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おりおりいっぴつ #058(神仏とは、なにか?)

埋もれた歴史に 

感謝する

ようこそようこそ


日本という国は、優しい国です。

大きな火事があったり、洪水で流されたり、地震で崩れたりしても、人は村の大切なものを、我が身の危険をかえりみず、ときには命をかけても、土に埋めて守り抜く信仰を持っていました。

それは、毎日生きていられることに対し、笑顔で暮らせることに対し、大切な人が健康でいられることに対し、仕事があることに対し、感謝でいっぱいだったからこそ、できたのです。

ではなぜ、そんなに感謝ができたのでしょうか?

それは、生活が苦しかったからです。

なぜ生活が苦しかったのに、笑顔でいられたのか? 

それは、心が豊かだったからです。

なぜ豊かでいられのたか?

それは、自分たちは神仏に守られていると深く信じていたからです。

八幡様:「さて。ここで質問です」

僕:「え? 僕にですか?」

八幡様:「そうです。果たして、神仏とはいかに」

僕:「・・・それを僕に聞く、ということは、神仏とは、単なる神や仏ではないということですか?」

八幡様:「私の話を聞いていましたか?」

僕:「そりゃもちろん。聞いていました。と思います」

八幡様:「まず、そのキャラメルコーンの蓋をしめて、ちゃんと座りなさい」

僕:「あ、はい、しめました」

八幡様:「肘をついてお茶を飲まない」

僕:「・・・すみません。えっと、神仏ですよね。神や仏という表現を、別の表現に直してみる、で良いですよね?」

八幡様:「はい。どうぞ」

僕:「では、まいります。やはり人間にとっては、神様とか仏様は、偉大なる力を持っているひとつのエネルギー体だと思うんです。何でもできるし、願いも叶えてくれる、万能の化身か何かだと思っているような気がします」

八幡様:「はい。そうですね。そこからさらにもっと踏み込んでください」

僕:「え。これ以上、どこに踏み込む余地があるんでしょう。・・・えっと、そうですね、絶大な力を持ったスーパーマン的な存在とでも言うんでしょうか」

八幡様:「絶大な力とか、願いを叶えるとか、万能だとか、スーパーマンまで出てきましたが、もし人々がそう思っているのであれば、全くの見当違いです」

僕:「でも、だって踏み込めって言うから、もうそれくらいしかないですよ!」

八幡様:「と言いながらキャラメルコーンを食べるのをやめなさい。さて、人がそう思うところはそうかもしれません。しかし、実際のところ神仏というものは、元々、人の心に宿っているものなのです」

僕:「!」

八幡様:「お社に祀られているとされていても、本当はそこにはいません。人が行くことによって、神は降りてきてその場に在します。ひっきりなしに人が来る場所は例外です。一回一回戻っている時間がもったいないですから、人が大勢いれば神様はずっとそこにいます。普段いない場所に訪れた場合、柏手を打って、敬意を払って神様を呼びます。そこで初めて、姿を表してくれるのです」

僕:「ちょっとよくわからないんですけど・・・、神様は普段、神社にはいないということですか?」

八幡様:「いると言えばいるし、いないと言えばいません。人感センサーのライトみたいなものです。人が来ればパッと光がつくように、誰かが訪れて、パンパンと手を叩けば、神はなんじゃらほいと出てきます」

僕:「そんな簡単なんですか!?」

八幡様:「簡単と言えば簡単ですが、難しいと言えば難しい」

僕:「・・・どゆことですか?」

八幡様:「つまり、その人が神を信じていなかったら、信じていない人の下には神は降りてこないということです。神も、アウェーは苦手なのです。自分の味方であるならば、そして謹んで頭を下げてくれる人ならば、何かしら協力できることがあったらしようではないか、という姿勢でいるわけです。人として考えると、友人を大切にできない人間には、友達として協力ができないということになります」

僕:「そうか。つまり、人を大事にできない人には、神様は舞い降りてこないということですね?」

八幡様:「その通りです。人を大切にしたいと思っている神様が共感するのは、次のふたつのうち、どちらでしょうか。

  1. 人のことを思い、守り慈しみ、愛する人

  2. 怒り、憤り、人を罵り、あざけり笑う人

もう分かりですね?」

僕:「だんだんわかってきました。人間として、常に礼節をわきまえ、人を貶めず、人を心から大切にする人こそが、自分に神を宿しているということですね? そして神様であるということは、そのお仲間である神様を、神として呼ぶことができるという、そういう特権があるということになるんでしょうか。真面目に、人のために尽くし、誠実に生きている人は、その心に神を宿して、柏手を打つと『お仲間が呼んでるよ』ということになり、神様が反応し、『どうしたどうした?』と助けてくれるということになるんですね?」

八幡様:「いいえ、助けてはくれません。すべて、自分で挑戦していかなくてはいけません。しかし、応援はいたします。その応援は、人との出会いだったり、事故回避だったり、家族の安全だったり、お金の巡りだったり、その辺の支援をするわけです」

僕:「めっちゃ助かりますやん・・・」

八幡様:「はい。しかし、条件を満たさなければ、お助けすることはできません。心から、本気になって、やろうとしていることをよどみなく神様に伝えることができたなら、ポイントは高いです。言葉を考えながら自分の決意を表明するのではなく、朗々と歌うように、楽しげに、必ず成功させてみせるという気概を持ちながら言えば、神様は微笑んで聞いてくれます。ともに立ち向かおうではないか! という勢いになって」

僕:「なんてすばらしいニコイチなんでしょう・・・」

八幡様:「そんな人々の、真摯な記憶が、その石仏に残っています。ですから、ただの石の仏ではないのです。人間の神をも宿したものなのです。自分達自身を大切にし、仲間に感謝して、大きな災害から逃れたご利益もあり、末永く愛されたものになっていったものがこれです」

僕:「つまり、皆が大切にしているものを心から大切にしたからこそ、ここにこうして、今もまだ残っている、ということなんですね」

八幡様:「そのとおりです」

僕:「では、神仏とはいかにの答えは、神仏とは人なり。ということなんですね? 人がいてこそ、神が降りてくるのであれば、逆に言うと、その人がいなければ神も仏もないということですものね。人の存在そのものが、神の存在とつながっている。・・・ということは、八幡様も、僕がいるからそこにいらっしゃるんですね?」

八幡様:「ご想像にお任せします」

僕:「ぶっ! いやいや、そこは、その通りです。でしょう!」

八幡様:「皆様が持っているその神聖な気持ち、何かを信じる気持ち、誰かを愛する気持ち、大切な人を守りたいという気持ち、それらは私たちが、人々に対して思っている全てです。それは、あなたたちが、私たちを大切に扱ってくれるからに他なりません。心から御礼申し上げます。ありがとうございます。それを受けて、この記事を、少しずつでも継続していき、皆様のお力になるように心がけて参りますので、何卒よろしくお願い申し上げます」

僕:「こちらこそ、ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いします。正直僕としては八幡様の厳しさが何かとやりにくいこともありますが、しっかり通訳していこうと思っていますので、お手柔らかにお願いしますよ」

八幡様:「突然ですが、ミッションが入りました。今から出られますか?」

僕:「さっそく全然お手柔らかくないし・・・。はい、行けますよ。あ、ちなみに・・・」

八幡様:「キャラメルコーンは持っていって良いですよ」

とまあ、こうしてお話の途中でもミッションが入ると、すべて中断せざるを得ない毎日です。

では、お茶を一気飲みして、ちょっと行ってきます。

あなたに、今日も幸あれ。

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