全部知らなくても、好きは好き
「今の若い子って、“好きのレベル”低いよね」
たまに仕事でご一緒する人が、「わかるだろ」と、まるで同志に語りかけるように言ってきた。
彼の話をまとめると、こうだ。
職場の後輩ちゃんが、とあるアニメキャラのペンを使っていた。
名札を見ると同じキャラのシールが貼ってあり、グッズを集めているそうだ。
好きだというのに、そのキャラが出てくるアニメ自体は見たことがないらしい。
それで、冒頭の言葉になる。「それでよく好きって言えるよね」
いや、主語が大きすぎる。
そして、勝手に同志にしないでほしい、と思った。
「好き」が最強の時代
“好きの密度”がコンテンツになる、そんな時代だと思う。
ひとつのものを突き詰めている人はかっこいいし、話も面白い。私自身も、そういう人に憧れる。
でもね、“なんとなく好き”も、大切な“好き”のひとつだ。
アニメを見ていないのに、キャラクターは好き。
それって、逆にすごいことじゃないだろうか。
そもそも、人の好きを採点するな。
人の好きにケチをつけたがる人が多すぎる。
好きは誰かと比べるものでもないし、誰かが評価していいものじゃない。
「30カ国以上行ってない人は、真の旅行好きとは言えない」
忘れられない言葉だ。
好きを数で測るなんて、ばかばかしい。
今でも、思い出すとムカムカする。
その人は「私は50カ国行っているからね」とドヤ顔で続けた。
私は絶句したけれど、そういうわかりやすい指標でしか、好きを語れない人もいるのだと知った。
年に数回、ライブへ行くアーティストがいる。でも、彼の結婚相手が誰なのかを知らなかった。すると、「それ、本当に好きなの?」と笑われた。
その人の声が、歌が、パフォーマンスが好きなだけ。結婚したいわけじゃない。
全部を知らないと、「好き」と言えないのだとしたら、私の中にある好きは、ひとつとして成立しないだろう。
好きの条件や定義って必要?
いつからだろう。
好きのハードルが高くなったのは。
好きを証明しなければいけない空気になったのは。
どこまで知っているのか。どれだけ語れるのか。
どれくらいお金や時間を使っているか。
ちがう。
好きって、もっと自由なものだ。
好きのベクトルはそれぞれ違うし、コントロールもできない。
なんとなく好き。それだけで、十分価値のあるものだ。
好きに理由なんか必要ない。
語れなくても、深くなくても。
そういう小さな感情が、思いがけない場所へ連れていってくれることを、私は知っている。
私の旅も、仕事も、人生も、全部“なんとなく好き”から始まったものだから。
そんなことを書いておきながらも
私自身も、ときどき必死になる。
何カ国行ったとか、どれくらい旅をしてきたとか。
好きを、どうにか証明しようとしてしまう。
どんな好きでも、堂々と言える。
そんな空気がもっと増えたらいいなと思う。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
noteでは、普段のお仕事では書かない「自分の思い」を、少しずつ綴りたいと思っています。
お仕事のことや一人旅の話、写真を掲載していく予定です。
のんびり更新ですが、また覗いてもらえたらうれしいです。
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読んでくれた人が満たされますように🍙
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