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#偏見を壊すnote|ある番組から見る、「親が2人いれば大丈夫」という思い込み(後編)

前編を書き終えたあとも、
心の中に残っていたのは、はっきりとした答えではありませんでした。

ただ、
そのまま流してしまうには気になる違和感が、
静かに残っていました。

考えすぎなのかもしれない。
そう思おうとしても、
何度も同じところに戻ってきてしまいます。



ワンオペは、いつの間にか生まれている

ワンオペという言葉は、
ひとり親の大変さを表すものとして
使われることが多いように感じます。

けれど実際には、
親が2人そろっている家庭でも、
ひとりで回している状態は珍しくありません。

それは、
誰かが怠けているからでも、
誰かが無関心だからでもありません。

少しずつ、
判断する役割や責任が、
同じ人に集まっていく。

その積み重ねが、
気づかないうちに
ワンオペという形をつくっていきます。


父親の立ち位置が、最初から曖昧なまま

父親は、
「手伝う人」「支える人」として
関わってきました。

何かあれば呼ばれる。
困ったときに助ける。
必要な場面で参加する。

それ自体は悪いことではありません。
ただ、その立ち位置が長く続いてきたことで、
育児の中心に立つ役割から、
少し距離ができてしまったようにも感じます。

一方で、
母親はどうでしょうか。

気づく人。
決める人。
先を考える人。

そうした役割を、
当たり前のように引き受けてきました。


「できる側」として扱われてきた母親たち

母親は、
教えられなくてもできる存在として
見られてきました。

頼る前に動く。
言われる前に気づく。
黙って回す。

その方が早いから。
その方が波風が立たないから。

そうして積み重ねてきた時間が、
結果として、
負担の偏りを見えにくくしてきたのかもしれません。


「ふたり親」という前提の中で

「親が2人いる」という前提は、
安心感を与える一方で、
別の側面も持っています。

外から見れば、
「大丈夫そう」に見える。
「助けはいらない」と思われる。

その前提の中で、
困っていることが伝わりにくくなる。

実際の負担や苦しさが、
見えないままになることもあります。

人数だけでは測れないことが、
確かに存在しています。


それでも、ここに残るもの

ここまで書いてきて、
私の中に残っているのは、
誰かを責めたい気持ちではありません。

ただ、
これまで当たり前だと思ってきた前提を、
一度立ち止まって見直したい、
という思いです。

親が2人いれば大丈夫。
その言葉が、
本当にすべての人を支えてきたのか。

そう問い直すことも、
大切に感じています。


✎*・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

考えても、
すぐに答えが出る話ではありません。

それでも、
考え続けることには意味があると感じています。

違和感は、
なくすものではなく、
抱えたまま見つめていくものなのかもしれません。


📌 #偏見を壊すnote

親が2人いても、
実際にはひとりで回しているように感じることがあります。

決めること、
気づくこと、
先を考えること。
その多くを担い続けていると、
言葉にしづらい疲れが積み重なります。

それでも毎日を続けていることは、
決して当たり前ではありません。

その大変さが、
ここではちゃんと伝わってほしいと思います。


#偏見を壊すnote シリーズ、次は「特別支援教育」の話に続きます。


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