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ジムを契約しただけで筋肉がつくわけではない


かっこいい体型になりたくて、ジムにはそれなりに通っていました。

週に何回か足を運んで、マシンを一通り触って、汗をかいて帰る。続いてはいます。それなのに、体つきがほとんど変わりませんでした。

もともと筋トレをしていた先輩に、そのことを相談しました。
「ジムに通っているのに筋肉がつかない。どうすればいいのでしょう?」と。

返ってきたのは、こういう言葉です。

「ジムを契約しただけで筋肉がつくわけないだろ」

反論の余地がありませんでした。

私はたしかに通っていましたが、何をどれだけやるかは決めていません。
空いているマシンを触って、適当な重さで、疲れたら終わる。フォームも自己流のままです。

つまり、契約して、施設に入って、汗をかくところまでで満足していました。そこから先の「どの筋肉を、どう追い込むか」は、一度も設計していません。

言われた瞬間、素直に納得しました。悔しさより先に、そりゃそうだ、という気持ちが来ます。

そして同時に、思い当たることがいくつも浮かんできました。本を買う。工具を揃える。AIを導入する。

手に入れた時点で、なぜか少し安心してしまう。私はこれを、形を変えて何度も繰り返していました。

一番わかりやすい形で積み上がっているのが、本です。

読書量は増えたのに、生活は変わらなかった

本はかなり買ってきました。読み終わっていないものが、部屋に積み上がっています。いわゆる積読です。

厄介なのは、積読が増えること自体が嫌な気持ちにつながる点でした。「こんなに読めていない本がある」という状況が重くなって、本を開くこと自体が億劫になる。読むために買ったはずの本が、読まない理由になっていきました。

そこで、読書のハードルを下げてみます。

とりあえず1ページだけ読む。全部読まなくていい。要約本でもいい。

これは効きました。読むという行為そのものは、確実に増えます。

ただ、しばらく続けてから、別のことに気づきます。

読書量は増えたのに、生活があまり変わっていない。

読書ノートは厚くなった

読む量を増やすだけでなく、読書ノートもつけていました。線を引いた箇所を書き写して、自分の感想を添える。ノートは着実に厚くなっていきます。

それでも、ふと「結局、自分に何が残ったのだろう」と思うことがありました。

私にとって知識が身についた状態というのは、覚えている状態ではありません。自分で再現できて、必要な要素を自分で組み立てられて、細かいところまで説明できて、手元に何もなくても人に説明できる。そこまで来て、はじめて身についたと感じます。

ノートが厚くなっても、その状態には届いていません。

特にそう感じたのが、読書術、ノート術、ルーティン、習慣化といったジャンルの本です。

この手の本は、読んで理解しただけでは、私の場合ほとんど意味を持ちませんでした。実際に自分の生活に取り入れて、はじめて意味が出てくる種類の知識だからです。

読書術の本を読んで「なるほど、この方法は効率的だ」と思う。その瞬間は確かに納得しています。でも翌日から何も変わらなければ、その知識は私の生活の中で一度も使われていません。

同じような本を、何冊も買っていた

さらに振り返ると、買った本の中身が、すでに自分の持っている知識とよく似ていることも多くありました。

それでも読んでいる最中は「勉強になった」と感じます。

ただ、冷静に見れば、その本を読んだことで問題そのものが解決したわけではありません。人間関係や仕事の進め方の悩みは、一冊読んだくらいですぐに結果が見えるものではないからです。

問題は解決していない。でも勉強はした。だから少し安心する。そしてまた、似たような本を買う。

私の中で、この循環が起きていました。

本を買うことで「問題に向き合っている感覚」を得ていたのだと思います。向き合っているつもりで、実は問題そのものからは少し離れていました。そう書くと厳しく聞こえますが、これは誰かへの批判ではなく、自分を振り返って出てきた話です。

買う前に、決まっていたか

売り場に並んでいる言葉も、そこを後押しします。これを読めば変われる。契約すればなれる。誰でも、簡単に、すぐに。

そう書いてあるから買った、と言いたいわけではありません。私が引っかかったのは、そこに自分の意思がどれだけ入っていたのか、という点です。

この本で何を解決したいのか。読んだあと、自分の何を変えるつもりなのか。それを決めてから手に取った本と、書いてある言葉に反応して手に取った本では、読み終わったあとに残るものが違いました。前者は使われて、後者は棚に残ります。

買う前に決まっていたかどうか。その差だったと思います。

残った知識には、共通点があった

実際、はっきり残った知識もあります。

思い返すと、そこには共通点がありました。

この資料に使う。あの人がこの情報を必要としている。この日までに完成させる。この目的のために必要になる。

そういう状況で得た知識は、読んで終わりになりません。必要な情報を探して、理解して、整理して、組み立てて、実際に使う。この一連の作業を通ったものだけが、私の中に残っています。

知識は、使う必要が生まれたときに定着する。少なくとも私の場合はそうでした。

AIを導入しても、仕事は自動化されなかった

同じことが、AIでも起きます。

Claude Coworkを導入して、半年ほど放置していました。

AIが難しかったからではありません。「何を、なぜ、どうやってやらせるのか」が、自分の中で曖昧だったからです。

ツールは手元にあります。使い方の情報もいくらでも出てきます。それでも、使う目的と具体的な最初の一歩が決まっていなければ、私は動けませんでした。

AIを導入することと、AIによって仕事が自動化されることは、別の話です。

目的が決まっていても、動かなかった

では、目的さえ決まれば動くのか。そうでもありませんでした。

工具も買っています。鉄のワイヤー、ジグソー、木材を固定するテーブル。つくりたいものもはっきりしていました。ゴルフのキャディバッグと、細かい小物をまとめて収納するラック棚です。

それでも、ほとんど使っていません。

止まったのは、採寸でした。

面倒だったというのもありますが、正直に書くと、測り間違えるのが怖かったのだと思います。板を切ってしまえば元には戻りません。寸法を一つ間違えれば、買った材料がそのまま無駄になります。

その一手前で、私は止まっていました。

道具はあります。つくりたいものも決まっています。それでも動かなかったのは、最初にやるべき地味な作業が、道具を買っても一切軽くならなかったからです。

むしろ、道具を揃えたことで安心してしまった部分もありました。準備は済んでいる、あとはやるだけだ。その「あとはやるだけ」の中身が採寸だったわけですが。

本を買うことで問題に向き合っている感覚を得ていたのと、構造は同じです。買う行為は失敗しません。使う行為は失敗します。

ジムに行かないと、風呂に入れない

冒頭のジムに戻ります。

先輩の言葉のあと、やり方は少しずつ変えました。ただ、それ以上に効いたのは、まったく別の方向からの手当てです。

自宅から10分ほどの場所に、お風呂付きのジムがあります。自宅のガス代と水道代を計算してみると、そのジムの月会費と大きな差がありませんでした。

そこで、自宅で風呂に入るのをやめます。

さらに、自宅のキッチンで使っているのはIHと電子レンジと電気ケトルだけだったので、ガス自体を止めて、基本料金も発生しないようにしました。

結果として、自宅では風呂に入れません。

「ジムに行ったほうがいい」ではなく、「ジムに行かないと風呂に入れない」。

この状態になってから、通う頻度が安定します。意志を強く持ったわけではありません。行かない選択肢を、環境から消しただけです。

ここで一つ、はっきりしたことがあります。

環境は、行くところまでしか運んでくれません。行った先で何をするかは、環境の外側にあります。ガスを止めれば足は向きますが、そこで何を鍛えるかまでは決めてくれない。

先輩に言われたのは、まさにその部分でした。

工具箱が開いた日

放置していた工具のほうも、結局は動きました。

きっかけは、人を自宅に呼ぶことになったからです。

つくると決めたまま何もしていない状態を、人に見られたくありませんでした。恥ずかしかった、というのが正直なところです。買っただけの工具と、置き場所の決まっていないゴルフバッグ。それを見られる日が決まってしまいました。

怖かったはずの採寸は、やってみると一時間もかかりません。半年止めていたものが、その程度でした。

そして切って、組んで、ラック棚ができました。

作業を一度通してみると、次に何をつくるかも見当がつきます。どの工具をどの場面で使うのか、板をどう固定すれば安全なのか。説明を読み返さなくても手が動くようになりました。ジグソーの刃の選び方も、切り口を見れば判断できます。

読んで理解していただけのときには、一つも身についていなかった部分です。

ここで気づいたことがあります。ジムのガスを止めたのは、自分で仕組んだ環境でした。工具のほうは、人を呼ぶという外から来た予定です。どちらも、私の意志の強さとは関係のないところで、動かない選択肢が消えました。

整えたことと、達成したこと

本を買っただけでは、知識はつきません。

工具を買っただけでは、棚はできません。

AIを導入しただけでは、自動化はしません。

ジムを契約しただけでは、筋肉はつきません。

共通しているのは、環境や道具を手に入れた時点では、まだ何も発生していないということです。

ただ、環境を整えることが無意味だとは思っていません。むしろ環境は効きます。ガスを止めた話も、人を呼んだ話も、その例です。

私がつまずいていたのは、「環境を整えたこと」と「目的を達成したこと」を、頭の中で同じ場所に置いていた点でした。

だから、インプットを減らそうとは思っていません。本は今も買います。

変えたのは、読んだあとに「何を知ったか」だけで止めないことです。それを何に使うのか、というところまで一度考える。AIも同じで、「何ができるか」ではなく「自分のどの作業を変えるために使うのか」から入るようにしました。放置していたClaude Coworkは、いまは記事を書く前の下調べに使っています。用途はまだ一つだけです。

同じ構造のものは、私の家にまだいくつもあります。買ったのに開いていない本。契約したのに使っていないサービス。

それが動かないのは、意志が足りないからとは限りません。最初の一歩が具体的に決まっていないか、その一歩に失敗の匂いがついているか。私の場合は、どちらかでした。

半年動かなかった工具を動かしたのは、決意ではなく、人が来るという日付です。

次に動かすものにも、同じように日付をつけるところから始めます。

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