真似をする事
真似をする。
これを悪い意味で捉えると、相手の恥ずかしい事をふざけるように再現して、相手に恥をかかせるという解釈になるかもしれません。
しかし、良い意味で捉えると、尊敬する人の生き方と同じように過ごす事で、たくさんの発見があると僕は思います。
皆さん、「学ぶ」という言葉は何から出来ているか解りますか?
この言葉の語源は「まね(=真似)」や「まねぶ」という言葉が語源だと言われています。
真似とは、いわゆる模倣するという事です。
初めての事に挑戦する時、何事も何処かしらにお手本が必ずありますよね?
就職して、先輩から仕事のやり方を教わる、学校の授業で先生から数学の計算方法を教わる…
教わった事と同じようにして答えを導く…つまり真似をする、やり方を模倣して、少しずつ理解していくと思います。
つまり、それこそが始まりなんだと僕は思います。
かつて、曹洞宗の大本山・永平寺(福井県吉田郡永平寺町)第78世貫首(=住職)を史上最高齢で務めた宮崎奕保(みやざき えきほ)禅師がこんな話をしていました。
禅師は子供の頃、引き取られたお寺で老僧の下で毎日坐禅などの厳しい修行を嫌々ながらしていたそうですが、多感な年齢ゆえにその生活に全く馴染めず、修行をサボり遊び呆けたりしていたそうです。
29歳の頃、転機が訪れたそうです。
老僧が亡くなった事で、まだ温かい亡骸を見てこう思ったそうです。
「偉い人やったなぁ…」と。
何故か。
80を過ぎても雲水(=修行僧)と同じものを食べ、雲水と同じように1日を…わたくしのない生活をする。
雲水に対して口だけじゃない、実行で示した。
その老僧の生活が手本だと思ったそうです。
そして、老僧のような坊さんになりたい。
その気持ちがあるから厳しい修行に真剣に向き合うようになったそうです。
だから、人間は真似をするべきだと。
1日真似をしたら、それは1日の真似。
2日真似して、そのまま何もしなかったら、それは2日の真似。
だけど、一生真似したらどうなるか?
真似が本物になる。
当時100歳を過ぎた宮崎禅師そうおっしゃっているのをYouTubeで観た時、すごく雑な感想ですけど、なるほどなって思いました。
皆さんの中には、誰かしら尊敬する人がいるかと思います。
その人のようになりたい。
そう思うのであれば、何か一つだけでも良いので、その人が行っている習慣を真似する事は悪くないと思います。
僕は、明石家さんまさんを尊敬しています。
これは習慣とかではありませんが、さんまさんと同じような考えを真似するようにしています。
それは「人に腹を立てない」という事です。
さんまさんは、他人に対して嫉妬心がなく、自分を過信していないから、腹が立つ事はないそうです。
「何やねんコイツ?」と思う事はあるけど、すぐに「コイツ、アホなんやな」と切り替えるそうです。
腹立たせる奴、人を怒らせる奴、それを「アホ」だと思うだけで、自然と腹を立てる事がなくなるんだそうです。
自分は腹を立てられる器ではないし、そんな偉くもない。
腹立てて怒るような人間は、自分が偉いんだと勘違いしている。だから怒るんだと。
それを聞いた時にものすごく心に響いて、僕はこの生き方、考え方を真似するようになりました。
そして自然と、明石家さんまさんのこの考え方を尊敬するようになりました。
だから僕は、ここ数年他人に対して叱る事はあっても、怒る事はほとんどなくなりました。
腹を立てて怒っても、タイムマシンでもない限り過去の過ちは二度と変えられないので。
僕はさんまさんとは違い、まだ三十路の若い人間なので、人によってはコイツは怒らないから何しても良いと、舐められるような事も確かにあります。
しかし、別に僕はそれは相手がアホなんだからそうするんだと思えば良いだけなので、僕はこの考えを貫いていくと思います。
尊敬する人がその考えでいる限りは。
最後に…
他人の真似をするなら、善い事を真似て下さい。
あなたがその人を尊敬するように、今度はあなたが尊敬される側の人間になるかもしれません。
その時に、胸を張って自分はこうやっていると言えるようになって下さい。
