映画「ワンバトルアフターアナザー」父親とはみっともなく意気地なしで何もできないけど一所懸命な存在である
予告編や監督から想像していたのとは違う映画で楽しめた
ずいぶん前から映画館で予告編を見て、ものすごく期待していた。なんだか普通ではない映画、奇妙な映画の匂いがする。
この予告編から想像していたストーリーは、レオナルド・ディカプリオ演じる中年男が存在しない革命活動に強引に参加させられながら娘のために奮闘する、というものだった。ベニチオ・デル・トロは「先生」と呼ばれる革命集団のリーダーのふりをしたペテン師なのだと思っていた。しかもこの予告編ではショーン・ペンがほとんど登場しない。彼はどんな役柄なのか。
などなど、思い切り期待を膨らませて見に行ったら、事前に想像したのとはまったく違うストーリーだったが存分に楽しめた。しかもわかりやすい。最後はヒューマンな物語として終わる。誰もが感動するだろう。
ただポール・トーマス・アンダーソンの映画はよくわからない物語が多く、それが持ち味と思っていたのでいい裏切りともなった。こんなにじわっと涙が出て終わる映画だとは思わなかった。
それも含めて面白かった。
ネタバレにならないあらすじと感想
物語は、収容所に入れられた移民を解放する革命組織「フレンチ75」に属するパット(ディカプリオ)とパーフィディア(テヤナ・テイラー)夫婦と、それを追う警官ロックジョー(ショーン・ペン)を軸に進む。次々に移民を解放し、銀行や政治家を襲撃する「フレンチ75」だったが、ある日ロックジョーがパーフィディアを逮捕。なぜか彼女に性的に固執するロックジョーは、仲間の居場所を教えれば保護すると提案。乗ったパーフィディアは情報を渡すが、ロックジョーに黙ってメキシコに逃亡する。パットはパーフィディアとの間に生まれた赤ん坊と共に身を隠す。
16年後、パットはボブ・ファーガソンと名乗り、娘はウィラとして学校に通う。かつての革命の英雄は、汚く情けない中年オヤジになっている。ウィラを当局から守ろうと過保護になり、ウザがられている。
ロックジョーは昇進し、白人至上主義の影の組織「クリスマス冒険クラブ」に誘われ名誉に緊張する。彼はフレンチ75の残党の情報を得て、一掃に乗り出す。ボブとウィラもロックジョーに追われる身になってしまった。ウィラはフレンチ75の仲間に匿われる。ボブはウィラの空手の師匠でメキシコ人をこっそりかくまってきたセンセイ(ベニチオ・デル・トロ)に助けを求めるが、ウィラの行先が掴めず、ボブは奮闘することに・・・
読んでわかる通り、白人至上主義者と移民解放者との対立はそのまま、いまのアメリカの分断を表している。この背景は重要ではあるが、そこを社会派的に訴えるのはこの映画の目的ではなさそうだ。世の中とは、人間とは、そういうもの、ということだと感じた。「ワンバトルアフターアナザー」のタイトルは「次から次の戦い」のような意味だが、人間社会ってそういうものじゃない?と言っているように思える。
そんな不条理な世界の中でいかに生き延びるか、家族をなんとしても守らねば、そんな男を描いている。
予告編で勝手に想像した物語といちばん違ったのがベニチオ・デル・トロ演じる「センセイ」だった。ペテン師どころか彼は移民たちを大勢助け、逃げ込んできたボブもうまく逃してあげる聖人だった。メキシコに近いカリフォルニア州で空手を教える男という設定も、「センセイ」と呼ばれていることも奇妙で笑えるが、「いい人」だった。
ロックジョーの人物像はこの映画の奇妙な魅力の大きな要素だ。彼は必ずしも組織に忠実な警官ではない。パーフィディアに異常な愛情を向け、彼女を保護したのもセックスしたいからだった。若かったパーフィディアもそれに乗ってしまう。爆弾の達人だがどこか頼りないパットに嫌気がさしていたのかもしれない。
そしてロックジョーは「クリスマス冒険クラブ」に誘われたことをこの上なく光栄に思う。黒人女性パーフィディアを愛したのにだ。この矛盾がロックジョーの信頼できないところであり、逆に愛すべき点でもある。
「クリスマス冒険クラブ」は昔のKKK団のような組織なのだろうか。いまでもアメリカにはこんな闇の組織があるのか?ありそうだ。この映画の撮影期間中はトランプが再び大統領になり、今のような空気にアメリカが覆われるとは想像もできていなかっただろう。ロックジョーと「クリスマス冒険クラブ」は、今のアメリカをなぞっている。たださっきも書いた通り、そこはこの映画の背景であって主眼は別のところにある。
※Podcastでもこの映画について話しています。ぜひ聴いてください!
以下はネタバレするので、未見の方は絶対読まないでください。見た人はぜひ読んでね!
ネタバレ:ダメ親父を才能ある娘が認める物語
私は、映画を紹介する際にネタバレを気にしなくていいと思う。映画はだいたい、どんな物語かをわかった上で見るものだ。スーパーマンは悪人をやっつけるし、出会った男女はラストで死別するか別れる。
だが中には絶対にネタバレしてはならない映画もある。「サイコ」では途中で主人公(と思っていた)が殺されることや「シックスセンス」で主人公が実は最初に死んでいたことは、絶対に教えてはならない。え?この2つの映画、まだ見てなかった?ごめん、忘れて!
「ワンバトルアフターアナザー」も、ウィラとロックジョーの本当の関係は知らないで見るべきだろう。ダメ親父が懸命に娘を救うコミカルな映画が、急に切ない物語に変わる。そんなバカな!と叫びたくなる。じゃあボブはとんだお人よしさんじゃないか。実の娘じゃないのに、16年間そう信じて過保護なまでにウィラを守ってきたつもりだったのに。
ボブは娘を探して突き進む。センセイの助けで追っ手を逃れて屋根伝いに走るも屋根から落ちて捕まる。再びセンセイの一味に助けられ、爆走する車から無理やり振り落とされるが停めてあった車を盗んでウィラがいるはずの場所へ向かう。
ウィラは修道院に匿われていたが捕まる。その過程で母親は死んだのではなく裏切り者だったこととロックジョーの娘だったことを知る。自分が何者かを一気に知らされる。こんなに残酷なこともない。
それでもウィラは自暴自棄にならず、賞金稼ぎがなぜか助けてくれたこともあり、自分で逃げ出す。追ってきたスポーツカーの謎の暗殺者も自分でやっつける。この場面の過去の映画では見たことないカーチェイスは映画史に残るだろう。こんなに上がったり下がったりする道で車が車を追う面白さと言ったらなかった。
ボブがやっと追いついた時、すでにカタはついていた。ボブは娘を助けるべくあれだけ奮闘したが、結局助けたわけではない。娘は自分でことを処理したのだ。ボブは追いついただけだ。
ウィラはボブに叫ぶ。「お前は誰だー!」あんたは私の本当の父親でもないのに、血は繋がってないのに、16年間なんで私を育ててきたんだ。そんな叫びだ。
ボブは「何言ってるんだ、おれはパパだよ。」ボブに抱きつくウィラ。
この映画が面白いのは、これだけ奇天烈で緊張感がずっと続くのに、最後に突然、ほんわか家族愛の物語として終わる点だ。ポール・トーマス・アンダーソンの映画は最後に「は?」とか「え?」で終わるものだったが、この映画は家族愛で締めくくる。どこへ行くかわからない物語だったのに、そんなにほんわかしちゃうの?
だが父親として私は、よかったなー!とも思う。そしてボブは自分だと思う。父親は子どもからウザがられる。幼い頃はあんなにパパパパと寄ってきたのに、ティーンエイジャーになった途端、近寄ると不快な顔をされてしまう。
それでも父親は、幼い頃と同じように子どもを愛おしみ、関わろうとし、守ろうとする。ぶざまなまでに、ダサく、うるさく、面倒がられようとも、絶対に子どもを守るのだとそれを使命だと思っている。
若い頃は英雄になろうとした。名をあげようと躍起になった。英雄たる自分の付属物と考えていた子どもたちが、いつの間にか自分の人生そのものになり、英雄になることはそっちのけにしている。自分の人生の目標は、自分が英雄になることではなく、子どもたちを守って守り抜くことだと気づくのだ。
娘はいつか、ウィラのように優しくキスしてくれるのだろうか。いや、そんなことさえどうでもいいのだ。
なんて柄にもないことを書きたくなるくらい、「ワンバトルアフターアナザー」は父親の物語だった。若い人はこの映画をエンターテインメントとして楽しんだだろう。でも20年ぐらいして子どもがティーンエイジャーになったらもう一度見てほしい。ああ、そういうことだったのかと気づくかもしれない。
さてこの「ワンバトルアフターアナザー」、私は公開週の土曜日にIMAXスクリーンで見たら満席だった。こんなに面白いし大ヒットだろうと思ったのだが、週明けのランキングでは8位だった。いまはかくも、ハリウッド映画が見られないのか。そういう時代なのかと思い知らされた。それってどうなんだろうなあ。
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