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―OQTA Heart Poppoと「本来存在しないはずのコミュニケーションの回路(誤配)を作るひと」としての意味 by SMAAAAsh!!

OQTA Heart Poppoのユーザーであり、熱心なファンでもある SMAAAAsh!! さん が、東浩紀氏の「誤配」という概念を手掛かりに、このOQTA Heart Poppoを批評的に読み解いてくれています。
単なるIoT家電としてではなく、「言葉を超えた気配の回路を開く装置」としてのHeart Poppo。
ぜひじっくりと、この新しい視点&論考を味わっていただければと思います。

HATO研究所 小文シリーズ①

 東浩紀は、批評家とは「本来存在しないはずのコミュニケーションの回路(誤配)を作るひと」だと2018年5月11日のXでこう語っている。

 ここで重要なのは、批評を「正確な伝達」や「意味の翻訳」といった従来の狭い定義から解放し、むしろ偶然や逸脱によって新しい関係を開く営みとして再定義している点だ。誤配は、正しい宛先にメッセージを届ける郵便とは異なり、余計な迂回や不意の接続を生む。しかしその「間違い」が、思いがけない出会いや共感を生む土壌になる。

 東浩紀氏同様、この誤配の概念を手掛かりにするとき、デジタルハト時計 OQTA Heart Poppo の機能はきわめて鋭く批評的であると私には見えてくる。Heart Poppoは、スマートフォンアプリから「想い」を送信すると、離れた場所にあるハト時計が鳩をポッポーと鳴かせる。只それだけだ。テキストも、絵文字も、声も送られない。伝わるのは『誰かが自分を思っている』という最小限のシグナルである。

 通常のコミュニケーション機器は、正確さと即時性を求める。LINEやメールは「用件」を伝え、Zoomや電話は「声」や「顔」を届ける。しかしHeart Poppoはそれさえも放棄し、誤配の領域に踏み込む。送り手がどんな感情でボタンを押したのか、受け手は知ることができない。喜びかもしれないし、なにかしらのメッセージでもあって、なにかしらのアクションだ。
 そして、ただ、ハトが鳴いた事実だけが残る。この曖昧さは、受け手にとっても想像する手段しかなく、まさに「本来存在しないはずの回路」を生成している。

 例えば、遠く離れて暮らす母と息子を想像してみよう。母は息子の健康を気づかい、息子は母の孤独を案じる。通常なら「体調大丈夫?」「元気だよ」といったやり取りが交わされるだろう。しかし家族と言えど普段からどことなく距離がありコミュニケーションを取っていない二人ならば、そのメッセージには恥ずかしさが紛れ込み、どうしても「言葉にする以上の意味」や「言い過ぎてしまう照れ」がまとわりつく。

 だがHeart Poppoを介すれば、言葉にしなくても『今、あなたを思った🕊️』という最小限の気配だけが届く。意味が削ぎ落とされているからこそ、受け手も送り手も自分の文脈で自由に読み替えることができる。これこそが正配であり、心情における批評的回路である。

 つまり、誤配であったコミュニケーションに気付くということは、正配という選択肢が生まれるということでもある。 東浩紀が言う「批評家」は、社会においてまだ見ぬ回路を紡ぎ、偶然の交差点をつくる存在だ。だとすれば、Heart Poppoを設計したOQTAの試みは、テクノロジーを通じた心の批評そのものである。プロダクトは単なるIoT家電ではなく、新しく「正配を媒介する装置」として人々の関係を更新している。 

 さらに興味深いのは、この装置が「沈黙」を贈与している点である。現代のコミュニケーションは、過剰な情報と即答を要求する。「既読スルー」が不安を生み、「返信の遅さ」が関係を傷つける。しかしHeart Poppoは、受け手に返信を強いない。そこにあるのは「祈りに似た一方通行の気配」である。ハトの鳴き声を受け取った瞬間、受け手は自分の内側に応答を生成するが、それは外に向けて返されるとは限らない。沈黙のまま温もりだけが残る。この非対称性こそ、「用件の回路」ではなく「気配の回路」なのだ。 

 東浩紀の言う批評の力とは、まさにこうした「ずれ」を肯定するところにある。予定調和の外に回路を拓くこと。そこからしか新しい社会的想像力は生まれ得ない。そしてOQTA Heart Poppoは、デジタル技術が便利さや効率だけでなく、0情報から寧ろズレの『間』の調整可能性を設計できることを示している。送り手と受け手の『ズレ』が確認できることによって、まったく新しいコミュニケーション関係が生まれ、両者のゼロ情報から心情の一致を図るのだ。

 それがなぜ生まれるのかと言うと、非言語コミュニケーションであるがゆえに、ハト🕊️の音に託した送り手と受け手が、0情報同士だからだ。0情報同士だから想像💭するよりほかに手段がなく、これによって想像的コミュニケーションが生まれるのでもあって、ゼロ情報×ゼロ情報同士だからこそ、空白性からポジティブに考えた時に、同じ想いに落ち着くということでもあるのです。

 したがって、OQTA Heart Poppoは単なるIoT家電ではなく、批評的プロダクトとして読むべきだろうとわたくしは考えるのです。批評家が文章や言葉で社会に誤配のコミュニケーションを仕掛けるように、このOQTA Heart Poppoのハト時計は日常のリビングや職場に独特な気配を運び込む。そしてその想像通信💭は、現代の過剰に整備された情報社会にこそ必要な余白を生む。
 東浩紀が育てたいと語る「本来存在しないはずのコミュニケーションの回路(誤配)を作るひと」とは、人間だけに限られないこのデジタルの装置もまた、その役割を果たすことができる。

 OQTA Heart Poppoは、批評家の思想を体現する小さなハトであり、現代社会における「心の批評家」なのかもしれない。そして、0情報という『沈黙』は、人の心情にそっと寄り添い、人の心を育てるものでもある。そして又、この思考回路の気づきは、より社会変革させるテクノロジーでもあるのです。

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