生きるの金かかりすぎワロタ
手帳に走らせたシャープペンの文字を眺めながら、僕は一人、部屋でほくほくしていた。
「勝ったな」
心の底からそう思った。 何に勝ったのかは自分でもよくわからない。けれど、資本主義のラットレースとか、毎朝の満員電車の息苦しさとか、そういう人生のノイズから一足お先に抜け出せる「秘密のルート」を見つけてしまったような、猛烈な全能感に包まれていた。
手帳に書き殴ったのは、「1日いくらあれば生きていけるか」の逆算メモだ。
会社を辞めて、暮らしを小さく見積もる。 もし、今住んでいる家賃13万円の都会の部屋を引き払って、地方の家賃8万円の物件に引っ越したら? 手元の資産3500万円を、ガチガチの手堅さで4%運用(税金も加味して)できれば、年間140万円。月々にして約11万6000円の不労所得が手に入る。
あとは、日々のささやかな幸せのコストを足していくだけのイージーゲームだ。
毎日のカフェ代に、400円×30日で1万2000円。 月に読む本が3冊で3500円。 ジム代に4000円、電気代9000円、電話代2500円。 年に2回、20万円の予算でちょっといい旅行に行こう。愛犬のワクチン代だってちゃんと確保する。
これらをすべて足し算しても、不労所得との差額──つまり「自分が労働で稼がなきゃいけない金額」は、月たったの「7万6000円」だった。
「なんだ、月7万6000円か」
時給1200円のバイトなら、月に63時間。 週に直せば、たったの15時間だ。週3日、1日5時間だけちょっと外に出て働けば、あとは愛犬と散歩して、カフェでコーヒーを飲んで、本を読んで生きていける。
完全なる「勝ち確」の人生設計図が、そこには完成していた。
そう、頭の中の「もう一人の自分」が現れるまでは。
手帳の余白をじっと見つめていると、どこからともなく、冷徹でシビアな脳内ツッコミ担当が声をかけてきた。
『おい。お前、水も飲まないし、飯も食わないサイボーグになったのか?』
あ。食費を忘れていた。 2人暮らしだ。自炊中心でかなり引き締めても、月6万円はかかる。
『水道代とガス代は? 風呂は入らんのか?』
2人暮らしの平均からして、月1万1000円は上乗せだ。さらにスマホだけでなくWi-Fi代なども含めれば通信費は5000円に跳ね上がり、記載を省いていた他のサブスク代などを合わせればさらに1万円が飛んでいく。
ここまではいい。うっかり忘れていただけの、愛すべき生活の足跡だ。 しかし、脳内のツッコミ担当はここからさらに声を低くして、僕が最も見たくなかった「最大のリアル」を突きつけてきた。
『で、一番重い「国家という名の最大最強のサブスク」はどうするんだ?』
──年金。 そして、税金である。
会社員時代、給与明細の裏側でいつの間にか天引きされ、その存在を都合よく忘れていた怪物たちが、牙を剥いて手帳の余白に躍り出てきた。
会社を辞めて独立する、あるいはフリーランスになるということは、それらをすべて自分の手で、生身の現金で支払うということだ。 国民年金は、1人あたり月額1万7510円。2人分なら、それだけで毎月約3万5000円が問答無用で吹き飛ぶ。
さらに、前年の会社員時代の所得をベースに計算される「国民健康保険」と「住民税」が、退職1年目の背後から容赦なく追いかけてくる。これが低く見積もっても月に数万円。
手帳の余白で、数字の雪だるまが急速に膨れ上がっていく。 冷や汗をかきながら、すべての現実を盛り込んで電卓を叩き直してみた。
家賃:80,000円
電気代:9,000円
水道・ガス:11,000円
通信費(Wi-Fi込):5,000円
サブスク・ジム:10,000円
食費:60,000円
日用品・医療費:15,000円
カフェ代:12,000円
書籍代:3,500円
愛犬の諸経費:10,000円
旅行の月割積立:16,600円
国民年金(2人分):35,000円
健康保険・住民税(合算):約35,000円
すべてをガチで算出した「2人が生きていくためのミニマムコスト」は──
月、約30万円。
さあ、ここからもう一度逆算だ。
総支出30万円から、資産3500万円の4%運用益(11万6000円)を引く。 残った「労働で稼ぐべき金額」は、月7万6000円……ではなく、「月 約18万4000円」になった。
数字が、跳ね上がった。
時給1200円のバイトなら、必要な労働時間は月154時間。 週に直すと約40時間。
つまり、「週5日、1日7〜8時間のフルタイム労働」である。
「週3日、午前中だけ働いて、午後は犬と昼寝」という僕の美しい桃源郷は、年金と税金と食費という現実のワンツーパンチによって、一瞬にして粉砕された。 結局、普通にフルタイムで働かないとトントンにならないじゃないか。
手帳の余白をもう一度見つめ直す。 文字通り、肩の力がすーっと抜けていくような、「あきらめ」に近い溜息が漏れた。
なんだ、やっぱりまだ、僕は労働という名の巨大なシステムから解放されないのか。
会社を辞めて、暮らしを小さくして、これでようやく「あがれる」と思った。あの満員電車や、意味のない会議や、誰かの機嫌を伺うような時間から、完全に降りられる切符を手に入れたつもりだった。 でも、電卓の液晶に冷徹に表示された「18万4000円」という数字は、僕の首根っこをガシッと掴んで、「おい、まだこっち側に戻ってこいよ」と引き戻してくる。
普通にフルタイムで働くのと、大して変わらない労働量。 まだまだ、この泥臭い現世から降りることは無理らしい。
そう自覚した瞬間、胸の奥に、ほんの少しの絶望がじわっと広がった。 結局、生きているだけで、国家という最強のサブスクにお金を払い続けるために、僕らは自分の命(時間)を削って差し出さなきゃいけない。生きるの、本当にハードモードすぎる。
だけど。 その絶望のすぐ隣で、妙に生々しい、微かな「やりがい」のようなものが、小さく頭をもたげているのを感じていた。
ただ会社に言われた通りに働いていた頃の、あの死んだ魚の目のような、「義務としての労働」じゃない。
「月30万円という壁を、自分の頭と、自分の足で、どうやって突破してやろうか」
そう考えている今の時間は、悔しいけれど、なんだかちょっと「生きている」実感がするのだ。
これまでは、誰かが作った大きな船に乗せられて、決まったルートを運ばれていた。でも今は、ボロいかもしれないけれど、自分の人生の舵を、ようやく自分で握って、荒波の航路図を眺めている。この不自由さのなかで、どうやって自由の隙間をこじ開けてやろうかという、不敵なワクワク感。
「生きるの金かかりすぎワロタ」
手帳の隅に、そう小さく書き殴った。
悲しみと、絶望と、そしてほんの少しの、ゾクゾクするような生きがいをスパイスにして。 僕の本当の作戦会議が、今ここから始まる。
