お為さんが亀戸にいた文化文政期は園芸ブーム真っ盛りでした
園芸ブーム
十八世紀半ばから江戸に植木鉢が普及し始めた事で、庭を持たない長屋住まいでも気軽に園芸を楽しめるようになりました。
その需要に応じて植木屋も技術を磨き、どんどん進化していきました。松の木の他、梅や菊、朝顔やつつじなど、四季折々の鉢が並ぶようになると、それを見にあらゆる人々が植木屋に足を運ぶようになります。植木屋が新たな行楽地となったのです。
船橋屋初代勘介と園芸ブーム
船橋出身の船橋屋初代勘助は、店を開く前に亀戸の植木職人に弟子入りしています。おそらく園芸ブームを意識しての事でしょう。連日見物客で賑わう植木屋への弟子入りは、顔を売るには最高の選択だったと思われます。その後人脈を使って亀戸天神境内の茶屋の株を手に入れ、文化二年にくず餅屋を始めました。
四代目鶴屋南北と園芸ブーム
文化十三年に日本橋から亀戸村の百姓地に移り住んだ鶴屋南北も、地主植木屋清五郎の隣を選んで借地しています。

(早稲田大学図書館蔵)
国貞が描いた南北の部屋には松の木が飾られ、庭にも松の木が見えますが、南北も勘助と同様、植木ブームに乗ったというよりは利用した口なんじゃないかなあと思います。
植木屋は、庶民から庭付きの家持ちまでを相手にします。大名の家の庭を手入れしながら面白い話を耳にすることもあるでしょう。南北は植木屋をネタの宝庫と見て、植木屋清五郎の隣を選んだのではないでしょうか。
三代目尾上菊五郎と園芸ブーム
そんな中、素直に園芸ブームに乗り、園芸にどハマりしたのが、三代目尾上菊五郎です。ハマりすぎて、寺島村にあった植木屋を買い取って別宅とする程でした。

たばこと塩の博物館発行(二〇一九年)
『江戸の園芸熱』(お瀧所蔵)より
当時飛ぶように売れた「役者の私生活」を描くため梅幸邸(梅幸は菊五郎の俳名)を訪れた国貞は、縁側に置かれた植木鉢の柄まで入念に描いています。

江戸の庶民と園芸ブーム
次に国貞によって文政年間に描かれた作品を観てみます。

たばこと塩の博物館発行(二〇一九年)
『江戸の園芸熱』(お瀧所蔵)より
夏の縁日で鉢植えを買う母娘の後ろには、様々な鉢植えが並んでいます。
右奥に装飾性の高い磁器製の植木鉢が見えますが、浴衣の女性が手に持つのは素焼きの土器製です。高価な磁器製のものには手が出なかったのかもしれません。この絵から、園芸熱が庶民にまで広まっていた事がわかります。
鉢植えの購入手段はいろいろあり、植木屋、縁日の露店の他、天秤棒を担いで売り歩く商人から買う事もできたようです。
次の絵は、市村座で上演された「花江戸絵劇場彩」で、朝顔売りを演じる三代目坂東三津五郎です。

たばこと塩の博物館発行(二〇一九年)
『江戸の園芸熱』(お瀧所蔵)より
世相を反映する歌舞伎に登場している事からも、鉢植えの振り売りが庶民に浸透していた事がわかります。
朝顔をよく見ると、覆輪部と花弁の間に白い筋状の模様が入っています。 たばこと塩の博物館発行の「江戸の園芸熱」によると、文化文政期は植木職人による朝顔の品種改良が盛んで、変化朝顔が好まれていたそうです。


文化十四年には品種改良種の多さから、「あさかほ叢」という江戸で初めての朝顔図譜が刊行されました。

たばこと塩の博物館発行(二〇一九年)
『江戸の園芸熱』(お瀧所蔵)より
「あさかほ叢」は上下巻からなり、上巻に185種、下巻に317種を掲載し、変化朝顔の作り方も記されているとの事で、当時の熱の入れようには驚くばかりです。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いいたします。いただいたチップは浮世絵購入に使わせていただきます。