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息子は、バレリーナになりたいわけではない

1. バレエをしているのは、息子です

「お子さん、習い事は何かしているんですか?」
そう聞かれるたびに、私は答えよりも、そのあとに訪れる一瞬の空気を思い出す。
「バレエをしています」
そう言うと、たいてい相手はやわらかく笑って、こう続ける。
「あ、娘さんですか?」

私には娘がいる。だから、そう思われること自体は不思議ではない。娘は音が鳴れば身体を動かしたくなる年頃だし、バレエと聞いて、多くの人がまず女の子を思い浮かべることもわからなくはない。
でも、バレエ学校に通っているのは、娘ではない。
「いえ、息子です」
そう答えると、相手の顔に一瞬、小さな空白ができる。
すぐに「あ、そうなんですね」と笑顔は戻る。けれど、その一瞬を何度も見てきた。
そこには、まだ言葉になる前の、何かが浮かんでいる。
チュチュのスカート。
つま先で立つ女の子。
細い腕をしなやかに上げ、音楽に合わせて回る姿。
そして、声に出すほどではないけれど、たしかにそこにある小さな驚き。
男の子なのに?
その驚きは、少しわかる気もする。

でも、息子は「バレリーナ」になりたいわけではない。

バレリーナは、本来、女性のバレエダンサーを指す言葉だ。男性のバレエダンサーは、バレリーノ、あるいはダンスールと呼ばれる。
その言葉を知ったのも、息子が踊り始めてからだった。

『白鳥の湖』も『くるみ割り人形』も、名前くらいは知っている。プリエ、タンデュ、アダージョ。聞いたことのある言葉は増えたけれど、その動きがどれほど正しいのか、今でもよくわからない。
それでも、一つだけはっきりわかることがある。
息子は、踊るのが好きだ。

音が鳴ると、身体が先に動いてしまう。広い場所があると、歩くだけでは足りなくて、走りたくなる。走るだけでは足りなくて、跳びたくなる。
息子が憧れているのは、チュチュを着てつま先で立つ姿ではない。高く跳び、強く回り、音楽の中にまっすぐ立つ、男性のバレエダンサーだ。
そう説明すれば、きっと伝わるのだと思う。
でも、日常会話の中で、毎回そこまで話すわけにもいかない。
「息子がバレエをしていて」
たったそれだけの一言で、会話が少しだけずれることがある。
私が見ているのは、可憐な世界だけではない。
汗で額に張りついた前髪。
何度買い替えても、すぐに穴があく白いダンスシューズ。
「シックスパックにならないかな」と言いながら腹筋をして、翌朝にはまた踊りに行く十歳の背中。
息子は、特別なことをしているつもりはない。
ただ、好きなことをしている。
けれど、その「好き」は、ときどき人の思い込みにぶつかる。
その痛みを、息子は私より先に知っていた。

2. 「ピンクのチュチュ着てるの?」

それは、息子が五歳のときだった。
「今日、遊べる?」
小学校の友達に、そう聞かれた。オランダでは、放課後に遊ぶ約束をするのは、ごく普通のことだ。
「今日は無理。習い事があるから」
「何の習い事?」
息子は、何のためらいもなく言った。
「バレエ」
次の瞬間、友達が笑った。
「ピンクのチュチュ着てるの?」
M君に、悪気はなかったのだと思う。彼の中にあるバレエは、きっとピンク色で、ふわふわしたものだった。
その場にいなかった私には、息子がどんな顔をしたのかはわからない。
ただ、家に帰ってきた息子の声は、どこか平らだった。
怒っているわけではない。泣いているわけでもない。
でも、いつもの「今日ね」とは、音が違っていた。

「バレエに行ってるって言ったら、M君に、ピンクのチュチュ着てるのって言われた」
私は、すぐには返事ができなかった。
「そんなことないよ」と言うのは簡単だった。
「気にしなくていいよ」と言うこともできた。
でも、気にしなくていいと言われて気にならなくなるなら、子どもの世界はもう少し簡単だ。
「そう言われたんだね」
たぶん、私はそう言った。
ひと呼吸置いて、「嫌だったのかな」と聞いた。
息子は、小さくうなずいた。

その日からだったと思う。
息子は、バレエを習っていることを、誰にでも話すわけではなくなった。隠している、というほどではない。聞かれたら答える。でも、自分からはあまり言わない。
それは息子なりの、身の守り方だったのだと思う。
自分の大切なものを、何でもない冗談で軽く扱われないように。
自分の好きなものを、笑われる場所にわざわざ差し出さないように。
でも、その痛みをほどいたのは、私の言葉ではなかった。

十二月。町でクリスマスマーケットが開かれた。
その日、息子のバレエ教室も、屋外のステージで踊ることになっていた。町の広場に作られたステージの前には、家族連れや学校の友達も集まっていた。
同い年の女の子たちは、サンタクロースの衣装を着ていた。その中で、男の子は息子ひとりだった。
音楽が始まると、息子はふざけることも、照れることもなく、練習してきた通りに踊った。
その姿を、前に「ピンクのチュチュ着てるの?」と笑ったM君も見ていた。
息子は、何かを言い返したわけではない。
ただ、踊った。

その日を境に、少なくとも友達たちは、息子のバレエを前のようには茶化さなくなった。言葉で説明したからではない。踊っている姿だけで、十分に伝わったのだと思う。
本当は、そんな強さを子どもに求めたくない。好きなものを好きだと言っただけで、傷つかなくてすむ世界のほうがいい。
それでも息子は、その日、冬の屋外ステージで、自分の「好き」を少しだけ取り戻したように見えた。
踊り終わった息子に、夫が言った。
「父ちゃんは、君を誇りに思うよ」
息子は、少し照れたように笑った。
私はその横で思った。
男の子がバレエを踊る姿は、やっぱりかっこいい。

3. 妹の体験レッスンへ

息子がバレエを始めたのは、誰かに何かを証明するためではなかった。
最初に踊り始めたのは、二歳のころだった。
そのころ通っていたのは、キッズダンスだった。音楽に合わせて跳ねたり、先生のまねをして手を上げたり、鏡の前で小さな子どもたちが思い思いに身体を動かすような時間だった。
息子は、それを楽しそうにしていた。
音が鳴れば動く。
先生が回れば、自分も回る。
回る場面では、たいてい必要以上に回る。
親の目には、それだけで十分だった。

けれど、そのダンス教室では、キッズダンスの次に少し本格的なバレエのレッスンへ進むことになっていた。そのタイミングで、息子は言った。
「バレエは、やらない」
少し驚いたけれど、無理に続けさせる理由もなかった。
そうして息子のダンスは、そこで一度終わった。
それから一年半ほどたって、今度は妹が言い出した。
「バレエ、やってみたい」
体験レッスンの日、息子も一緒について来た。
あくまで付き添いのつもりだった。
妹が踊る。兄は端で見ている。
そうなるはずだった。
ところが、レッスンが始まると、息子の目が変わった。
先生の声。床を踏む足音。音楽に合わせて動く子どもたち。鏡に映る、少し照れた妹の姿。
それを見ているうちに、息子の中で、何かが戻ってきたようだった。
レッスンが終わると、息子が言った。
「ぼくも、やりたい」
習いたくなったのは、体験に来た妹だけではなかった。
付き添いで来たはずの兄だった。

その秋、兄妹で同じダンス教室に入った。オランダの新学年は九月から始まる。新しいクラスに、新しい季節。そこに、もう一つ、新しいレッスンバッグが加わった。
一年半ぶりに戻ってきた息子を見て、先生は驚くほど歓迎してくれた。
「わあ、男の子が来てくれたわ」
その声を聞いて、私は初めて気づいた。
息子が戻ってきた場所は、懐かしい場所であると同時に、男の子がめずらしい場所でもあったのだ。
子どもの「好き」は、まっすぐ伸び続けるとは限らない。
いったん離れて、忘れたように見えて、また何かの拍子に戻ってくることがある。
息子の場合は、妹の体験レッスンの端っこで、それが起きたのだった。

4. 土曜日だけ会える、三人の仲間

町のバレエ教室に通い始めてから、息子は週に二回、レッスンへ行くようになった。
教室にいるのは、見渡すかぎり女の子だった。
ピンクのレオタード。きれいにまとめられた髪。
その中に、ひとりだけ男の子がいた。
町の教室は、居心地のいい場所だった。先生も、男の子がいることをとても喜んでくれた。
ただ、鏡の中に、同じような姿はなかった。

そんなころ、芸術学校の先生に毎週土曜日だけバレエを教えてもらえる、オリエンテーションプログラムがあることを知った。
オランダのグループ5。日本でいう小学三年生の年だった。
オーディションを受け、息子はそのプログラムに通えることになった。
初めてのレッスンの日。
帰ってきた息子が、少し興奮した声で言った。
「男の子が、三人もいた」
三人も。
その「も」に、私は胸をつかまれた。
たった三人。
でも、息子にとっては、三人も、だった。
同じようにバレエが好きな男の子がいる。それだけで、世界は少し広くなったのだと思う。

それから土曜日は、特別な日になった。
片道一時間半。父親の運転する車に乗って、息子は毎週その場所へ向かった。
近いとは言えない。むしろ、かなり遠い。
それでも息子は、朝になると自分からレッスンバッグを持って車に乗り込んだ。帰りの車では疲れて眠っていたけれど、その寝顔はどこか満たされていた。
そこで会えるのは、バレエ男子の仲間たちだった。
先生の声に耳を澄ませ、同じ床を踏み、鏡を見つめながらポジションを整える。
その時間が、息子の中に静かな芯を作っていったのだと思う。
やがてこのレッスンは、私たち家族を、想像もしていなかった場所へ連れていくことになる。

5. 受けるだけのつもりだった芸術学校

土曜日のレッスンに通い始めて、二年が過ぎようとしていた。
三月、芸術学校に入るためのオーディションがあった。
そこは、音楽やダンスに専門的に取り組む子どもたちが通う特別な学校だった。ダンス科の子どもたちは、月曜日から金曜日まで同じ校舎に通い、半日は普通の小学校の勉強をし、半日はスタジオでダンスのレッスンを受ける。
息子は、受けてみることにした。
ただし、本気で通わせるつもりはなかった。
家からは、片道一時間半かかる。土曜日に通うだけならまだしも、九歳の子どもが毎日通うには遠すぎる。家を離れて暮らすには、まだ幼すぎる。
だからそれは、入学のためというより、ここまで続けてきたことを一度見てもらうための機会だった。
どのくらいできるようになったのか。
この先も、本当に続けていけるのか。
親である私たちにとっても、息子にとっても、それを知るためのオーディションのつもりだった。

当日の朝、車の中で息子はよくしゃべった。緊張すると、息子は少し早口になる。その日は、わかりやすいくらい早口だった。
会場には、土曜日のレッスンで見かける子たちが集まっていた。男の子も、女の子も、みんな少しだけ顔がかたかった。
大きな番号のついたゼッケンを、レッスン着の前と後ろにつけた。
その数字をつけた瞬間、いつものレッスン着が、急にオーディションの服に見えた。
「楽しんでね」
そう声をかけると、息子は短く言った。
「おう」
そして、他のバレエ男子たちと一緒に、背すじを伸ばしてスタジオの中へ入っていった。
数時間後、戻ってきた息子は、思ったより普通の顔をしていた。
「どうだった?」
「楽しかった。よくできたと思うよ」
それだけだった。
子どもは、ときどき大きな出来事を、驚くほど普通の顔で持ち帰ってくる。

しばらくして、結果が届いた。
合格だった。
息子の顔が、ぱっと明るくなった。
私も、うれしかった。もちろん、うれしかった。
でも、そのうれしさのすぐ横で、胸のあたりが少し重くなった。
受けるだけのつもりだった。
今の力を見てもらうだけのつもりだった。
中学生くらいになったら、いつか行けたらいいね。
そんなふうに思っていた。
それなのに、扉は開いてしまった。
しかも、その扉の前に立っていた息子は、思っていたよりずっと本気の顔をしていた。
遠いから無理。
まだ九歳だから無理。
家族の生活があるから無理。
そう言ってしまうことは、たぶんできた。
でも、合格という知らせを前にすると、それはもう、親だけで閉じていい話ではないように思えた。
受けるだけのつもりだったオーディションは、いつの間にか、私たち家族に問いを投げていた。
息子は、本当はどうしたいのか。
そして私たちは、その本気にどこまで向き合えるのか。

6. 「できるなら、バレエ学校に行きたいな」

三月末、芸術学校から合格の知らせが届いた。
そして四月に入ってすぐ、もう一つの知らせが届いた。
息子が四歳のグループ1から通っていた小学校が、今年度で閉鎖されることになったのだ。
経営上の理由だった。
小さな町の、小さな学校だった。

学校がなくなっても、行き先がなくなるわけではない。案内された別の学校があった。
ただ、そこへ通うには、車で片道二十分ほどかかることがわかった。
二十分。
遠すぎるわけではない。けれど、毎日のこととなると近いとも言えない。娘の学校はどうするのか。家族の一日の形が、少しずつ変わっていくのが見えた。
そのとき、私の中に一つの考えが浮かんだ。
どちらにしても、家族の毎日は変わる。
それなら、バレエ学校の近くへ引っ越すという選択肢も、まったく別の話ではないのかもしれない。
もちろん、簡単なことではない。家を変えるということは、生活を変えるということだ。夫の仕事、娘の学校、家のローン、近くに住む義理の家族。考え始めれば、違うことだらけだった。
それでも、一度浮かんだ考えは消えなかった。

寝る前、息子の部屋に声をかけに行った。明かりは落としてあり、ベッドサイドのランプだけがついていた。
「本当は、どうしたい?」
息子は、すぐには答えなかった。
合格したのだから、行きたいなら行きたいと言えばいい。大人の私は、ついそう思ってしまう。
でも、九歳の子どもは、そんなに単純ではなかった。
親の顔を見る。
家の空気を読む。
自分の夢だけを、まっすぐ差し出せるわけではない。
最初に出てきたのは、自分の希望ではなかった。
「パパの仕事は大丈夫なの?」
それから、少し間を置いて、
「お金、大丈夫なの?」
と聞いた。
私は一瞬、言葉に詰まった。本当は、そんなことを先に心配しなくていい年齢でいてほしかった。
「もしパパの仕事の都合ですぐには引っ越せなかったら、ママと平日だけバレエ学校の近くに住んで、週末にパパと妹に会う方法もあるかもしれないね」
息子は、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「家族みんな、一緒がいいな」
自分の夢の話をしているはずなのに、その真ん中に家族がいる。
私はもう一度聞いた。
「もし家族みんな一緒に行けるなら、どっちの学校に通いたい?」
息子は、布団の中から私の顔を見た。
「できるの?」
「まだわからない。でも、できるとしたら?」
少しだけ間があった。
それから、ようやく本音が出た。
「できるなら、バレエ学校に行きたいな」
大きな声ではなかった。飛び跳ねるような言い方でもなかった。
でも、私には十分だった。
薄暗い部屋の中で、その一言だけが、はっきり残った。
息子は、自分の答えを出した。
今度は、夫と私が答える番だった。

7. 生まれ育った町を出た父

夫はオランダ人で、子どものころからサッカーをして育った。
バレエのことは、ほとんど知らなかったと思う。
それでも、息子が踊ることを好きなのは、よく知っていた。
息子が二歳のころ、夫は「チャチャチャチャー、チャララッチャ」と歌いながら、二人で白鳥の湖らしきものを踊っていた。
がっちりした夫と、腕を羽のように広げる息子。
バレエというより、ほとんどコメディだった。

その夫が、息子を毎週土曜日のレッスンへ送った。
片道一時間半。
レッスンの間は待ち、また一時間半かけて帰ってくる。
簡単なことではなかったはずだ。
それでも夫は、本気で踊りたい息子を、いちばん近くで支えていた。
だからといって、芸術学校に合格したとき、すぐに「いいよ」と言えるわけではなかった。

行かせたい気持ちはあった。
けれど、その気持ちを現実にするには、家族の暮らしを丸ごと動かさなければならなかった。
夫と私は不動産サイトで候補を探し、Googleマップで通学時間を確かめ、土地勘のない町へ何度も物件を見に行った。
家の広さ、町の雰囲気、価格。
その全部を、短い時間で決めなければならなかった。

一か月ほどで家を決め、二か月後の六月には引っ越した。
始まりは、息子がぽつりとこぼした本音だった。
「できるなら、バレエ学校に行きたいな」
その声を、私たちは受け取った。
そして夫は、自分の人生の場所を動かすことになった。
サッカーで育った父は、息子のバレエのために、町を出ることを選んだ。

8. 初めての公演会

九月、十歳になった息子は、芸術学校に通い始めた。
午前は勉強。午後はスタジオ。
新しい学校、新しい先生、新しい友達。家を出る時間も、帰ってくる顔も、前とは少し違っていた。
それでも息子は、その場所に自分の足で入っていった。
夕食の時間、息子はバレエ学校で覚えた言葉を家に持ち帰ってきた。
「タンデュっていうのはね」
そう言って椅子の横に立ち、足をすっと前へ出して見せてくれる。
リビングの床に、バレエの言葉が少しずつ増えていった。

十二月。初めての公演会があった。
「どんなダンスなの?」
何度聞いても、息子は教えてくれなかった。
「見てからのお楽しみ」
そう言って、得意そうに笑うだけだった。
本番の日、客席に座ると、胸の奥が落ち着かなかった。
暗くなった舞台。
照明に照らされた床。
音楽が始まる前の、あの静かな時間。
幕が上がるたびに、私は息子の姿を探した。
ひとり、ひとり。
その中に、いた。
息子だ。
そろえようとしている足。
まだ舞台の大きさに追いつかない身体。
それでも、まっすぐ前を向いている背中。
学校でいちばん年下の子どもたちの舞台は
うまいとか、そういうことではなかった。

町のバレエ教室で、女の子たちの中にひとり立っていた子。
「ピンクのチュチュ着てるの?」と笑われて、それから自分からは、あまりバレエの話をしなくなった子。
「男の子が、三人もいた」と、あんなにうれしそうに帰ってきた子。
その子が今、ダンサーを目指す仲間と一緒に、同じ舞台に立っている。
ああ、ここまで来たのだと思った。
息子だけではない。
私たち家族も、ここまで来たのだと思った。
そう思った瞬間、目の前の舞台がにじんだ。
終演後、舞台用のメイクで目元だけきりっとした息子に、夫が言った。
「かっこよかったぞ」
息子は、照れたように笑った。
それから、町でお世話になったバレエ教室の先生も見に来てくれた。
「ずいぶん上手になったわね。今の環境が、あなたに合っているのね」
その言葉で、町のバレエ教室の床と、目の前の大きな舞台が、静かにつながった気がした。
初めての公演会は、結局、最後までにじんだままだった。

9. バレエは、お金持ちだけのもの?

舞台の上の息子は、まぶしかった。
でも、舞台を降りれば、そこにはまた生活がある。
公演会の翌朝にも、いつもの朝が来た。お弁当箱を出し、パンを並べ、冷蔵庫からチーズを取り出す。
息子のお弁当は、たいていシンプルだ。
薄いパンに、チーズをぺらっとはさんだサンドイッチ。ハムのサンドイッチ。たまにピーナツバター。
自分でパンを出し、好きな具をはさみ、お弁当箱に入れる。
十分である。
少なくとも本人は、そう思っている。
芸術学校に通い始めてから、息子は時々、同級生の家に遊びに行くようになった。
都市部にありながら、広い一軒家に住む子も少なくない。庭に大きなトランポリンが置かれていたりする。
お弁当にも、その家の景色が出る。
色とりどりの具が入った、きれいなサンドイッチ。話を聞くだけで、詰められたお弁当箱が浮かんだ。
「そういうの、持っていきたい?」
ある日、私が聞くと、息子はあっさり言った。
「別に。自分が好きなものを自分で作って持っていくから、そういうのはいらない」
強がりではなく、本当にそう思っている顔だった。
けれど私は、その顔に少しほっとして、少し胸が痛くなった。

バレエは、お金持ちの習い事。
その言葉は、オランダでも同じなのかもしれない。
実際、バレエはお金がかかる。
レッスン代、練習着、送迎。白いダンスシューズに穴があけば、「もう?」と思いながら財布を開く。リハーサルが増えれば、家族の予定も変わる。
それでも息子がここまで来られたのは、本人ががんばったからだけではない。
たまたま、私たちはオランダに住んでいた。
海を越えて留学するのではなく、家族の暮らしごと動かせば届く場所に、バレエを専門的に学べる学校があった。
簡単だったわけではない。
夫の仕事、娘の学校、家のこと。考えなければならないことはいくつもあった。
それでも私たちは、動くことを選んだ。
いくつもの条件が重なって、息子は今、踊る場所に立てている。
だからこそ思う。
バレエは、お金持ちだけのものなのだろうか。
そうであってほしくない、と私は思う。
「踊りたい」と夢を持つ子どもが、お金や環境を理由に、その夢をしまい込まなくてすむ世界であってほしい。
大きな庭のある家に住んでいない子どもにも、薄いパンにチーズをはさんで出かける子にも、白いダンスシューズに穴をあけながら、それでも踊る子にも、舞台へ続く道があってほしい。
バレエは、お金持ちだけのものではない。
そう言い切れる世界であってほしい。

10. いつか、味噌汁を出せる人になりたい

では、私には何ができるのだろう。
バレエ学校に通うようになってから、息子のまわりには、日本から来ている生徒もいると知った。
まだ十代の子が、家族と離れ、知らない言葉の中で暮らしながら、毎日レッスンバッグを持って学校へ向かう。
すごいな、と思う。
よく頑張っているな、と思う。
この姿を、日本で待っている親御さんに見せたいと思う。
私自身は、舞台で踊ることはできない。バレエの専門的なことも、まだほとんどわからない。
でも、白いごはんを炊くことならできる。
味噌汁を作ることならできる。
日本語で、ゆっくり話を聞くことならできる。
いつか、息子と同じような夢を持つ子がオランダに来たら、白いごはんと味噌汁を出して、ほっと息をつける場所を作りたい。
親元を離れても、ひとりではないと思える場所。
泣きたい日は泣いて、また次の日、レッスンへ歩き出せる場所。
一人の子を支えることは、目立たないことかもしれない。
けれど、その子が夢を叶え、いつか舞台に立ったなら、その踊りは、客席にいる何百人の心を照らすかもしれない。
一人を支えることは、未来の客席まで支えることなのだと思う。
だから私は、このオランダに、夢へ向かう子どもたちが帰れる家を作りたい。
息子に連れられてきたこの場所で、私にも、夢ができた。


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