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#偏見を壊すnote|「親の幸せ」と「子どもの幸せ」― 子育て支援という言葉の中で ―

四姉妹を育ててきた中で、
ずっと心の奥にある感覚があります。

親が笑っていることは大切。
家の中に明るい空気が流れることも大切。
それでも、そこにいる子どもたちは、
それぞれ別の心を持って生きています。

親の幸せと、子どもの幸せ。
同じ屋根の下にあっても、
それぞれに形があり、色がある。
私はそう感じながら子育てをしてきました。

だからかもしれません。
「子育て支援」という言葉に出会うたび、
小さな違和感が胸に残ります。

その支援は、
いったい誰のために設計されているのだろう。
親を助けることと、
子どもの心を守ることは、
いつも同じ方向を向いているのでしょうか。



親の安心と、子どもの安心は同じではない

親がほっとできることは、
家庭にとって大切な土台になります。
時間に追われずに済むこと。
お金の不安が少し軽くなること。
仕事と育児の両立が整うこと。

それは確かに、
家の空気をやわらかくします。

けれど、その空気の中で、
子どもが同じ気持ちでいるとは限りません。

親が前を向く決断をした日、
子どもは戸惑いを抱えていることもあります。
親が安心した選択が、
子どもには寂しさになることもある。

家族だから、分かり合えているはず。
そう思いたくなる瞬間もあります。
それでも、子どもには子どもの感じ方があり、
親とは違う景色を見ています。

親の安心と、子どもの安心。
重なる部分はあるけれど、
完全に同じ形にはなりません。

その違いを見ないまま、
「親が満たされれば大丈夫」と考えることに、
私は少し立ち止まってしまうのです。


だからこそ、制度に違和感がある

子育て支援という言葉を耳にするたび、
私は立ち止まってしまいます。

児童手当の拡充。
保育料の軽減。
育休制度や働き方の見直し。

どれも大切な支えです。
親の負担が軽くなることは、
日々の暮らしを守る力になります。

それでも、
そこに並ぶ多くの制度は、
「親が育てやすくなること」を中心に
組み立てられているように見えます。

親を助けることで、
結果として子どもも守られる。
その考え方は理解できます。

けれど、
子どもの気持ちはどこで守られているのでしょう。
子どもの声は、
どこで立ち止まり、
丁寧にすくい上げられているのでしょうか。

支援が増えるほど、
安心が広がるはずなのに、
どこかに小さな空白が残る。

その空白の正体が、
私の感じている違和感なのかもしれません。


子どもは、親の延長ではない

子どもは、
親の人生の一部のように見えることがあります。
同じ苗字で、同じ家に住み、
同じ食卓を囲んでいるからです。

けれど、本当は、
ひとりの人間として生きています。

親が選んだ道を、
そのまま同じ気持ちで歩いているとは限りません。
親が良いと思った環境が、
子どもにとって心地よいとは限らない。

感じている温度も、
親と同じとは限りません。

小さな体の中に、
小さなままではない心があります。
言葉にできない思いも、
ちゃんと存在しています。

子どもは、
親の努力の成果でも、
人生の付属品でもありません。

そう考えると、
子どもを「親の延長」としてまとめてしまうと、
こぼれてしまう声があると気づきます。

その声を、
私は見逃したくないと感じています。


子どもの立場だけに立つ支援はあるのか

あらためて見つめると、
ひとつの問いが浮かびます。

子どもの立場だけに立った支援は、
いまの社会にどれくらいあるのでしょうか。

子育て支援の多くは、
親の負担を軽くすることから始まります。
お金のこと。
預け先のこと。
働き方のこと。

それは確かに必要な支えです。
暮らしを整えることは、
家庭を守る力になります。

けれど、
子ども自身の気持ちや願いを、
まっすぐ受け止める仕組みは、
どこにあるのでしょう。

親の意向とは別に、
子どもの思いだけに耳を傾ける場所。
家庭の外側で、
子どもの側に立ち続ける視点。

そうした支援が、
もっとはっきりと見える社会だったら。

親を助けることと、
子どもを守ることを、
同じものとして扱わない姿勢があれば。

そんなことを、
私は静かに考えています。


この違和感の行き先を、見つめていく

私が感じている違和感は、
制度を否定したい気持ちからではありません。

助けられてきた場面も、確かにあります。

それでも、
どこかに小さな引っかかりが残ります。
子どもの心が、
きちんと真ん中に置かれているのか。

親も余裕のない日々の中で、
できることを選び続けています。

その姿を知っているからこそ、
親と子をひとつのかたまりとして扱う見方に、
私は戸惑いを覚えます。

子どもが、
誰かの延長としてではなく、
“その子自身”として見られる社会であってほしい。

家庭の中でも、
制度の中でも、
子どもという存在が
ひとりの人間として尊重されること。

この違和感は、
声を荒らげるためのものではありません。
静かに問い続けるためのもの。


✎*・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

家族という形の中で、
見落としてきたものがあったのかもしれません。

けれど、子どもの立場だけに立つ視点は、
どれくらい育っているのでしょう。

この違和感の行き先を、
もう少し見つめていきたいと思います。


📌 #偏見を壊すnote

子育て支援という言葉の中に、
子どもの姿はどれくらい見えているのでしょう。

親を支えることと、
子どもを守ること。

同じに見えて、
少しだけ違うかもしれない。

その小さな違いに、
目を向けることから始めたいと思います。


「#偏見を壊すnote」シリーズ、次は「子ども中心」という視点の話に続きます。

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