劇作家が編集者になりたいらしく、焼きとん屋で勝手に心配した
週末、出版社で働いてる友人と飲んだ。横浜駅西口五番街の、いい感じにすすで汚れた焼きとん屋だった。壁も換気扇も、長年ここで豚肉を焼いてきた自信に満ちてる。
こちらのTシャツのが煙の匂いを持ち帰ることなど、この店は一ミリも気にしてない。むしろ「持って帰れ」と言われてる気さえする。
そこで、採用面接の話になった。
何年か前、若手劇作家の登竜門とされる演劇賞にノミネートされた人が、編集職を希望して応募してきたらしい。志望理由が、「劇作家では喰っていけないから、編集職で給料をもらいながら働きたい」だったそうだ。
正直だな…と思った。正直なんだけど、それ、面接で言うか? とも思った。
その話を聞いた瞬間、自分は反射で「うわあ」と言ってしまった。
作品を生み出す側の人が、他人の作品を整える側に回る。才能の使い場所として、それでいいのか。せっかく賞まで獲ってるなら、劇作に集中したほうがいいんじゃないか。
頼まれてもないのに、他人の才能の配属先を心配し始めた。人事部でもない。親戚でもない。こちとら、焼きとんを食べてるだけのおじさんだ。かしらを噛みながら他人のキャリアを設計する権利、たぶん誰にもない。
ただ、妙に引っかかった。自分の中には、
「作家は自分の作りたいものを作る人」
「編集者は読者が読みたいものを考える人」
って分け方があったからだと思う。
ところが、その分け方は、自分が約30年前に出会った、ある劇作家には、まるで当てはまらなかった。
締切を守る人が、本番直前に芝居を壊す
20代の半ば、自分は4年弱、劇団の制作スタッフをやってた。稽古場は、まだ建設すら始まってなかった東京スカイツリーの近くにあった。
倉庫群の中の一室で、劇団を気に入ってくれた倉庫会社の社長さんが、格安で貸してくれてたらしい。
その会社が今も倉庫業を続けてるかは、わからない。ただ、夏の夜、稽古場の外から隅田川の花火の音だけが聞こえてきたことは、覚えてる。
花火は見えない。ドン、ドン、と音だけが倉庫の壁を越えてくる。中では役者が大声を出し、演出家が止め、また同じ場面をやり直してた。
外は夏の風物詩、中は稽古。同じ夜とは思えなかった。
その劇団を主宰してたのが、さっきの話に出てきたのと同じ演劇賞を受賞してた劇作家だった。
この人は、とにかく締切を守った。
稽古が始まる遅くとも2日前には、完成した台本を事務所へ持ってくる。自分たちがコピーを取り、台本印刷を専門に扱う印刷所へ持ち込む。指定された時間に引き取り、稽古初日の前日には役者やスタッフへ渡す。
いや、締切を守る劇作家。実在するんだ…と思った。
稽古初日は、顔合わせと読み合わせ。そのあと飲み会。翌日の稽古には、役者のほとんどが、すでに7割くらいセリフを入れてくる。
自分は人の名前を覚えるだけで数日かかるのに、昨日渡された台本が、もう口から出てくる。
役者、えぐすぎる。
稽古が進むと、芝居はどんどん形になっていく。セリフの間が決まり、役者の動きがそろい、制作スタッフの自分が見ても「かなり面白くなったな」と思えるところまで来る。
そこで劇作家、芝居を壊し始めるんですよ。
台本を大きく書き直すわけじゃない。小屋入りの7日前くらいから、演出を急に変え始める。役者の立ち位置を変える。セリフの言い方を変える。昨日まで笑いが起きてた場面を、まるごと違う見せ方にする。
こちらとしては、けっこう戸惑う。もう完成でいいじゃないか。役者も覚えた。スタッフも段取りを組んだ。本番まで、あと一週間しかない。なぜ変えるのか聞いたら、本人は平然と言った。
「自分が飽きてきたから」
知らんがな。
あなたが飽き始めたころ、こちらはようやく安心し始めたんですけど。天才の「飽きた」で、こっちの3週間が更地になる。
でも、小屋入りの前日くらいになると、不思議なことに、前より面白くなってる。毎回そうだった。残り時間が何日でも、自分が面白くないと思ったら捨てる。ここまで何週間かけたかより、明日、客席で面白く見えるかを優先する。
自分には、それがなかなかできない。かけた時間を、捨てられない。文章を書いてても「この一段落を考えるのに2時間かかったから」と、残そうとする。サンクコストに抗えない。
読者には、その2時間は見えない。見えるのは、読みにくい一段落だけである。
つらいな、これ。
努力した時間より、相手に何が残るか
発信や商売で結果が出ないと、自分がどれだけ頑張ったかを数え始める。
毎日投稿した。
何時間も勉強した。
高い教材も買った。
寝る時間を削って作った。
わかる。しんどかったのも本当だ。ただ、お客さんが知りたいのは、そこじゃない。
自分の困りごとが解決するのか。
読んだあと、自分にもできるのか。
払ったお金以上のものが返ってくるのか。
ここだけ、なんだ。
10時間かけて書いた記事でも、読みにくければ閉じられる。30分で作った資料でも、明日から仕事で使えるなら保存される。作る側の苦労と、受け取る側の価値は、別の話である。
同じ話ならよかった。同じなら、頑張った分だけ売れるはずだから。でも、そうなってない。世界、けっこう厳しい。
努力は自分の中では大事件なのに、お客さんから見れば舞台裏でしかない。劇作家が本番直前に演出を変えられたのは、自分たちが積み重ねた時間より、客席で何が起こるかを見てたからだと思う。
自分には、それが難しい。苦労した自分が、すぐ作品の前に立つ。「見て、これ、大変だったの」と言いに来る。そんな自分が、なかなかどいてくれない。
面白い芝居から、メッセージを抜く
その劇作家から、コントの作り方を聞いたことがある。
最初から、軽く笑えるだけの話を作るわけじゃない。
まず、メッセージ性の強い、面白い芝居を作る。
そこから、メッセージを抜く。
本人は、そう話してた。
聞いたときは、意味がわからなかった。味噌汁を作ってから味噌を抜くみたいな話に聞こえた。それ、もう、お湯じゃないか。
でも、たぶん違う。最初に、人間がなぜ怒るのか、なぜ失敗するのか、なぜ同じことを何度も繰り返すのかを、かなり深いところまで作る。そこから、作者の答えだけを抜く。説教を抜く。
観客に「ここで考えてください」「ここで感動してください」と指示する部分を消す。
それでも残る人間のおかしさを、コントに仕上げる。
考えてないんじゃない。考えた跡を、客席へ押しつけない。
これは、かなりお客さんを見てる作り方だと思う。自分が伝えたいことを全部話すより、相手が受け取れる形まで削る。作者が満足するところで終わらず、観客が面白がれる場所まで運ぶ。
伝えたい人ほど、抜く。ここが、なかなか真似できない。
その劇作家は、商業演劇にも台本を提供してた。そこで稼いだお金で、自分の劇団を運営してた。売れる仕事をすることで、自分の作りたい芝居を守ってた。
自分は長いこと、プロダクトアウトとマーケットインを、敵同士みたいに考えてた。
自分が作りたいものを作るのか。
世の中が欲しがるものを作るのか。
どちらかを選ばなければならないと思ってた。二者択一が好きすぎる。頭の中がテレビの討論番組みたいになってる。
でも、あの人は両方やってた。
商業演劇では、依頼された条件の中で観客に届く台本を書く。
自分の劇団では、自分が面白いと思う芝居を作る。
一つの作品に、生活費も自己表現も承認欲求も全部背負わせてなかった。一枚の皿に、前菜もメインもデザートも味噌汁も乗せない。
当たり前なんだけど、発信をしてるとすぐ乗せがちになる。
他人を見てるつもりで、自分ばかり見てる
Xやnoteで発信してると、ほかの発信者が気になる。
あの人は文章がうまい。
あの人はフォロワーが多い。
自分よりあとに始めたのに、もう売れてる。
他人を見てるので、自分では市場を観察してるつもりになる。でも、実際に見てるのは自分だ。
「あの人に比べて、自分は負けてる」
「あの人くらい、自分も評価されたい」
「あの人が売れた方法を使えば、自分も売れるんじゃないか」
視線の先に他人はいるけど、考えてるのは自分の順位だけ。
これ、市場調査じゃなくて、自意識の点呼である。
タイムラインには、自分と、お客さんになる人と、ほかの発信者がいる。ところが、発信を始めると、自分からほかの発信者へ向かう視線ばかり育つ。
誰の構文が伸びた。
誰の教材が売れた。
誰が月にいくら稼いだ。
その間、お客さんが画面の外へ、いつの間にか消えていく。
観客のいない稽古場で、隣の劇団の練習ばかり見てるようなもんだ。しかも、隣の劇団から見れば、自分はちゃんとお客さんである。成功談を読み、教材を買い、数字を見て焦る。
お客さんを探しに来たはずなのに、自分がお客さんになって帰る。
インターネット、よくできてる。感心してる場合じゃない。
お客さんを見るって、表現を捨てることじゃない
発信で結果を出す人は、先にお客さんの話をする。
「何を書いたら売れますか?」より、「どんな人が、どこで困ってますか?」と聞く。「自分にもできますか?」より、「ほかの人にも再現できますか?」と考える。「これを売りたい」より、「これを必要とする人は、どんな言葉で探してるんだろう」と調べる。
主語が、自分から相手へ移ってる。ここが、いちばん遠い。
お客さんを見るって、言いなりになることじゃない。自分の表現を捨てることでもない。届けるところまで、責任を持つことだ。
まだ会ってないお客さんが、何に困ってるのかを考える。
どんな説明なら理解できるのか、どこで読むのをやめるのか、読み終わったあと何ができるようになるのかを想像する。そのうえで、自分の作りたいものと重なる場所を探す。
重ならないなら、別の仕事にしてもいい。売れる仕事で生活費を稼ぎながら、自分の作りたいものを作ってもいい。全部を一つの作品で解決しようとしなくていい。
あの劇作家みたいに。
自分の文章の客席は、まだ空いてる
ここまで、ずいぶん偉そうに書いた。結果を出す人は、お客さんを見てる。結果が出ない人は、自分やほかの発信者ばかり見てる。
書いてて、なかなか気持ちがいい。焼きとん屋で「いいか、商売ってのはな」と語り始めるおじさんの気持ちが、少しわかる。あれ、たぶん、気持ちよさで喋ってる。
問題は、自分ができてるかってことだ。
まったくできてない。
自分は、かなりプロダクトアウト側の人間だ。自分が書きたいことを書く。自分が面白いと思ったものを出す。それで反応がないと、「みんな、これに興味ないの?」と思う。
ないんだと思う。
そこで初めて、お客さんがいないことに気づく。遅い。劇場の幕を開けてから、客席を確認してる。それ、稽古中に確認する仕事である。
そう考えると、編集職へ応募した劇作家も、別にミスマッチじゃなかった。劇作だけでは生活できないから、編集者として給料をもらう。その仕事で生活を支えながら、自分の作品を書く。
本人の中では、ちゃんと整理がついてたんだと思う。
「劇作家が編集者なんて」と勝手に引っかかってたのは、自分のほうだった。他人の才能の使い場所を心配する前に、自分の文章を誰が読むのか考えたほうがいい。
だいぶ、順番を間違えてる。
店を出たあと、Tシャツについた焼きとんの煙の匂いが、横浜駅の改札まで残ってた。
色んな意味で、少し焦げてしまったのかもしれない。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
Xもやってます。

https://x.com/osser_osapin
こういう話に興味があるあなた、
試しに一度フォローしてみて。
◆ ◆ ◆
実は今、自分はCLOPSというコミュニティにいる。CLOPSとは、LTXという無料コミュニティ内の、LTX UNIVERSEという有料エリア内の、有料オプションプランだ。
このコミュニティ、結構な猛者も参加してて、積極的に参加したら勉強になることが多い。だから、もしも興味のある方は、noteのメッセージで私にご連絡ください。
これ、宣伝だけど、初月会費がいくらかお安くなる招待コードをおっさーからお渡しできます。
くわしくは、こちらのリンクを見てもらった方が早いかも。
いいなと思ったら応援しよう!
夢を追う皆さまへ! あなたの応援が私の活動を支えています。サポートにより、より深い洞察や実践的なコンテンツをお届けできます。共に学び、成長しましょう。今すぐフォロー&サポートで、質の高い情報を逃さずキャッチ。一緒に夢への道を歩みましょう!
