笑顔は差分である〜ルッキズムからの真の脱却へ〜
どうも、皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
先日ふとテレビをつけたら、「Youは何しに日本へ?」というバナナマンの番組で、空港でトルコ人男性に声をかけたら、まさかの九州から北海道まで踏破するのだという若者で、日本の前には韓国も縦断しており、これから北海道の南端からスタートするという。そして、遠距離恋愛している彼女さんがそこで合流して、北海道を縦断するという。わざわざ触れたのは、このカップルの笑顔がとても素敵でして、とにかく明るいし、なんにでも感謝するしと。別にテレビで見かける方々の笑顔がイマイチと言ってるわけではないのですが、とにかく、自分を変えようと過酷な挑戦に挑んでる彼氏なのですが、それを楽しんでいるのと、お互いに大学生で休みを取って北海道で合流して、一緒に過ごせる時間に感謝して大切にしている、それが「顔」という媒体を通じて視聴者である自分にしっかりと伝わってきました。そして、こうした表情が受け手に与える影響は、決して小さくないと感じたのです。
先週末に、実家に残された、とあるご縁で人生で初めて高野山なる場所にお邪魔してきて、お寺と宿坊の住職さんが、朝のお勤め(お経をあげる)に参加した外国人や日本人家族や自分に対して、1つだけ助言をされていて、それがまた、「心から笑って過ごしてください」ということでした。言葉だけ取り上げると、とてもありふれた言葉なのかもしれませんが、それから何日か経って、その言葉が頭にあったからか、
よい「顔」ってどんな「顔」?
って思ったわけです。「心から笑う」ということは、純粋に楽しくて笑うということ、言い換えれば、明るい感情以外に混じりっ気のない表情だろうと。ネガティブな感情を持ちながらの笑顔というのは、他の感情を足しているとも、他の感情のせいで差し引かれてるとも考えられますが、純粋な笑顔と比べて、なかなか同じようにはならないものです。そして、そうやって「過ごす」ということは、「継続性」を意味しており、そういった「顔」を繰り返すということです。そして、それを良しと思われない方もいらっしゃるかもしれませんが、その反復が顔の癖(=シワ)となり、そのひとなりの表情が出来上がってくるのです。これは、一日(いちじつ)にしてならずで、この動きによって、「顔」というものが徐々に変わってくるのです。以前の本人かがわからなくなるほど「顔」が変わることもあり得ると思います。
さて、笑顔の反復を通じた「顔」の形成について、一歩引いて眺めてみると、さして目新しいことではありませんが、こんなことも言えます。
笑顔は差分である
※ 差分:2つの同じ種類の対象の間にある違いや差のこと
お察しかもしれませんが、笑顔や表情は、普段の素(す)の「顔」からの変化であって、「顔」の作りとは関係がない、ということです。近年では「顔」の作りは、「かわいい」とか「かっこいい」という言葉に代表される(もちろん、これらの言葉が常にそういう意味ではないので困るところもありますが、、)、まさにルッキズム、「外見至上主義」や「外見差別」にもつながりうる価値観に紐づくものです。そして、「顔」の作りなるものを、そのひとの「顔」の土台、だとするなら、これは「絶対値」に近い見方なのだと思います。今は、この絶対値自体へのコンプレックスを解消すべく、変えていくことも選択肢として存在するので、それは否定をしませんが、ぼくがお伝えしたいのは、もし自分の「顔」を鬼ばかりの世間を渡っていく上で(笑)、活用していきたいとか武器にしていきたい、もしくは、健やかにしわあせな生活を送りたい、そうお考えならば、「絶対値」ではなく、「差分」を創出することを強くオススメします。そして、こうした価値観でひとの「顔」を見始めると、焦点が変わってくるのです。どこに「かわいい」や「かっこいい」が存在するのか、それが変わってくるのですよ。
では、どうすればそういった笑顔=「差分」を創出できるのか?となりますよね。それはある意味簡単なのです。
心からそうなれるような生活や仕事をしましょう。
心からそういられるひとと時間を過ごしましょう。
より正確に伝えると、そうなる前のプロセスも含めて、そこに向かっている、という状態が重要なのではと感じています。その時、画像や映像で溢れるSNS時代をどう捉えるのでしょうか。
今日はここまでにしたいと思います。いつもありがとうございます。
