚に対する意識について、私と陽太ではかなり差があることが分かって、ショックを受ける。

「じゃあ、結婚もしないの?」

 泣き声になりそうなのをこらえて、陽太に聞いてみる。

「いや、それは別の話でしょ。どうして結婚しないってことになるの?」「だって、二人で仕事を辞めて青森になんて行ったら、これからどんな生活になるか、全然分からないじゃん。温泉の仕事を手伝っても、私たち二人分も稼げるわけない。そんな生活で、やっていけると思う?」

 建設的に議論をしようとは思っても、感情を止めることができなかった。話をすればするほど、結婚して二人で暮らしていくという将来が遠くなっていくように思えて、怒りと悲しみで口調が強くなっていく。

「私は、陽太も結婚について真剣に考えてると思ったよ。今の会社だったら、二人で働けば東京でも暮らしていけるし、もし子供が出来てもやっていけるって思ってた。でも、陽太は将来のことは考えてないんでしょ」
「いや、考えてるよ。考えてるからこそ、もう自分の中ではやりがいが見えてこない今の仕事じゃなくて、これから長くやっていけそうな仕事をしたい、って思うんだ」
「それが温泉だっていうの?何の保証もないのに?」

 これ以上は冷静に議論できないと思って、話すのを止めた。青森から帰って以来、何度か話し合いをしているが、話は平行線だ。本当は陽太の言っていることも受け入れながら話をしたいのに、いつも喧嘩のようになってしまう。
 結局この日も、温泉を継ぐかどうかの問題については進展がないまま、話は終わった。

 その次の週、9月中旬の土曜日。もうすぐお昼になる時間に私は地下鉄を乗り継ぎ、一人で錦糸町へ出かけた。陽太はしばらく残業が続いて疲れが溜まっているので、この週末は家で過ごすと言っていた。ここ最近忙しいみたいで、明日も日曜日なのに夜勤のシステムメンテナンスがあるようだ。 
 地下鉄の階段を登って外に出ると、出口からすぐのところに「生パスタが自慢!」と書かれた看板がある。看板を通り過ぎて店内に入ると、黄色のブラウスに黒いパンツの女性が先に席に着いてメニューを眺めていた。

「綾ちゃん、こっちだよ。久しぶり!」
「遅くなってごめんなさい、幸恵ゆきえ さん」

 幸恵さんは同じ会社にいる、5歳年上の先輩。仕事をテキパキとこなすけど、明るくて親しみがある。私が新人のときに同じ部署にいて、教育係として色々教えてくれた。右も左も分からず苦労していた新人時代、幸恵さんの明るさには何度も助けられて、仕事でも私生活でもよく相談に乗ってもらった。幸恵さんは福島県の出身で、東北トークで盛り上がるのも楽しかった。
 その後、幸恵さんは第一子となる息子さんの出産のために産休・育休を取得し、昨年職場へ復帰した。今の配属先は別になってしまったが、たまに話したくなるとお互い連絡を取り合っている。

「今日はありがとうございます。お子さん、大丈夫ですか?」
「うん大丈夫、旦那が見てくれてるから。綾ちゃんとご飯食べるの、一年ぶりくらいかな」
「そうですね、前回は幸恵さんが育休明けて、すぐくらいだったので。中々ゆっくり会えないですよね」
「うん、うちも共働きだからやっぱり大変だよ。でも今日は誘ってくれて嬉しい!」
 二人でランチコースを注文して、最初に来たサラダを食べ始める。初めての子育てと仕事との両立はやっぱり大変みたいで、幸恵さんからは苦労話が絶えない。それでも、明るくポジティブな性格は相変わらずだった。

「ごめんね、私ばっかりしゃべって。陽太くんの話だよね?」

 幸恵さんに連絡するときに、陽太ともめていることについて相談に乗ってほしいとあらかじめ伝えていた。陽太とのことは幸恵さんにも紹介していて、何度か三人で食事もしている。
 丁度テーブルに来た生ハムとルッコラのピザを皿に取りながら、陽太が郷の湯を継ぐと言い出した騒動について幸恵さんに説明した。

「なるほどね。陽太くん、そう来るかあ。やっぱり一味違うね」

 幸恵さんは腕を組んで、「なるほど」とうなずく。

「もっと深刻な話を聞かされるのかと思ってたけど、面白いね」
「面白くないですよ。このままじゃ結婚どころじゃないです」

 真面目な話のつもりで相談しているのだが、幸恵さんは楽しそうに話を聞いている。このままじゃ結婚が駄目になるということを危機感を持って伝えたいのだが、うまく伝わらない。

「今更青森で暮らしていけないですし、生活もできるわけないですよ」
「生活面はたしかに不安かもね。でも、帰ったら何とかなるんじゃない?私も、福島に帰りたいと思うことがあるよ」

 幸恵さんは2枚目のピザに手を伸ばしながら話す。幸恵さんがそのように思っているとは、意外だった。私から見ると幸恵さんは、東京で旦那さんと出会って、マンションも買って子供もできてと、私の理想とする人生を先に歩んでいて、順風満帆のように見える。

「そうなんですか?東京の生活を満喫していると思ってました」
「満喫はしてるよ、東京は楽しいしね。でも、人生のどこかで福島に帰る選択肢もあったのかなーとか、ふと考えるんだよね。今となっては東京で家も買ったから、当分はここから動かないだろうしね」

 テーブルに届いた鮭のクリームパスタをフォークでくるくるしながら、幸恵さんが話す。

「だから、地元に帰ることを検討できるなら、真剣に考えるのがいいと思うよ。しかも、陽太くんが行く気満々だっていうのが、いいよね。普通は地元でない場所に引っ越すのは嫌がると思うし」
「でも、せっかく結婚して二人で東京でやっていけると思っていたのに。人生計画が全く別のものになります」
「そこは、納得するまで話し合うしかないよ。これから、家族になろうとしてるんだから。結婚した後も、ずっと一緒なんだから、話し合う機会はこれからたくさんあるよ。うちだって、いつも喧嘩ばかりだよ」

 人生の先輩であり、そして会社の先輩でもある幸恵さんの言葉には、説得力がある。幸恵さんの家庭は何も問題がないかのように思っていたが、そんなわけがない。話し合ったりぶつかったりしながら、日々を暮らしているんだ。

「それにしても、陽太くんはやっぱり予想外の男だね。出会ったときから枠にはまらない男だと思ってたよ、彼は」
「本当ですか?今適当に考えたような感じですけど」

 そんなことないよ、と幸恵さんは楽しそうに笑う。相談する前に期待していた反応とは違ったけど、幸恵さんも自分の経験をもとに真剣にアドバイスしてくれているのが伝わってくる。
 ランチコースを全て食べ終わった後、すぐ近くのコーヒー屋さんに歩いて移動した。コーヒーの豆を自家焙煎している小さなお店で、奥に数席イートインできるスペースがある。数年前にたまたま見つけて、いつか幸恵さんと来ようと思っていたお店だ。
 私はアイスコーヒー、幸恵さんはアイスカフェオレと、二人で一つのスコーンを注文して、またたくさん話をした。仕事のこと、行きたい旅行先のこと、二人ではまっている韓国のアイドルのことなど、話題は尽きない。ひとしきり盛り上がって少し落ち着いたところで、幸恵さんがふと温泉のことに話を戻した。

「綾ちゃんの家の温泉、私もいつか行ってみたいなあ。綾ちゃんが不安なのはもちろん分かるけど、綾ちゃんと陽太くんが二人で温泉を継いだら、絶対入りに行きたい。温泉にも入れるし、二人にも会いにいけるし、青森に行く楽しみが増えるなあ」
「もしかして、それが理由で賛成しているんじゃないですよね」
「いやいや、そんなことないよ。でも、最近私の家の近くで廃業した銭湯もあるし、やっぱり応援はしたくなるよ」

 幸恵さんも温泉や銭湯は好きで、子どもが生まれる前は、たまに二人で気になる銭湯に入りに行っていた。会社のお昼休みに、最近は都内のどこの銭湯がお気に入りか、という情報交換をしていたことを思い出す。

「最近は、会社で銭湯を事業承継して、そこで働く社員を募集するところもあるみたいだよ。というか、私の大学のサークル友達が、何年か前からその会社に転職したんだよね。今は、池袋あたりの銭湯で働いてるよ」
「銭湯で働く・・」

 自分の家が温泉をやっているくせに、これまで自分とは関係ないと思っていたので、温泉や銭湯で働くことについて真剣に考えたことがなかった。

「綾ちゃんの家は温泉だけど、日帰りで地元の銭湯みたいなもんだって言っていたでしょ。参考になることもあるかなって思って」
「そうですね。ありがとうございます。私も、少し調べてみます」
「さっき話した会社の記事とか、後でLINEしておくね」

 今まで現実的に考えていなかったけど、銭湯や温泉で働くことについて何も知らないから不安になっていた、ということもあるのかもしれない。すぐに気持ちが変わるわけではないけど、少し調べて陽太と話をしてみようかな、と思った。

 その後は、また幸恵さんと他愛もない話で盛り上がる。子育ての苦労や育休明けの愚痴もあったが、それでも色んなことを明るく話してくれるので、私も楽しい。幸恵さんとは5つ歳が離れているし、性格も違うと思うけど、これからも関係を続けていきたいと思っている。気恥ずかしいので、本人に伝えたことはないけど。

 たっぷり2時間くらいおしゃべりをして、気づけば夕方になっていた。店を出て、幸恵さんと一緒に家のある方角に向かう。

「とにかく、綾ちゃんと陽太くんの納得がいくように話し合うことが大切だと思うよ。少し時間をかけていいんじゃない。もしまた喧嘩になりそうだったら、今度は3人で会おうよ」
「本当にありがとうございます。でも幸恵さん、やっぱりちょっと面白そうだと思ってませんか?」
「ちょっとだけね。二人はいいコンビだと思うから、きっと大丈夫だよ。また会おうね!」

 そう言って、幸恵さんは買い物をして帰るから、とスーパーの方に向かって行った。遠くからぶんぶん手を振る幸恵さんの姿に笑いながら、私も手を振り返す。
 何か結論が出たわけじゃないけど、幸恵さんに相談して色々頭が整理できたような気がする。今度会う時は、陽太ともっと落ち着いて話せそうだ。幸恵さんに教えてもらった銭湯の会社のことも、調べてみよう。
 今いる錦糸町から陽太の家まではすぐそこだけど、今頃家でゆっくりしているはずなので、今日は寄らずに帰ることにした。帰ることを伝えるメッセージだけ陽太に送って、地下鉄の駅へと続く階段を降りた。

 その後、機会を見て陽太と落ち着いて話そうと思っていたけど、中々その機会は来なかった。特に陽太が近頃、週末もメンテナンスで日勤や夜勤になることが多く、休日に二人で会えること自体が貴重になっていた。
 電話やLINEは二、三日に一度くらいのペースでしているけど、仕事で疲れているのにわざわざ難しい議論をぶり返すのも悪いかなと思って、温泉の話を中々切り出せずにいた。陽太の方からも、最近はあまり郷の湯に関する話をしてこない。陽太もどうするべきか、悩んでいるのかもしれない。 
 
 そうしている内に、カレンダーは10月になった。最初の土曜日は久しぶりにお互い何もない休日だったので、二人でお台場で遊びに行く約束をした。
 いつも買い物やランチを楽しんだ後に、近くにある銭湯や温泉で一風呂浴びるのが、私と陽太のデートコースの鉄板だ。遊んだ後にゆっくり入浴して、一杯飲んで帰るのがお気に入り。お台場にも、近くに食事や休憩もできる複合型の温泉施設がある。前日の夜に電話したとき、やっぱりお風呂には行きたいということで二人の意見は一致した。
 
 そして当日。お台場の駅で陽太と合流して、二人でダイバーシティへ向かった。陽太と実際に会うのは、久しぶりだった。最近夜勤が続いて忙しそうだったけど、思ったより元気そうでよかった。

「最近、忙しくて大変そうだね。身体は大丈夫?」
「うん、結構しんどかった。でもようやく少し落ち着いたし、しばらくは夜勤もなさそうだよ。綾さんは忙しかった?」
「私はいつも通りかな。最近は特にトラブルも無いし」

 話している内にダイバーシティに到着して、まずは二人のお気に入りのハンバーガーショップに入る。私はアボカドと海老、陽太はクリームチーズとハンバーグのバーガーを注文して、席に着いた。

「そういえば、この前幸恵さんに会ったんでしょ?元気だった?」
「うん、働きながら子育てはやっぱり大変みたいだけど、元気そうだったよ」

 幸恵さんに会った時に、郷の湯の話を相談したことは陽太にまだ伝えていなかった。

「それでね、その時、陽太と話してる温泉のこと、幸恵さんにも相談してたんだ。先に伝えてなくてごめん」
「あ、そうなんだ。僕の方こそ、色々心配させてごめん。しばらくその話できてなかったし。幸恵さん、なんか言ってた?」

 幸恵さんから聞いた銭湯の会社の話を、陽太にもかいつまんで伝えた。陽太は少し考え込んだ様子で静かになってしまったので、顔色をうかがいながら声をかける。

「ごめんね、ご飯食べてるのに。急にこんな話して」
「いやいや、それは大丈夫。むしろありがとう、色々気にしてくれて。綾さん、温泉を継ぐことは反対なんじゃないの?」
「うーん・・・。まあ実際、現実的なところはまだ分からないから、賛成はできない。でも、何も知らずにただ反対するのは、違うかなと思って。うちの温泉のことを気に入ってくれてるのは、もちろん嬉しいし」

 陽太は私の言葉を聞いて少し黙っていたが、しばらく間を置いて、話し始めた。

「綾さん、こういう話をしてくれてありがとう。僕も、現実的にどれくらいハードルが高いのかとか、あまり考えないまま話してしまって、悪かったなと思ってる。自分でも、無謀なことは分かってたし、不安の方が大きいよ。でも、綾さんには相談したり話し合ったりしたいなと思っていたから、反対されて、つい反発しちゃった」

 陽太は少し頭を下げながら、ごめんと謝る。私も同じように頭を下げて、顔を見合わせて二人で笑った。
 郷の湯を継ぐかどうか、今の時点ではまだ判断できないけど、もう少しゆっくり考えて、話し合ってみよう、ということで落ち着いた。ハンバーガーは二人とも食べ終わっていたので、一旦この話は終わりにして、ショップでも見て回ろうかと席を立った。
 まずは雑貨が見たいな、と言いかけながら歩き出そうとしてすぐに、スマホに着信があった。画面を見ると、母から電話だ。普段は、盆と正月の帰省の確認くらいしか電話はしてこない。珍しいなと思いながら、陽太に断って電話に出る。

「もしもし、お母さん?どうかしたの?」
「あ、もしもし綾?いま、電話大丈夫?」

 電話の向こうから、母の疲れたような、焦ったような様子の声が聞こえる。いつもとは違う口調に、あまりよくないことだな、と覚悟したところへ、母が続ける。

「郷の湯が、営業できなくなっちゃった。いつ再開できるか、全然分からないの」

***

次の話(第3話)


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