「技術常識」をめぐる議論 ——弁理士クラブ研修会『生成AI特許侵害訴訟の解説』を聴いて
先週金曜日、弁理士クラブの研修会に参加してきました。当社が原告として提起した特許権侵害訴訟が題材として取り上げられた、少し特別な回でした。
開催概要
研修会名:弁理士クラブ研修会『生成AI特許侵害訴訟の解説 ―訴訟事例から読み解く、生成AIサービスと知財実務の勘所―』
日時:令和8年7月24日(金)18:30〜20:00
講師:弁護士 郡 佑太 氏(MASSパートナーズ法律事務所)
会場:東京都千代田区大手町一丁目6番1号 大手町ビル4階 FINOLAB内セミナールーム
単位取得:1.5単位(日本弁理士会 単位認定研修)
配付資料:会場での紙資料の配布はなく、参加者へPDFで共有
はじめに
素材として取り上げていただいたのは、当社パテント・インテグレーション株式会社が原告として東京地方裁判所に提起した、生成AIを用いた特許情報サービスに関する特許権侵害訴訟(おそらく、国内初の生成AI関連発明に関する特許訴訟となります)です。郡先生は本件の当事者代理人ではなく、あくまで第三者の実務家として、公開情報をもとに当社の特許と訴訟記録を丹念に調査・分析し、研修の教材として構成してくださいました。
当事者である私自身が、自社の事件を第三者の分析を通じて聴講する、という少し不思議な立場での参加でした。しかし、外部の目で訴訟の全体像を整理していただく機会は、当事者にとってこそ得るものの多い時間でした。
講演の内容
講演は大きく三部構成でした。
第1部・第2部:知財訴訟の特色
特許権侵害訴訟の審理構造(侵害論=特定論・充足論・無効論、そして損害論)を確認したうえで、知的財産高等裁判所が公表する統計に基づき、新受・既済件数と平均審理期間、判決・和解の内容、認容額・和解額の分布などが紹介されました。特許権侵害が一部でも認められた事案が全体の約45%にとどまるという数字や、和解に至る動機が控訴リスクの回避・費用の軽減・判決では実現できない柔軟な解決にあるという指摘は、権利行使を検討する事業者にとって直視すべき前提だと思います。
訴額の算定基準や、知財高裁が公表している審理モデルの解説も、実務の相場観を掴むうえで有用でした。
第3部:本件訴訟の解説
本件については、警告書の送付から提訴に至る経緯、対象特許の請求項の内容とイ号製品の構成の対比、技術説明会において裁判所が特に説明を求めた事項、そして主張された無効理由とこれに対する反論まで、公開情報に基づいて精緻に整理していただきました。
差止請求訴訟と損害賠償請求訴訟を分けて提起した点、分割出願を用いて同一製品の異なる機能を順次ターゲットとした点についても、「実務的評価」として言及がありました。
第4部:生成AI分野における「当業者」「技術常識」
最後に、審査基準・『特許法概説』・近時の裁判例を踏まえ、生成AI分野において「当業者」と「技術常識」をどう設定すべきかという、本件の中核をなす論点が扱われました。
当事者として、公開可能な範囲で
特許係争について、当事者が自ら語ることは決して多くありません。ただ、公開可能な情報の範囲内で、いくつか記しておきたいことがあります。
まず、相手方代理人は、イノベンティアの飯島歩弁護士でした。高名な知財実務家と手合わせをさせていただいたことは、率直に光栄でした。ご一緒に担当された川崎眞実先生も、おそらく最初期の大きな事件だったのではないかと想像しますが、書面も主張も終始しっかりとしたもので、今後の知財紛争でのご活躍が楽しみな方だと感じました。相手方代理人のお二人に、まずは敬意を表したいと思います。
また、弊社顧問の河部康弘氏にも、本件では大きな活躍をいただきました。この場を借りて改めて感謝申し上げます。
感想①「技術常識」の議論が持つ意味
郡先生が講演の中で触れられていたとおり、本件は、生成AI関連発明をめぐる国内で最初の特許訴訟と位置づけられるものです。そして、無効論、とりわけ「技術常識」について、非常に充実した議論がなされました。
生成AIの分野は、技術の進展があまりに速い。対話型LLMのChatGPTの一般公開は2022年11月30日、GPT APIの公開は2023年3月であり、本件特許の原出願日は2023年6月19日です。2026年の現在地から振り返れば「そんなことは当時も当然だった」と思えてしまう事項が、本当に2023年6月時点の当業者にとって容易に想到できたのか。ここには、後知恵(hindsight)の危険が構造的に潜んでいます。
審査基準上の「当業者」は、出願時の技術水準にあるものを自らの知識としうる存在であり、知識の広さという点ではほとんど「全知」に近い。しかし「全能」ではなく、その創作能力は、合理的な動機付けの範囲での先行技術の組合せと、通常の設計変更にとどまります。この非対称性をどこまで丁寧に議論できるかが、変化の速い領域における進歩性判断の質を決めるのだと思います。
日本において生成AIの利活用発明をどう保護するかは、今後の産業競争力に直結する重要な問題です。その重要な論点について、当事者双方が正面から主張を尽くし、裁判所からも具体的な釈明を求められる形で議論が積み上がったこと自体が、弁理士をはじめとする特許実務家にとって前向きな意味を持つと考えています。
感想②2013年からの歩み
私は、東京大学で理論物理学、なかでも素粒子理論を専攻し、博士後期課程を中退したのち、2013年頃から、知識の構造化とAIによる知識情報処理の可能性に着目して研究と開発を続けてきました。現在、生成AIを利用している特許情報サービスベンダーの中では、最も早い時期からこの領域に取り組んできた一社だと自負しています。
そうした先見的な取り組みについて、特許庁のIP BASE AWARDや、りそな中小企業振興財団の中小企業優秀新技術・新製品賞といった評価をいただいてきました。今回、自社の知財活動そのものが研修会の素材として取り上げられたことも、地道な積み上げが一定の評価をいただけた結果と受け止めています。
感想③規範は「学ぶもの」なのか、「創るもの」なのか
懇親会の席で、郡先生と印象深い意見交換をさせていただきました。
私自身は、ゲームや情報サービス領域における実務家です。この種の情報通信領域、とりわけ先端的な技術領域においては、法改正や政府の動向を追い、判例を研究することはもちろん重要である——けれども、それだけでは足りないのではないか、というのが私の考えです。
たとえば、ドワンゴの川上量生会長がFC2に対して提起した一連の訴訟。国外のサーバを用いて構築されたネットワーク型システムに日本の特許権の効力が及ぶのか、という論点は、事業者が自ら訴訟を通じて司法に問いを立てたことによって、はじめて規範として形になったものです。既存の枠組みの内側で最適化するのではなく、枠組みそのものを切り拓いていく姿勢で事業と知財活動を行うことが大切だ、と申し上げました。
郡先生は少し驚かれていたようでした。無理もないことだと思います。法改正や政府動向、判例研究を熱心に学ぶ実務家は数多くいても、自ら規範づくりに踏み込もうとする者は、ほとんど見当たらないからです。
しかし、技術が法の想定を追い越していく領域では、誰かが最初の一件を担わなければ、規範はいつまでも空白のままです。本件が生成AI関連発明に関する国内初の特許訴訟となり、「技術常識」という論点をめぐる議論の場を生んだことは、まさにその空白を一歩埋める作業だったと考えています。
おわりに
当社は、今後も特許出願(分割出願を含む)および権利行使を通じて、積極的な知財活用に取り組んでまいります。そして、知財権が尊重される公正な社会の実現に向けて、引き続き取り組んでまいります。
最後に、第三者の立場から、公開情報に基づいて本件を冷静かつ精緻に分析してくださった郡佑太先生、そして貴重な機会をいただいた弁理士クラブの関係各位に、心より御礼申し上げます。
パテント・インテグレーション株式会社 代表取締役CEO・弁理士 大瀬佳之
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