なんであんな文章書いたんだろ?
みなさんは、ご自身でお書きになった過去の文章を読み直しますか?
私は、時々、振り返ります。
note、手帳、手書きのノート。
よろしくないものや秘め事は、長くは残さず、すぐに捨てますけれど。
日記などは、本当にお気をつけください。
私は11歳で父を突然亡くしましたが、その少し後に、父の若き頃の日記を見つけてしまいました。私に与えられた部屋からしか入れない、灯りのない屋根裏部屋で。そこには古びた箱がありました。開けてみると、父の学生時代のものばかりが入っています。切手を集めたアルバムや、年賀状、手紙なんかが入っていて、奥底に日記が3冊ありました。大学生だった父の思いを知りました。母と出会う前のことです。
20年後、まさか事故に遭い、のちに自分の娘に読まれるなんて。最悪の想定外のはず。母には見せない方が良いと勝手に判断して、中学生になる迄の間、時々読んでから、捨てました。
その判断は正しかったと、今でも思っています。私が一生守りぬく秘密です。
この経験から、今日私が天に召された時に、人に見られて困るものは残さないよう、意識しています。
私も含め、人は、いついなくなるかわからない。部屋の私物には気をつけよう。11歳の時から同じことを考えて生きています。その年頃、母には、勝手に日記を覗かれた上に、内容に対して酷く怒られたことがあります。だから、尚更です。私は人の秘密を固く守る人にも、なりました。
大人になった今も日記を書きます。手帳には未来の良いことを書き、時々は振り返ります。これは、確認のため。
そうです。やがて、だいたいの願いが叶っていたことの答え合わせです。
いい頃合いになったら、それも感謝と共に捨てます。計画も経験も思いも、自分だけのものだから、大事なことは忘れる筈がないのです。そこには、執着がありません。願ったようにはならないこともありますが、それならば、叶わないことに意味があると思います。
叶わなかったのは、先に私が負けて、諦めたということですから。もしくは、熱が冷めたか、ご縁が無かったか。結果として、叶わないでいてくれて良かったこともあれば、本当の願いではなかったのだと分かることも。
noteは人様に読んで頂く記事なので、時々、過去の文章を読み直します。
過去記事にスキを頂いた時、どんな内容だったのかなと、気になるのです。
世に送り出す前に、文章を何度もチェックします。投稿後も、リズム感や言い回しがイマイチだと、後から小さな訂正を施すことがあります。
自分にOKを出した文章であるにも関わらず、今読むと、生意気そうに思えたりします。過去記事を振り返った時に、なんだこれは!と恥ずかしくなることがあります。
たった1か月前に書いたものなのに。冷静な目で読むと、消したいくらいにひどいものです。
未熟と思う自分や、その時のテンションと向き合う行為には恥がつきまといます。
なんであんな文章書いたんだろ?
でも、確信持って言えることがあります。
私が大切にしているのは、ご縁とタイミング。
文章を書くたびに、その時にぴったり合う人と、必ず出会えているのです。
その信念があるから、読んで後から恥ずかしくなるような文章さえ、送り出して良かったのだと思い直すことができます。
何かを感じてくださる方と、私の出会い。
そんなことを意識して、文章を綴っています。
父の若き頃の日記とは、対話がありました。それは、随分あとになって、私が人を好きになった時に支えてくれるものでした。
見返りなど求めず、ただ、人を素敵と思い続けることが、凄く素敵だったのです。
父の文章と私は、出会うようになっていたのでしょう。
誰かの文章を読む時、対話している気持ちになることがあります。完璧に整った文章である必要はなく、感情の伝わる文章だから、心が揺さぶられるのだとも思います。むしろ、情熱と勢いで書き上げたであろう言葉が好きです。
私があなたの記事を読む、理由です。
過去の文章も、読んでみたくなるのです。
なんであんな文章書いたんだろ?
と、あなたは、思っているかもしれませんが。
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