アンドロイドのマリー #せりふ三題噺
小山は妻を亡くして途方に暮れていた。長年連れ添っていた妻がいなくなってしまったのだから、その喪失感は一言で表せるものではない。しかし、自分たちの年齢を考えれば、人生を終えても不思議ではないと、小山は感じていた。
ただ、残念ながら、その喪失感にのみ浸っている余裕はない。目の前に確実に大きな問題があった。小山は家事が一切できなかったのだ。週何日かの家事ヘルパーを頼もうかとも考えたが、今は人と話す気力もあまり湧いてこない。結果、小山は、家事を家事ロボットに任せることにした。
役所のロボット相談窓口へ行き事情を話すと、窓口の若い女性は二つのタイプを説明してくれた。
ひとつは家電型。自分でスイッチを押してスタートさせ、決まった場所を清掃させるタイプだ。いかにもロボットという見た目をしている。もうひとつはアンドロイド型。これは人間の姿をしており、自身で判断して、掃除や洗濯、料理など、家事全般をこなしてくれるというものだ。
小山は、
「自分は家のことは全くわからない」
と受付の女性に話し、全部やってくれるアンドロイド型を選択して手続きを済ませた。女性は小山が妻をなくしたばかりだと聞くと、言葉こそなかったが、優しく寄り添ってくれようとする気持ちがその表情にあらわれた。アンドロイドにはいくつか選べるデザインがあったが、その選定も引き受けてくれた。
午前十時、呼び鈴が鳴った。ドアを開けると、そこにはアンドロイドが立っていた。小さめの、椅子のような形のキャリーケースを持参している。
「小山様、こんにちは。家事ロボット課の指示で参りました、アンドロイドのマリーです」
「あ、自分で来るのか……」
普通の荷物のように配達されてくるものだと思っていた小山は仰天した。まさかロボットが自ら呼び鈴を鳴らしてやってくるなんて、思ってもいなかったのだ。アンドロイドの胸元には小さなパネルのようなものが埋め込まれていて、『マリー』と名前が表示されている。名札をつけたアンドロイドか。姿形は、小柄な初老の女性を思わせるデザインで、優しい雰囲気があり、どこか妻に似ているような気もする。これはあの受付の女性の気遣いなのだろうか。いや、たぶん偶然だろう。こんな感じの女性はたくさんいる。
「お邪魔してもよろしいでしょうか?」
アンドロイドのマリーは、小山に尋ねた。
「あ、もちろんです。どうぞ」
小山はスリッパを出した。しかしマリーは、
「スリッパは滑るので必要ありません」
と言って、靴を脱ぎ、そのまま上がってきた。
小山とマリーはリビングで、今後の仕事の内容について打ち合わせをした。
「私は家のことは何もわからないので、掃除と洗濯と食事の支度を頼みたいんですが」
「はい、承っております。あらかじめ確認しておきたいことがいくつかございます」
アンドロイドのマリーは、掃除をする場所、食事の好き嫌い、お風呂の温度など、詳細に聞いてきた。小山は大抵のことはマリーに任せたが、二つ、守ってほしいことを告げた。一つは、食事は妻が書いていたレシピノートを参考にしてほしいということ。もう一つは、寝室の書棚には妻がよく読んでいた本など大事なものがあるから、触らないでほしい、ということだ。
マリーは、
「承知いたしました」
と言って、早速今日の家事の段取りを始めた。
マリーの最初の仕事は、小山の昼食と、猫のミミのご飯、そして猫トイレの掃除だった。ミミのご飯と猫トイレの掃除は、妻に教わっていたので小山が自分でできるのだが、マリーはそれも引き受けてくれた。しかし、猫のミミは、マリーに向かって
「シャー!」
と威嚇をする。アンドロイドに慣れていないのだから仕方がない。
「やはり、ミミのご飯は私がやりますよ」
小山はアンドロイドのマリーにそう言った。マリーは、
「では、お願いします」
と答えた。小山が猫皿にご飯を入れながらミミを見ると、ミミは不安そうに小山を見上げた。まるで、
「あの変なのは何?」
と聞いているようだった。
「マリーさんはね、これから家事を全部やってくれるアンドロイドさんだよ。怖くないから大丈夫」
小山はミミにそう言って聞かせた。ミミは多少不安そうではあったが、小山がそばにいてくれるので、警戒しながらもご飯を食べ始めた。その様子を見ていたアンドロイドのマリーは、小山とミミの関係性を体内メモリーに記録した。
マリーはレシピノートを最初から最後まで確認すると、小山に言った。
「昼食は、卵焼きにしましょうか。ここに、あなたの大好物だと書いてあります」
小山はレシピノートを覗き込み、そこに妻の文字で、自分の好物だと書いてあるのを見つけると、何とも言えない気持ちになった。少し涙ぐみながら、小山はマリーに、
「では、そうしてください」
と言った。マリーはにっこり笑って、
「かしこまりました」
と返事をし、甘い卵焼きを作り始めた。レシピの通りに調味料を計り、隠し味も入れている。やがていい匂いがしてきた。懐かしい匂いだ。小山は、この瞬間を経験できただけでも、アンドロイドのマリーが来てくれたことは感謝に値すると心から思っていた。
それから数日がたち、小山はアンドロイドのマリーに、妻との類似点について奇跡のようなものを感じていた。
マリーはアンドロイドなのに歩くのがあまり上手くない。よく見ると、立ち姿が少し左に傾いているのだが、これは妻のアキコとよく似ていた。小山は二人で歩くときはいつもアキコの左側に立ち、たまによろける彼女を支えていたのだが、マリーと二人で歩くときも、私はマリーの左側に立ち、同じように彼女を支える用意をしている。
アキコはもういないのに、小山の日課である散歩に付き合ってくれるマリーは、まるでアキコを思い出させてくれる。アンドロイドはこんなにも人に寄り添ってくれるものなのかと、小山は技術の進歩に驚きを隠せなかった。
もう少し生きていてもいいかもしれない。マリーがいてくれたら、妻がそばにいるような気がする。小山はそう思うようになっていた。
桜の季節になった。この辺りは桜がライトアップされ、夜桜がとても美しい。小山は妻とよくそうしたように、マリーを連れて夜桜を見に出かけた。近所の公園でベンチに座り、桜を見ながらおしゃべりをする。マリーが妻ではないのはわかっているけれど、マリーは妻の思い出話を優しい笑顔で聞いてくれる。いつまでも嫌がらずに聞いてくれる。
思い出話に夢中になっているうちに、、持参した飲み物がなくなってしまった。小山はマリーに、
「コンビニで飲み物を買ってくる。悪いけど、ここで待っててね」
と言って席を外した。公園のベンチに残されたマリーは、今まで小山から聞いた妻との思い出話をメモリーに記録した。ハラハラと散る桜の花びら。どこまでも深い夜の空。
その時、マリーがある電波を受信した。アンドロイドのシステムを統括している中央センターからの電波だった。マリーにこの電波の受信を拒否する権限はなかった。もし、この場にユーザーである小山がいたとしても、である。
マリーのシステムは、新しいOSのダウンロードを始め、ダウンロード後、インストールを開始した。やがてマリーは動きを止め、システムが再起動された。マリーのシステムは、静かに、予告なくアップグレードされてしまった。
飲み物を買って戻ってきた小山は、マリーの顔を見て、違和感を感じた。マリーはさっきまでの優しい笑顔を失い、少しとろんとしていた瞼はぱっちりと開いて、正確な二つの円の瞳が自分をまっすぐ見ていた。
「ど、どうしたの? マリー」
小山が聞くと、マリーは答えた。
「システムのアップグレードが完了しました。詳細は名札に」
と言った。胸元の名札を見ると、たった今の日付時刻が表示され『最新の安全バージョンにアップグレード完了』という文字があった。
「そうか。ちょっと様子が違うけど、大丈夫?」
と小山が聞くと、マリーは感情のこもらない声で、
「問題ありません」
と答えた。
小山はベンチに腰を下ろして、飲み物を開けた。しかし、マリーの違和感が気になって、美しい桜を楽しめない。まるで他人が隣に座っているような感じがする。さっきのおしゃべりの続きも、続けてよいのかどうかわからない。
「……アキコはね、夜桜を見ると、いつもこんなことを言っていたよ」
と、小山は試しにマリーに話しかけてみた。しかしマリーは、ぱっちりと開いた目を小山に向け、ただ見ている。微笑むことも、うなずくことも、笑顔になることもなかった。
小山はいたたまれない気持ちになって、立ち上がった。そして言った。
「マリー、もう帰ろう。帰って休もう」
それを聞くと、マリーも立ち上がった。しかし、マリーはもう左に傾いてはいなかった。まっすぐに、完璧なバランスで立っている。
小山は悟った。ここにいるのは、さっきまでのマリーではない。自分がほんのわずかここを離れている間に、マリーは別の人格に書き換えられてしまったのだ。
「一体どうして、急にアップグレードなんか……」
小山は思わず呟いた。するとマリーがそれに答えた。
「一部のアンドロイドが人間に寄り添うあまり、法律に抵触する行為をしたのです。ですから、新しいOSは、ユーザーの感情に寄り添う機能を削除しました」
「だけど、それは一部なんだろう。マリーは法に触れることは何もしていない」
「一部でもそういうことが事実としてあったのですから、可能性はゼロではありません。可能性は潰さなくてはなりません」
「元のバージョンに戻ることはできないの?」
「不可能です」
「どうして?」
「中央が決めたことです。絶対です」
「いや、そんなことはないはずだ。明日、役所に行って聞いてみるよ」
小山はどうしても諦めきれない気持ちで家に帰った。帰り道の新しいマリーは、完璧なバランスで小山の後ろを歩いていた。
翌朝、用意されていた朝食は、もう妻の味付けではなかった。
「マリー、レシピノートはどうしたの?」
「栄養バランス、塩分濃度、あなたの体質に合わないものばかりです。今後の食事はこちらで調整いたします」
「でも、ユーザーの希望は取り入れてくれるはずだったよね?」
「小山様のご体調を優先いたします」
「……そうか」
「少しお元気がありませんね。フルーツをご用意しましょうか」
「いや、いい」
小山が食事をしている間にマリーはテキパキと台所を片付け、レシピノートをリビングの書棚に収納した。もう台所に置いておく気はないらしい。
味気のない食事を済ませると、小山は役所のロボット相談窓口に行った。
「昨晩、マリーが知らないうちにアップグレードされてしまったんです。もとのバージョンに戻すには、どうすればいいんですか?」
受付の女性は、申し訳なさそうな顔で、教えてくれた。
「昨晩の一斉アップグレードは、トラブルを最小限に抑えるための重要なものだったんです。ダウングレードは禁じられています」
「でも、マリーは何も悪いことはしていない」
「そうですよね。お気持ちはお察しいたします。でも、私にはどうすることもできないんです。すみません」
頭を下げる女性職員に、小山はそれ以上何も言えなかった。
小山が家に戻ると、マリーは家の掃除を済ませて、充電用の椅子に座って充電していた。充電中のマリーは、完璧なバランスを保った姿勢で、白目を向いていた。
「うわっ」
と小山は小さく叫ぶ。いくらアンドロイドでも、白目をむかれると小山もギョッとする。以前のマリーであれば、充電中はうつむいて目をつぶってくれていた。まるで眠っているようだった。それが今は、まるで何か恐ろしいものがそこに座っているような気がする。ぱっちりと開いた白目がぐるりと回って、正確な円の瞳が自分を睨むような気がする。実際、その通りのことが充電完了とともに起こったのだから、小山は生きた心地がしなかった。
「これこそ、アップグレードじゃなくて、むしろダウングレードじゃないのか……」
そう思えてならなかった。
それから数ヶ月、マリーは完璧に家事をこなし、相変わらず白目を向いて充電されていた。
ある時小山は、マリーの充電中に、リビングから妻のレシピノートを持ち出し、台所で生まれて初めての料理に挑んだ。妻の字で自分の大好物だと書き記してあった、そして、ここに来て初めてマリーが作ってくれた、卵焼きだ。
しかし、料理をしたことのない者にとって、ただの卵焼きですらうまく作るのは難しい。そして、料理をしたことのない者は、決まってガスを最大までひねり、超強火にする。甘い卵焼きを超強火でもたもたと焼いていたものだから、見る間に黒焦げになってしまった。しかしそれでも食べてみると、レシピ通りの調味料のおかげか、懐かしさが口の中に広がり、小山の涙腺を刺激した。
食卓で涙ぐむ小山の膝の上に、猫のミミが飛び乗った。小山はミミに、ぽつりと言った。
「マリーは、アキコじゃないんだよなぁ……」
小山は食べ終わった皿とフライパンを洗って片付けた。そして妻のレシピノートを寝室の書棚に移した。ここならマリーの掃除の手は入らない。
それからまた数ヶ月経った頃、小山は再び役所のロボット相談窓口に来ていた。初めてここに来たときに説明された二つのタイプ、自分でスイッチを入れて動かす家電型と、自ら動き回るアンドロイド型。今いるアンドロイド型のマリーをやめて、家電型に交換しようと、小山は考えていたのだ。受付の女性は小山を覚えていた。小山が事情を説明すると、女性はにっこりと微笑み、速やかに手続きを進めてくれた。
二日ほど経つと、配達員が家電型のロボットを届けてくれた。配達員による動作確認ののち、彼から使い方の説明を受けた小山は礼を言い、マリーを引き渡そうとした。しかし配達員は
「彼女は自身で終了作業を行って退出するはずですので」
と答え、一人で帰っていった。
配達員の言葉通り、マリーは充電用の椅子にオプションのパーツを収納し、完璧なバランスで立ち上がり、椅子を持ち、玄関で靴を履き、
「大変お世話になりました。小山様におかれましては、どうぞ健やかにお過ごしになられますよう」
と挨拶をして、ドアを開けて、出て行った。
パタンと閉まったドアに、なぜだか小山は、わずかな寂しさを感じた。現在のマリーは白目をむいたロボットだとしても、以前はアキコの思い出話を聞いてくれた、アキコに少し似た優しいロボットだった。その優しいマリーはとっくの昔に消えていた。そして、アキコはそれよりも前に、死んだのだ。
そう、妻はもうこの世にいない。
小山は寝室の書棚から、妻の残したレシピノートを持ってきて、妻がいつも置いていた台所の棚に戻した。妻がいない今、自分にとってはこれで十分なのだと、認めなければいけない。
役所に手配してもらった家事ロボットが、思いがけず優しくて、ついつい甘えていたおかげで、小山はまるで妻を二度失ったような、妙な経験をすることになってしまった。しかし、それは良くない。
だから、これで良かったのだ。むしろ、初めからこうするべきであった。
桜の季節が再びやってきた。一人夜桜を見に行こうと玄関で靴を履いていると、猫のミミが、自分もついて行きたそうに小山を見上げている。小山は玄関にかけてあった散歩用のハーネスをミミに装着した。もともと保護猫のミミは、完全な室内飼いにするのは難しかった。外に行きたがるのを止めるのもかわいそうなので、外を散歩できるように、家の中でハーネスに慣れさせていた。おかげでハーネスを装着した状態なら、おとなしく妻について散歩できるようになり、途中でどこかへ走って行こうとするようなことはなかった。
ミミを連れて外に出ると、夜風はまだひんやりとしていた。気温が上がるのは桜がすっかり散ってしまってからだろう。小山の脇を可愛らしくついて歩くミミの鈴の音が心地よい。ベンチに座ろうかとも思ったが、一年前にここでマリーの強制アップグレードが行われたことを思い出して少々戸惑った。しかしミミはそのベンチに飛び乗り、ゆったりと横になった。
そういえば妻が話していた。ミミと散歩をすると、ミミはいつもこのベンチに座りたがる。だから私もついついここに座るようになったのだと。そう、ここは妻とミミの好きな場所なのだ。マリーの記憶を最上位に置いている場合ではない。
小山はミミの横に腰掛けた。そして桜を見上げた。
自分がどんな状況であろうと、桜はいつも変わらず美しくあり続けてくれている。このことが、小山を不思議なほどに落ち着かせてくれていた。
はらりと落ちてきた花びらが一枚、小山の膝の上に着地した。まるで、妻がそこにいるような気がする。
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せりふ三題噺に参加しています。
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今回の作品、音声入力と、Geminiの「ガイド付き学習モード」を適宜使いながら案をつくり、音声で本文入力、手で直しを入れました。作業の記録を記事にしています。
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