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第10話|救われた人が、次の人を救う

不思議なことがあります。

「誰かを救おう」と思って始めたわけじゃないのに、あとから聞くと、

「あの時間で、私、生き延びました」

そう言われることがあります。

そのたびに、僕は少しだけ困ります。

だって、救った実感なんてないからです。

ただ、

一緒に笑って、
一緒に黙って、
一緒に座っていただけ。

八幡様は、そんなときこう言います。
「救いは、行為ではなく循環です」

循環。

つまり、一人で完結しない。

救った人が偉いわけでも、助けられた人が弱いわけでもない。

救われた経験が、次の救いを生むという循環です。

ゴンちゃんの舞台で、よくある光景があります。

最初、客席の後ろで腕を組んだ大人が無表情で座っていて。

表情は固く、子どもだけを前に行かせている。

でも、途中でくすっと笑うんですね。

その笑いを見た隣の人が、少し安心して笑ってくれていて。

気づけば、その人が一番大きな声でツッコミを入れてくれて。

終演後、その人が言いました。

「思い出しました。昔、僕もこういう場所に救われたんですよ。」

そう言って、今度は隣の誰かに声をかけてくれるんです。

「今こそ、こういうのが必要な時代やで。なあ!」

救いは、横に渡されていきます。

上からでも、下からでもない。

横。

だから、続くんですね。

八幡様は、こんな言い方をします。

「人は、助けられたことを忘れません。そして、同じ形で返そうとします」

恩返しじゃない。

再現です。

あのとき、こうしてもらって楽になった。

だから、今度は、自分が同じ距離で、同じ温度で、そばに立つんだ。と

パペットシアターでも同じことが起きます。

最初は、何も話さなかった人が、

数回目にぽつりと誰かに言う。

「無理しなくていいですよ」

その一言で、場が変わる。

本人は気づいていなかったりして。

でも、確実に循環が始まっていることがわかります。

救いは、大きな言葉じゃない。

説得でも正論でもない。

「わかるよ」の一言。

それだけで、人は、次の朝を迎えられます。

僕は、自分が誰かを救ったと思ったことはありません。

でも、誰かに救われたことは何度もあります。

舞台で笑ってくれた人。

泣きながら拍手してくれた人。

「今日は来れてよかった」と言ってくれた人。

その一つひとつが、僕を次の現場へ連れていってくれたんです。

八幡様は言います。

「救われた人は、使命を持たされるのではありません。余白を持つのです」

余白。

だから、次の人が入ってこられるんだ。

余白のない正しさは、誰も寄せつけないの。

余白のある人間性が、人を呼ぶんですね。

もし今、あなたが

「何もできていない」

と感じているなら。

それは違います。

あなたが今日まで生きてきたこと自体が、

誰かにとっての希望の証拠になりうるんです。

過去に救われたあなたは、もう循環の一部です。

無理に何かをしなくていい。

ただ、そこにいる。

それだけで、十分です。

あなたに幸あれ


◾️2026年2月7日(土)
◾️17:00開場 18:00開演(20:30終演)
◾️キンケロシアター
 (東京目黒区青葉台1-15-11)

◾️チケット 5,000円/お一人様
(3歳未満のお子様は無料)

◾️全席自由
◾️チケット購入
 クレジット決済→ https://teket.jp/g/wpj02nplmh

 現金決済→ http://mail-to.link/m9/yl6l5b

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