赤いちゃんのひとりごと|教育論って、正解あるんかって話やねん
うちの家庭の話やねんけどな。
最近ずっとモヤモヤしてることがあって、それが子どもの教育の考え方やねん。
ほんま、これってな……正解があるようで、ない話やと思うねん。
せやけど、ないって分かってても、人ってつい「こっちが正しい」って思ってしまうやろ?
それが厄介やねん。
うちはな、どっちかというと「ちゃんと気持ちを聞いてあげたい」派やねん。
勉強できる・できへんとかよりも、「今どんな気持ちなんか」とか「何がしんどいんか」を先に見たいタイプやねん。
でもな、旦那はちょっと違うねん。
「それは甘やかしちゃうんちゃうか」っていう考え方やねん。
「今ちゃんとやらせへんかったら、あとで困るやろ」って。
間違ってるとか正しいとかやなくてな、
方向がちゃうねん。
ある日な、宿題のことでちょっとしたことがあってん。
子どもが「今日はしんどいから明日にしたい」って言うたんや。
うちはな、「今日はほんまにしんどいんやな、じゃあ少し休もか」って思ってもうてん。
でも旦那はな、「いや、今やらせなあかんやろ」ってなるねん。
その瞬間な、空気ピリッとするねん。
誰も大声出してへんのに、心の中だけがザワザワしてる感じや。
子どもはな、その空気めっちゃ敏感やねん。
どっちの顔も見て、ちょっと困った顔するねん。
あの顔見たらな、ほんま胸ぎゅってなる。
「これ、どっちが正しいか」より先に、「今この子しんどいやろな」って思ってしまうねん。
でも旦那からしたら、「いや、今やらせな将来困るやろ」っていう未来の心配かまやねん。
うちは「今の心配」、旦那は「未来の心配」。
同じ子どものこと考えてるのに、見てる場所がちゃうねん。
ほんでな、これが一番ややこしいところやねんけど、
どっちも“愛情”やねん。
これがほんま厄介やで。
どっちかが冷たいとか、どっちかが甘いとかやったら、まだ分かりやすいねん。
でもちゃうねん。
どっちも「この子のため」って思ってるねん。
せやから余計に、話が噛み合わへん。
夜になってからもな、その話ちょっと引きずるねん。
「さっきのあれ、どうなんやろな」って。
うちはうちで、「もうちょっと寄り添いたかったな」って思うし、
旦那は旦那で「甘やかしすぎたらあかんやろ」って思ってる。
でもどっちも口には出さへんねん。
出したらまたぶつかるの分かってるから。
これな、冷静に考えたら不思議やねん。
子どもには「ちゃんと話しなさい」って言うてるのに、
親同士はちゃんと話しきれてへん時あるねん。
ほんま、矛盾してるよな。
でも最近ちょっと思うようになってん。
これって“勝ち負けの話ちゃう”んちゃうかなって。
教育ってな、どっちが正しいか決めるもんやなくて、
「どっちの視点も持ってること」が大事なんちゃうかなって。
うちは感情寄りやねん。
旦那は現実寄りやねん。
せやから多分、どっちかだけやったら偏るねん。
優しすぎてもあかんし、厳しすぎてもあかん。
その間を行ったり来たりしてるのが、ほんまの子育てなんかもしれへん。
ただな、それでもしんどい時はあるで。
「なんで分かってくれへんのやろ」って思う時もあるし、
「なんでそんな言い方するんやろ」って思う時もある。
でもそのたびに思い出すねん。
この人も、この子のこと考えてるんやって。
そこだけは一緒やって。
せやから最近はな、結論を出すんやなくて、「折り合い」を探すようにしてる。
今日はちょっと厳しめに行く日。
今日はちょっと休ませる日。
完璧なルールは作らへん。
その代わり、その時の子どもの顔をちゃんと見る。
それだけは絶対に外さんようにしてる。
ほんまに思うねんけどな、
教育って「理論」より「対話」やなって。
本とかネットに書いてる正解より、
目の前の子どもの方がよっぽどリアルやねん。
でもな、それでも迷うねんで。
今日の選択、ほんまにこれでよかったんかなって。
正解なんか分からへんまま、毎日進んでる感じやねん。
せやけどな、たぶんそれでええんやと思う。
迷ってるってことは、ちゃんと考えてるってことやから。
無関心やったら迷いもせえへんしな。
子どもってな、完璧な親を求めてるわけちゃうと思うねん。
ちゃんと悩んで、ちゃんとぶつかって、
それでも自分のこと見てくれてる親やったら、それでええんちゃうかなって。
せやから今日もな、またちょっとモヤモヤしながらも思うねん。
「まあ、これも子育てか」って。
正解は分からんけど、
この迷いごと全部ひっくるめて、うちの家庭なんやろなって。
ほな今日はこのへんで終わるわ。
また明日も、きっとちょっとだけ迷うけどな。
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