彼の実家で“嫁テスト”が始まった日
「うちの母、ちょっと厳しいかもって思うけど……悪気はないから」
その言葉を、もっと真剣に受け取るべきだった。
彼――拓海(たくみ)と付き合って2年。
結婚の話も出始めたタイミングで、
「そろそろ、実家に顔を出してほしい」と言われた。
「もちろん!」と答えた私だったけど、
彼の言う“厳しい”が、ここまでとは思っていなかった。
当日。
待ち構えていたのは、完璧に整ったリビングと、ぴしっと背筋の伸びた彼の母だった。
「はじめまして、○○と申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げると、彼女はにこりともせず、
「ようこそ」と短く答えた。
お父さんは穏やかな人だった。
けれど、主導権は明らかに“お母さん”。
食卓に並んだ料理も、姿勢も、会話の間も――
すべてが、ピンと張り詰めている感じ。
その中で、私の“試されてる”感はどんどん強まっていった。
「○○さん、お味噌汁は、だしは何から取ります?」
突然、質問が飛んできた。
「えっ……あ、あの、最近は粉末だしを使ってまして……」
「そう。ちなみに、昆布と鰹を合わせて引くと、もっと旨味が出ますよ。
息子はそういう味で育ちましたので」
さらりとしたトーン。だけど、明らかに“評価”。
「あら、この煮物も、結構甘めね」
「甘すぎますか?すみません、味見が少し……」
「いいえ、男の人はこういう味が好きだから。覚えておくといいわ」
“覚えておくといい”――
そのひと言に、うっすらと汗がにじんだ。
「食後、洗い物お願いしてもいいかしら?」
「はい、もちろんです!」
キッチンに立つと、
さりげなく、シンク下の位置、布巾のたたみ方、洗剤の量まで見られている気がした。
皿を割ったらアウト。
グラスに水滴が残ってもアウト。
そんなプレッシャーに、指先が震えそうになる。
台所に立つ背後で、
お母さんの目線が刺さるようだった。
リビングに戻ると、さらに“嫁テスト第2章”が始まった。
「あなた、裁縫はできる?」
「簡単なボタン付けくらいは……」
「今の若い人はやらないのね。
私は、夫のワイシャツのボタンが取れたら夜中でも縫ってましたよ」
それって、忠誠心の証みたいに語られるものなの?
口には出さなかったけど、内心はざわついていた。
彼はその横で気まずそうな顔をしていたけれど、
口を挟む勇気はなさそうだった。
帰り際。
「今日はごちそうさまでした」と丁寧に頭を下げると、
お母さんはひとこと、こう言った。
「お料理も、掃除も、家のことって“慣れ”だから。
お嫁に入る前に、少しずつ頑張ってね」
まるで“合格とは言ってませんが、努力は認めます”というような通達だった。
私は苦笑いでその場を後にした。
帰り道。駅までの道すがら、私は言った。
「……あれ、完全に“嫁テスト”だったよね?」
「……うん、思った以上だった。ごめん」
彼はバツが悪そうに笑った。
「うちの母、そういうのにこだわるんだ。“ちゃんとした嫁”を育てたって思いたい人でさ」
「“育てた”? 私、誰の子なの?」
「違う、そうじゃなくて……って言い訳か」
私は立ち止まって、彼を見た。
「たぶん、私はあの家の“嫁としての期待値”には、まだ全然届かないと思う。
でもさ、私、拓海と結婚したいんだよ。
“テスト”されてるんじゃなくて、ちゃんと“向き合える関係”になりたいだけなんだよ」
拓海はしばらく黙って、それから真剣な顔で言った。
「わかった。ちゃんと母さんに言う。
“テストの点数”で決めるんじゃなくて、俺が“この人と生きたい”って思ってることを、
ちゃんと伝える」
その言葉に、やっと肩の力が抜けた。
数日後、彼の母から私にメッセージが届いた。
先日はありがとう。緊張させてしまったかもしれませんね。
息子から話を聞きました。
少しずつ、歩み寄れたら嬉しいです。
短い文だったけど、
それはたぶん、“最初のテスト結果”に対する、
ささやかな「再試験なし」の通知だった。
あの日、
彼の実家で“嫁テスト”が始まった。
でも、そこで“合格”することがゴールじゃなかった。
彼とちゃんと、同じ方向を見て、
“夫婦になるってこと”の意味を、少しずつ考えていく。
その覚悟だけは、もうしっかりとできている。
