企業の境界論(1):アダプテーション理論
今回はCoaseとWilliamsonの問題意識をゲーム理論の枠組みで分析した「アダプテーション理論」を取り扱う。問題の本質である「事後のホールドアップ問題」を定義し、それを引き起こす5つの原因と、解決策としての企業の「垂直統合」の合理性について議論する。連載マガジンはこちら。
「Make or Buy」のモデル化
前回の最後で「企業の境界論」について時代を画したCoaseとWilliamsonの問題意識と功績に触れた。その核心は市場や企業内取引で発生する「取引費用」の存在であり、それが市場と企業の境界を決定付けるとの主張である。
市場を利用するためには費用が発生する。それは主に①取引相手を見つける費用、②交渉し価格を見つけ契約する費用、③交渉コストを節約して長期契約にしようとすると柔軟性が欠ける費用である
企業組織においても、規模拡大に伴い費用が発生する。それは主に①管理する傾向が強まることによる費用、②施策の不徹底に対し寛容になることによる費用、③政治的な影響に伴う費用である
これらの取引費用が発生する原因は、不確実な将来において契約が不完備とならざるを得ないためであり、さらにその原因をつきつめると、人間の諸性質である①限定合理性、②機会主義と取引相手の少数性、に帰結する
現実の世界では、市場取引と企業内取引を比較し、取引費用を最小化するように企業の規模が決定され、実際の企業や市場が観察される
ここでCoaseとWilliamsonが展開した企業の境界論、より具体的には「Make or Buy」(自社内で製造するか、市場を通じて購入するか)の意思決定問題を数理的に分析する準備として、中間財を自社内で作るか、市場を通じて外から購入するかによって、企業の境界がどのように異なるかを考察する。
例えば上流の$${U}$$が金属を加工してフレームを生産し、それを下流の眼鏡メーカー$${D}$$社が仕入れてレンズを付けて眼鏡に仕上げる場合、中間財であるフレームの所有権は、それを生産する加工装置の所有者に帰属する。上流が金物メーカー$${U}$$社として製造設備の所有権を握っている状態が「非統合」であり、中間財の所有権は$${U}$$社にある。この場合の$${U}$$社は「独立した契約者」、$${D}$$社と$${U}$$社の関係は「アウトソーシング」である。
一方、下流企業$${D}$$社が製造設備の所有権を握っている場合が「統合」の状態であり、中間財の所有権は$${D}$$社にある。この場合の$${U}$$は「従業員」、$${D}$$社と$${U}$$の関係は「雇用関係」である。
非統合の場合は、$${U}$$社は中間財を別の下流企業$${D'}$$社にも販売できるのに対し、統合の場合は中間財の所有権は$${D}$$社にあるため$${U}$$は$${D'}$$社に対して中間財を販売することはできない。

以上の準備の下、CoaseとWilliamsonが問題とした不完備契約とそれに基づく機会主義的行動に関するケーススタディを踏まえ、ゲーム理論的にモデル化された「アダプテーション理論」について理解を深めていきたい。
取引で「足元を見られる」状況
まず、とある金物メーカー$${U}$$社と大手眼鏡メーカー$${D}$$社との間に起きた次のやり取りをご覧頂きたい。(なるべくリアリティのあるケースとなるよう作成を試みているが、実在の企業とは一切関係のないフィクションであることには留意されたい。)
金物メーカー$${U}$$社は他社に類を見ない精密加工技術を活かした高品質な金物製造に強みを持ち、事業拡大の野心に溢れていた。その$${U}$$社の技術力に目を付けたのが、大手眼鏡メーカー$${D}$$社である。$${D}$$社は近年気鋭のデザイナーを起用し、機能性とデザイン性に優れた高級眼鏡を展開したいと考えており、$${U}$$社に新商品用の独自フレームの共同開発を持ちかけた。
ここで$${D}$$社との共同開発を成功させれば一気に事業展開を図れると踏んだ$${U}$$社は二つ返事で承諾し、更に全面的に$${D}$$社の要望に応えるべく素材選定・加工・仕上げの全ての工程を$${D}$$社仕様に作り替え、$${D}$$社独自の組立方式に対応していった。
取引の流れとしては、$${U}$$社が$${D}$$社にフレームを納品し、$${D}$$社がレンズやその他の部品と併せて眼鏡を組み立て、$${D}$$社直営店で販売する。両社の売上配分は折半を基本路線としつつ、販売前のモニター調査を実施し、両社の売上貢献度に当初想定と大きな乖離が生じた際は要協議、とされた。
こうして$${U}$$社の技術の粋を集めた軽くてデザイン性豊かなフレームと$${D}$$社の組立技術、マーケティング技術を融合させた高級眼鏡が完成。併せて$${D}$$社の販売網や接客力を活かして発売前に店頭で購入希望者へモニター調査を行い、情報収集していった。$${D}$$社の当初見立てに対し反応は良好で、$${U}$$社も発売直後からの増産を期待していた。
ところが事態は一変する。高級路線を推し進めていた$${D}$$社の経営陣と低価格路線へのシフトを画策する創業家との対立が決定的となり、現経営陣が退陣を迫られることになる。その結果、創業家側につく新経営体制が発足し、これまでの方針をガラリと変え、低価格路線を打ち出すこととなった。
これまで$${U}$$社と友好的にやり取りしてきた$${D}$$社の窓口も一新され、売上配分方針について$${U}$$社へ次のように持ち掛けた。「購入希望者へのモニター調査の結果、購入の一番の決め手となりそうなのは有名タレントを起用した弊社の販促と店頭での丁寧な接客であり、フレームが決め手と答えた購入者の割合は他の一般商品と変わらないことが分かった。ついては、特別仕様のフレームを納品頂いたところ申し訳ないが、新商品の売上増加の要因は弊社の施策にあり、貴社には他から納品されている一般的なフレームと同等程度分のお支払いしかできない」と。
これに$${U}$$社は当然憤慨した。しかしここで$${D}$$社と決裂しフレーム在庫を全て買い取ってもらえなくなった場合、特別仕様のフレームをそのまま他社には販売できず、再加工の費用も踏まえると廃棄するしかなくなってしまう。かといってモニター調査の情報は全て$${D}$$社が握っており、$${U}$$社側から自社の貢献を示すデータを提示することも難しい。$${D}$$社は$${U}$$社が置かれたこのような状況を当然見透かした上でふっかけてきたのだった。結局$${U}$$社は泣く泣く$${D}$$社の要求を呑まざるを得なくなり、$${U}$$社の社運を賭けた一大プロジェクトは大赤字に沈んでしまったのである―。
この状況はまさにCoaseとWilliamsonが指摘した、契約が不完備となることで$${D}$$社の機会主義的行動を招き、それが$${U}$$社との揉め事に繋がったというケースである。$${D}$$社にとっては自社の売上を最大化できたかもしれないが$${U}$$社にとってそうではないのは言うに及ばず、社会全体から見ても$${D}$$社が$${U}$$社の足元を見てふっかけるために理論武装をし、両社が時間をかけて再交渉するコストも生じているため、取引が円滑に進んだ場合と比較してその分だけ社会に生み出される経済価値が棄損したとも言える。その意味では不完備契約と機会主義的行動が社会全体の効率性を損なっているとも言え、この問題をどう解消していくのかというのが今回のテーマである。以下で改めて、今回の問題がなぜ生じたのかを振り返る。
①契約の不完備性
まず取引前の売上配分の契約が「折半を基本路線としつつモニター調査次第で要協議」という曖昧なものだった点が挙げられる。これは契約の「原則主義」、つまり将来起こり得る全ての状況を事前に詳細に規定するのではなく、基本的な原則や目的を示すことで、状況が発生した際にその原則に基づいて合理的に解釈・運用することを前提とした考え方である。原則主義では変化する状況や複雑な取引に対応しやすい一方、具体的な条項を過剰に列挙する訳ではないため、当事者間の信義則や合理的判断に委ねる部分が大きい。対する契約の「細則主義」は発生し得る具体的な状況や条件を詳細に列挙・規定する方式であり、今回の場合ではモニター調査の結果で生じ得る全ての結果に対応して売上配分を規定する契約に相当する。調査が点数などの定量指標のみであれば計算式を導入すれば不可能でないかもしれないが、感想のような定性指標をどう評価するか、まして$${D}$$社のスタンスが変化した場合にも解釈の余地がない程に契約内で規定することは、現実のビジネスでは難しい場合がほとんどであろう。つまり契約がより不完備な原則主義をとる理由は、人間の認知が限定的であり、不測の事態の予見が非常に困難なためである。
②事前の意思決定の必要性
また、この契約をモニター調査の結果や$${D}$$社の経営体制刷新といった事象が明らかになる前、つまり不確実性が解消する前(=事前)に締結しなければならない点も問題発生の一因である。この前提もビジネスでは現実的な条件と言えよう。そもそも売上配分を規定しないまま$${U}$$社がフレーム生産を始めれば、最悪ただ働きさせられるリスクを孕む。仮に$${D}$$社に支払う意思があったとしても、$${D}$$社側もモニター調査結果が出てからの契約締結は回避したいはずだ。何故なら上のケースでは結果的に$${D}$$社に有利な調査結果となったが$${U}$$社に有利な結果もあり得たはずで、その場合は逆に$${D}$$社の取り分が少なくなる可能性がある。$${U}$$社もその点はお互い様で、事前にある程度配分見通しを立て、不測の事態に限り誠実協議を行う取り決めにした方が取引が円滑となろう。なお、事前の取り決めが折半なのか$${7:3}$$なのか、といった塩梅は事前の両社のパワーバランスに依存するが、今回は比較的対等に近い事前の関係を想定し、折半とした。
③不確実な結果の重要性
そして、今回は将来の不確実な状況の結果が、当該取引に対して重要な影響を及ぼすものであった点も挙げられる。そもそも契約が不完備であろうが事前の意思決定が必要であろうが、将来の不確実性が小さい、将来どうなろうが契約内容には関係がない、または両社の利害が一致している状況であればそれらはさほど問題にはならない。しかし今回のケースは新商品の販売と経営体制の刷新という不確実性の高い状況を想定しており、その結果が売上配分の取り決めに与える影響が大きく、かつ両社がその売上を分け合う利益相反の関係にあったことが問題の根本原因である。
④関係特殊性
次に、$${U}$$社と$${D}$$社の関係特殊性が挙げられる。今回$${U}$$社が$${D}$$社にふっかけられた際、$${D}$$社からフレームを引き上げてより高値で買い取ってくれる眼鏡メーカーを探索することも検討したが失敗に終わった。その理由はこのフレームが$${D}$$社の新商品に合わせて素材選定・加工・仕上げの全プロセスを最適化した特別仕様の製品であり、他社製品とは規格やデザインが合わない、意匠に$${D}$$社との特殊な権利関係があるなどの要因で$${D}$$社にとっては価値があるが他の眼鏡メーカーにとっては価値がない製品となっているためである。このような製品を「関係特殊的製品」、$${U}$$社が行ったプロセス最適化のような設備投資を「関係特殊的投資」と呼ぶ。Williamsonは関係特殊性の例として、①地理的な特殊性(資産同士が近隣に立地し輸送効率が高められている状態)、②物的資産の特殊性(特定の事業用途のために作られた物的資産)、③人的資産の特殊性(特定の事業や企業に有用な人の能力)、④特定用途の特殊性(特定の事業のために開発された無形資産)、を挙げている。
⑤機会主義
最後に、$${D}$$社が「取引相手の足元を見るような会社である」ことも挙げられる。このような相手を出し抜いてでも自社を利する行動を「機会主義的行動」と呼ぶ。ここで強調せねばならないのは、機会主義的行動はあくまで人や企業の合理的な意思決定の結果として生じるもので、決して善悪といった倫理的な問題ではない点である。組織の経済学では基本的に人や企業は合理的な行動(採り得る全ての選択肢を吟味したうえで自身の利得を最大化する行動)を採ることが大前提とされる。逆に機会主義的行動が抑制されるとすれば、それは「人が良い」からではなく機会主義的行動に係るコスト(交渉の手間や今後の取引に係る影響、レピュテーションリスク、良心の呵責のような心理的負担等)を合理的に勘案した結果であると経済学では解釈する。今回の状況では、モニター調査が$${D}$$社に有利な結果となった点(これは事実として立証可能なのか、そうではなく$${D}$$社が自身に有利なように事実や解釈を歪めて主張しているのかは問わない)、$${D}$$社の経営体制の刷新により今後の事業運営において$${U}$$社の重要性が低下した点、$${D}$$社側窓口の変更によりこれまでの$${U}$$社とのやり取りや人間関係に縛られずに交渉を遂行可能となった点などが、$${D}$$社の機会主義的行動を合理的たらしめた要因と考えられる。
事後のホールドアップ問題
上記①~⑤の諸要因の結果、取引が進むにつれ様々な状況が明らかになり不確実性が解消されていく状況において、「事後的」(=不確実性が解消された後)にその状況に適応する必要があるが、その際に相手との交渉が上手くいかないことから生じる非効率の問題を「事後のホールドアップ問題」と言う。
では、事後のホールドアップ問題、言い換えれば$${U}$$社が$${D}$$社に足元を見られることの何が問題なのだろうか。$${U}$$社の経営陣からしてみればこの事態が問題なのは自明であり、それは$${U}$$社の売上配分が著しく棄損されるためである。一方、経済学的な立場からはこれとは少し異なる視点で、次のように事後のホールドアップ問題を定義する。
均衡状態における各企業の選択の組み合わせが、事後効率的な観点から見て望ましい選択の組み合わせと異なっている時、事後のホールドアップ問題が発生している、という
ここで「事後効率的な観点から見た望ましい各企業の選択の組み合わせ」とは、不確実性が解消された後の状況において、両社の利得合計が最大になるような両社の選択の組み合わせを言う。今回は$${D}$$社の機会主義的行動に伴う費用(=市場を介して$${U}$$社と取引する際の取引費用)の存在が社会的利得の(Pareto)効率性を損なっていると考えられる。
以上のストーリーを、ゲーム理論における展開形ゲームの枠組みで分析したものが「アダプテーション理論」である。
アダプテーション理論
展開形ゲームによる記述
ここから、$${U}$$社に起きた事後のホールドアップ問題を、アダプテーション理論により記述する。上述の通り、アダプテーション理論で議論になる「事後的な」適応の際に生じる非効率性とは、取引が進むプロセスにおいて様々な状況が明らかになるにつれ「事後的に」その状況に適応することが必要となるが、その際に相手との交渉が上手くいかないことから生じる非効率性である。つまりアダプテーション理論は「不確実性が時間の経過とともに解消していく環境下において、統合と非統合のいずれが適応的な意思決定をより容易にするか」を問う理論と言える。
ここでゲームのセットアップとして、次の状況を想定する。
ゲームの開始時点は「事後」、つまりモニター調査の結果が確定し、$${D}$$社の経営体制の刷新も起こり、不確実性が解消された後の状態である
$${U}$$社は$${D}$$社仕様のフレームを生産するため、自社の工場設備を全て$${D}$$社仕様のフレームを作るために改造するような「関係特殊的投資」を既に行っているとする
両社は当初の契約では、$${D}$$社が販売した新製品の売上を折半するものとする。この時予想された売上を$${Y}$$とし、予想値は必ず実現するとする
$${D}$$社は特注フレームではない汎用的なフレームを他の金物メーカーからも調達可能であり、それを使って眼鏡を販売した場合の売上予想値を$${y < Y}$$とし、こちらも必ず実現するとする
$${D}$$社が当初契約について翻意し、モニター調査の結果を元に$${U}$$社へ条件を再提示するための費用を$${f > 0}$$とする
以上の想定の下で、以下に示すような展開形ゲームを考える。
$${D}$$社はコスト$${f}$$を支払い条件を再提示する$${(R)}$$かしない$${(NR)}$$かを選択する。再提示する場合、$${U}$$社には汎用フレームを使った時の売上の半分に相当する$${\dfrac{1}{2}y}$$を支払い、残りの$${Y-\dfrac{1}{2}y}$$は全て$${D}$$社に帰属するという提案を行う($${U}$$社製の特注フレームが購入の決め手になっていないという$${D}$$社側の主張)
$${NR}$$の場合は当初契約通り、売上$${Y}$$を両社で折半する
$${D}$$社の条件再提示に対し、$${U}$$社は受諾する$${(OK)}$$か拒否する$${(NO)}$$かを選択する。$${OK}$$を選択すると、$${U}$$社の利得は$${\dfrac{1}{2}y}$$、$${D}$$社の利得は$${Y-\dfrac{1}{2}y-f}$$となる
$${U}$$社が$${NO}$$を選択すると、$${U}$$社がフレームを引き上げ他の眼鏡メーカーへ販売を打診するが$${D}$$社仕様フレームなので売れず、$${U}$$社の利得はゼロとなる。$${D}$$社は他の金物メーカー$${U'}$$社から汎用フレームを購入し、その時の売上は$${U'}$$社と折半とする。従って$${D}$$社の利得は$${\dfrac{1}{2}y-f}$$となる

以上の展開形ゲームに対し、後ろ向き帰納法を用いて部分ゲーム完全均衡を求める。まず、$${U}$$社の選択において、$${OK}$$を選択した場合の利得は$${\dfrac{1}{2}y>0}$$、$${NO}$$を選択した場合の利得は$${0}$$なので$${U}$$社は$${OK}$$を選択する。このことを見込んで$${D}$$社は$${R}$$か$${NR}$$のどちらかを選択するかを考える。
$${D}$$社が$${R}$$を選択すれば利得は$${Y-\dfrac{1}{2}y-f}$$、$${NR}$$を選択すれば利得は$${\dfrac{1}{2}Y}$$となる。つまり$${f < \dfrac{1}{2}(Y-y)}$$ならば$${R}$$、そうでなければ$${NR}$$を選択する(等号成立時は$${NR}$$を選択するものとする)。以上より、このゲームには再交渉費用の大きさによって、2つの部分ゲーム完全均衡が存在し得る。
再交渉費用$${f}$$が$${f < \dfrac{1}{2}(Y-y)}$$の場合、均衡は$${(R, OK)}$$、均衡パスは$${R \rightarrow OK}$$、利得はそれぞれ$${U}$$社:$${\dfrac{1}{2}y}$$、$${D}$$社:$${Y-\dfrac{1}{2}y-f}$$となる
再交渉費用$${f}$$が$${f ≥ \dfrac{1}{2}(Y-y)}$$の場合、均衡は$${(NR, OK)}$$、均衡パスは$${NR}$$、利得はそれぞれ$${U}$$社:$${\dfrac{1}{2}Y}$$、$${D}$$社:$${\dfrac{1}{2}Y}$$となる
次に、これらの均衡が事後効率的な観点から望ましいかを検証する。前述の通り事後効率的な選択とは、不確実性が解消された後の状況において、両社の利得合計が最大になるような両社の選択の組み合わせである。両企業の組み合わせは$${(R, OK)}$$、$${(R, NO)}$$、$${(NR, OK)}$$、$${(NR, NO)}$$の4通りで、これらの各組合せにおける両社の合計利得は下記の通りとなる。

つまり事後効率的な選択は$${(NR, OK)}$$、$${(NR, NO)}$$の2通りであり、その内$${(NR, OK)}$$はゲームの均衡である。$${(R, OK)}$$の均衡では事後効率的な状態が達成されず、事後のホールドアップ問題が発生している。
以上より、再交渉費用$${f}$$が高くつく$${f ≥ \dfrac{1}{2}(Y-y)}$$の場合は、$${D}$$社が再交渉を行わないため、事後のホールドアップ問題が発生しない。一方、$${f}$$が$${f < \dfrac{1}{2}(Y-y)}$$と低水準であれば$${D}$$社は再交渉を行うため、事後のホールドアップ問題が発生してしまう。
事後のホールドアップ問題の解消
ここまでの議論から、$${f}$$が大きく再交渉費用が高くつくときには事後のホールドアップ問題は発生しない。再交渉費用を上昇させる手段としては「事前契約」の枠組みをより厳格化することが挙げられる。売上折半のみを規定し、違反した場合には裁判所が当該契約の履行を強制できる建付けにすることなどである。但し上で見たようにあらゆる状況に対応した完備契約を結ぶことは現実的には不可能であり、またあらゆる手段を用いて履行を回避しようとする当事者に履行を強制させることは難しく、弁護士費用等の別の費用も勘案すれば「泣き寝入り」の状況をうまく打開できるとは限らない。
次の手段として、今回$${D}$$社の経営体制の刷新により今後の事業運営において$${U}$$社の重要性が低下した点に着目する。$${U}$$社は$${D}$$社の急激な方針転換に対応しきれず取引が今回限りで終わったが、仮に$${U}$$社が$${D}$$社の方針に追従可能であれば$${D}$$社に対する$${U}$$社の重要性が低下せず、長期継続的な関係を構築できる可能性がある。その場合、一度の不義理で$${U}$$社との関係に亀裂が生じることのリスクから$${D}$$社の機会主義的行動が抑制される可能性がある。このように長期継続的取引を利用して相手の機会主義的行動を防ぐことを目的とした「非公式な合意」を「関係的契約」と言う。関係的契約によるホールドアップ問題解消の分析は今後の章で取り扱う予定である。
また、事後のホールドアップ問題解消のための別の手段として、$${D}$$社が$${U}$$社の株式を100%買収して「垂直統合」し、$${U}$$社との取引を内部化することを考える。この場合$${U}$$社は$${D}$$社内の意思決定における権限関係の中に組み込まれるため、独立した意思決定主体は統合後の$${D}$$社のみである。$${D}$$社が$${U}$$社の法人格を維持する場合は$${U}$$社自体は存続するが、吸収合併等を行う場合は$${U}$$社としての法人格は消滅する。いずれの場合においても、実質的にフレームの生産活動を行うのは(買収前の)$${U}$$社の従業員であり、以降の統合ケースでは(買収前の)$${U}$$社従業員を指して$${U}$$と呼称する。
$${D}$$社は$${U}$$に特注フレームを生産させ組織内取引でフレームを調達する$${(IN)}$$か、汎用フレームを外部の他の金物メーカー$${U'}$$社から調達する$${(OUT)}$$かを選択する
$${IN}$$の場合は非統合の場合と同様に高級眼鏡を販売し、売上$${Y}$$を計上する。この売上$${Y}$$は全て統合後の$${D}$$社の利得に帰属する
$${OUT}$$の場合は$${U'}$$社から汎用フレームを購入し、汎用品を販売したときの売上$${y}$$を$${U'}$$社と折半とする。従って$${D}$$社の利得は$${\dfrac{1}{2}y}$$となる

この状況では明らかに、内部取引$${IN}$$で利得$${Y}$$を獲得することが$${D}$$社にとって最良の選択肢であり、それがこのゲームにおける唯一の均衡点となる。またこの均衡点は事後効率的な観点から見ても望ましく(プレイヤーが$${D}$$社のみのため、$${D}$$社の利得最大化が社会的利得の最大化とイコールになる)、事後のホールドアップ問題が解消されている。このことからアダプテーション理論では「統合」が「非統合」よりも望ましい場合が生じるため、一方当事者に意思決定権を集中する「統合」の合理性が説明し得る。
問題は「事後的な」適応不良だけか?
アダプテーション理論の主張を突き詰めると「全ての不確実性が消失した後における適応不良こそが問題の本質だ」という結論に辿り着く。その意味では関係特殊的投資は必ずしもモデルの前提に必要なく、アダプテーション理論は広範な状況において適用可能なモデルである。例えば我が国の医療保護入院制度の機能について論じた以前の記事『医療保護入院の経済学』で用いた分析の枠組みは、アダプテーション理論の応用とも言える。
一方、アダプテーション理論では考慮し切れていない限界も存在する。例えば「統合」ケースにおける内部取引の費用である。今回$${U}$$社と$${D}$$社との間の再交渉費用$${f}$$を導入したが、統合ケースにおいてそれはゼロと仮定されている。確かに市場取引における再交渉費用と比較して社内の意思決定プロセスで生じる摩擦は小さいと言えそうだが、それでも無視できないケースでは、むしろ市場取引の方が依然正当化される状況もあり得よう。
企業の境界論的な観点でより重要な問いは「事後的な適応不良さえ解消されれば、$${U}$$社と$${D}$$社との間で問題は起きなかったと言えるのか」である。答えはNOであり、事後的な交渉が円滑に実施される仮定を置いたとしても、別の問題が発生する可能性がある。この点について分析を進めたのが次回取り扱う「所有権理論」であり、モデルを提唱したHartの功績である。次回はこの「所有権理論」が対象とする問題設定、モデル上の仮定や分析からの示唆等、アダプテーション理論との対比も交えて論じていく。
