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人はどうやって「安心」を覚えるのか──愛着形成は「苦しみはいつか終わる」という体験から始まる

「安心してください。」

そう言われても、不安なときは安心できません。

反対に、何も言われなくても、そばにいるだけで不思議と落ち着く人もいます。

この違いは、どこから生まれるのでしょうか。

私は最近、「人はどうやって安心を覚えるのか」ということを考えていました。

心理学では「愛着(アタッチメント)」という言葉があります。

一般的には親子の絆や信頼関係として説明されますが、私はもう少し広いものではないかと思っています。

愛着とは、誰を好きになるかではなく、

「安心という感覚を身体が覚えていく過程」

なのではないでしょうか。


人は「安心」を知って生まれてくるのだろうか

赤ちゃんは、生まれた瞬間から「安心」を知っているのでしょうか。

私はそうではないと思います。

生まれて初めて空腹や寒さ、孤独や痛みといった「不快」を経験する。

そして誰かが抱き上げ、温め、声をかけ、揺らし、不快が少しずつ和らいでいく。

その繰り返しの中で、

「これが安心なのか」

と身体が覚えていくのではないでしょうか。

人は光も音も温度も、「変化」を感じることで世界を認識しています。

安心も同じなのかもしれません。

不安を経験するからこそ、安心を知ることができる。

安心とは、生まれつき備わった知識ではなく、経験の中で少しずつ身体に刻まれていく感覚なのだと思います。


赤ちゃんが学んでいるのは「抱っこ」ではない

赤ちゃんが泣きます。

誰かが抱き上げます。

ぬくもりを感じます。

優しい声が聞こえます。

ゆっくり揺られます。

そうしているうちに、さっきまでの苦しさが少しずつ和らいでいきます。

この経験を何百回、何千回と繰り返す。

すると赤ちゃんが学ぶのは、抱っこの仕方ではありません。

「苦しいことは、いつか終わる」

という世界のルールです。

心理学者ジョン・ボウルビィは、人は安心できる存在を「安心基地(Secure Base)」として心に持つことで、安心して外の世界へ挑戦できると考えました。

私はその安心基地は、単なる場所ではなく、

「苦しさは和らぐ」という身体の記憶

そのものなのではないかと思うのです。


サルの実験が教えてくれたこと

1950年代、心理学者ハリー・ハーローは、アカゲザルを使った有名な実験を行いました。

ミルクを飲める針金製の母親と、ミルクは出ないけれど柔らかい布でできた母親を用意すると、多くの子ザルは布の母親にしがみついて過ごしました。

もちろん、この実験には現在では倫理的な問題が指摘されています。

それでも、この研究が示したことは重要です。

赤ちゃんにとって必要なのは、栄養だけではない。

安心できるぬくもりも、生きていくために欠かせないということです。

人間もまた、抱っこや肌のぬくもり、優しい声、穏やかなリズムの中で、「ここは安全だ」と身体が学んでいくのではないでしょうか。


愛着とは「予測できる世界」を知ること

認知科学では、人の脳は「次に何が起こるか」を予測し続けていると言われています。

赤ちゃんも、

泣けば誰かが来る。

抱っこされる。

少し楽になる。

そんな経験を何度も積み重ねることで、

「世界には応えてくれる人がいる」

という予測を作っていきます。

この予測こそが、「世界は危険ばかりではない」という信頼につながっていくのでしょう。

だから愛着とは、

親を好きになることだけではなく、

「困ったときには助けてもらえる」という世界への信頼

を育てることなのだと思います。


安心基地とは、人ではなく「安心を思い出させる存在」

安心基地は母親だけではありません。

父親。

祖父母。

先生。

恋人。

友人。

ペット。

お気に入りの喫茶店。

何度も読み返した本。

心を救ってくれた漫画や音楽。

それらに触れた瞬間、少し肩の力が抜けることがあります。

安心基地とは、人そのものではなく、

安心という身体の記憶を呼び起こしてくれる存在

全体なのではないでしょうか。


帰る場所があるから、人は挑戦できる

安心基地は、甘えるためだけの場所ではありません。

帰る場所があるから、人は旅立てます。

失敗しても帰れる。

困ったら助けてもらえる。

そう思えるから、新しいことへ挑戦できます。

子どもだけではありません。

大人も同じです。

職場でも家庭でも、

「ここなら受け止めてもらえる」

という場所がある人ほど、自分らしく力を発揮できるように思います。


病気は、ときに「自分」という安心基地まで奪う

訪問看護やケアマネジャーとして働いていると、大きく調子を崩す人には共通点があります。

脳卒中で半身麻痺になる。

難病と診断される。

がんを告知される。

もちろん身体は変わります。

でも、本当に失われるのは身体機能だけではありません。

「私はこういう人間だ」

という感覚です。

つまり、アイデンティティです。

人は、ときに自分自身を安心基地にしています。

だから病気によって、その安心基地まで失ってしまうことがあります。

そのとき必要なのは、「できなくなったこと」を数える支援だけではありません。

「あなたはあなたのままで大丈夫」と伝え続ける関わりなのだと思います。


人は人生の途中でも安心を学び直せる

愛着は幼少期だけで決まるものではありません。

心理学には「獲得された安定型愛着(Earned Secure Attachment)」という考え方があります。

幼い頃に十分な安心を得られなかった人でも、その後の人生で出会う人や経験によって、安心を学び直せるという考え方です。

先生。

友人。

恋人。

職場の先輩。

家族。

一冊の本。

一本の映画。

一つの物語。

人生を変える出会いは、人だけとは限りません。

私たちは何歳になっても、「世界は思っていたより優しかった」と感じる経験を積み重ねることができます。


安心とは、「苦しみがない状態」ではない

私は今、安心とはこういうものではないかと考えています。

安心とは、苦しみがない状態ではない。

「苦しみはいつか和らぐ」と身体が知っている状態である。

だから、不安があっても歩き出せる。

悲しいことがあっても、人を信じられる。

失敗しても、もう一度挑戦できる。

安心基地とは、私たちを甘やかす場所ではありません。

人生という冒険へ送り出してくれる場所なのだと思います。


☆今日のワーク☆

少しだけ目を閉じて、思い出してみてください。

あなたが子どもの頃、「ここなら大丈夫」と感じられた人や場所はありましたか。

そして今のあなたには、安心して帰れる場所がありますか。

もし思い浮かばなかったとしても、大丈夫です。

安心基地は、人生の途中からでも育てていくことができます。

今日、あなたが少しだけ安心できた出来事を、一つだけノートに書いてみてください。

その小さな積み重ねが、未来のあなたの心の「帰る場所」になっていくかもしれません。

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ルルウ・サン|人間観察と考察ノート ここでの考察や言葉が、どこかで誰かの役に立てば嬉しいです。 もし応援したいと思っていただけたら、チップでお気持ちをいただけると励みになります。