怒りをぶつけるのは簡単。でも、それで本当に伝わる?
日記を読み返して気付いたこと
引き出し日記というアプリを使って、気が向いたときに一言書いて日々の出来事を記録している。日常を振り返ってみたくてその日記を読んだら、最近怒っていないことに気付いた。働いていたときは、毎日のように「はぁ?」って思っていたのに。仕事を辞めてから怒ることが減ったのは、毎日が平和になったから? それとも私が鈍感になっただけ?
働いていた頃のイライラした出来事
満員電車のストレス。ぎゅうぎゅうの車内で身動きが取れない状況。リュックを背負ったままの人がいて、押しつぶされそうになる。シャカシャカと流れるイヤホンからの音漏れ。早く降りたいけど、目的の駅まではまだまだ遠い。
仕事では、理不尽に怒られたり、そもそもの働き方が私には合ってなかったようで体力的にも精神的にもイライラを通り越してもうヘトヘトだった。
そして職場の人間関係。大きい職場に所属していたからこそ、色んなタイプの人がいた。休みの日にご飯に行こうとか、ちょっと遠出して出かけようって思えるくらい仲良くなった人もいれば、この人と話すと元気が無くなる、苦手だなあって感じるタイプの人もいた。
全て、「仕事」というキーワードから発生するイライラだったということに気付いた。だから、仕事を辞めたら「怒るきっかけ」みたいなものが無くなっていた。
怒らなくなった理由
満員電車に乗ること、理不尽に怒られること、苦手な人と関わること。もっと他にも理由はあるけど、仕事を辞めたからこの環境から離れることができた。みんなが普通にやっていることだから、社会人なら当たり前にやっていることだからと考えて、気持ちを無にして毎日を過ごしていたけど、やっぱりこれらの理由は結構なストレスだったんだなと今なら思える。
私は、自分の心のなかに怒りの感情が湧いたとき、何か一言言ってやる! と意気込んでも、いざその人を目の前にすると、感情のままにガツンと伝えることが苦手。心のなかでめちゃくちゃに怒っていてもなぜか言えないのだ。結局、感情のまま誰かを怒ったとしても、怒られた側としては嫌な気持ちしか残らないし、その人に対して次から萎縮するような気持ちが湧いてくるんだよなと思ってしまうのである。実際、自分が怒りの感情を向けられる側になったときそう感じてしまった経験がある。職場にそういう人がいたのだ。
感情のままに怒りをぶつける人
その人とは仕事上、どうしても関わりが多かったので避けるわけにはいかなかった。自分の考えが絶対正しい。少しでも違う意見を言うと、「それは違うんじゃない?」とバッサリ切られる。複数人で話しているのだから、色んな意見があって当たり前なのに。みんなで出した意見をもとに話し合うからこそいい案が出るのに。そう思っていても、徐々にその人の不機嫌さは増していき、「あ、きっと怒っているんだな…」と冷静に見ていた。こういうことが何度か続いたため、私のなかでは要注意人物だと勝手に思っていた。それからというもの、会う度に「今日は怒っていないだろうか?」と気にしていた。でも、機嫌が悪い時は顔を見ればすぐに分かる。無言でピリピリした空気を出してるから、「あ、今日はダメな日かも」って察する。そして怒りをぶつけられたときには、友人に話を聞いてもらっていた。
私のストレス解消法
しかし、何度も友人に相談するわけにはいかない。こういう話って聞かされる方もなかなかしんどい。だからこそ、私は私なりのストレス発散法をいくつか持っていた。
一人カラオケで大声で歌う
デパ地下で美味しいお惣菜やスイーツを奮発して買う
感情のまま紙に書き出す
欲しいけど買うのは悩むなあと思っていた物を勢いで買ってみる
複数の発散法を用意しておくことで、飽きることもないし、その日の気分で選べるので良かった。
私も我慢できずに怒ったことがある
私は怒るのことが苦手だが、実は怒った経験も少しはある。チームで取り組む仕事なのに、メンバーの一人と足並みが揃わないことがあった。一人が勝手な行動をしてバラバラになりそうだった。これはさすがにマズい、ちゃんとやってほしい。そんな気持ちから動いたのだが、気付いたらめちゃくちゃ恐い顔で怒っていた。強めの口調でその人に伝えてしまった。「チームで取り組む以上、協力して進めるべき」という価値観が私のなかにあった。だからこそ、一人が足並みを揃えないことに対して怒ってしまった。しかし、怒ったはいいものの、相手にはほとんど伝わっておらず、その人の行動が変わることは無かった。そう、私は要注意人物と同じように、怒りの感情をただぶつけてしまったのである。
伝え方が大事
怒ること自体は、決して悪いことじゃない。むしろ、怒りの感情を通して、自分が大切にしたい価値観に気付くこともあるだろう。でも、怒りをそのままぶつけても、相手に何も伝わらなかったら意味がない。どう伝えるかが大事なのだ。私がそれに気付けたのは、過去の職場の要注意人物のおかげかもしれない。
それからは、今イライラして怒っているけど、これって、本当に怒るべきことなのか、そして相手に伝えるなら、どんな伝え方なら届くのだろう? と考えるようになった。感情のままに話してしまったら、「伝えた」んじゃなくて「ぶつけた」だけになる。その結果、相手がただ恐がるだけになってしまったら、それは私が求めていたことではなくなってしまう。解決に向かわせるためには、どうすることが一番良いのかと一旦、冷静になる時間を持つようにした。
怒るのは簡単。でも、それを伝えるのは難しい。だからこそ、怒りの扱い方を考えることが、人生をラクにするのかもしれない。
