越前屋と鶴屋南北宅の位置の特定に挑戦
越前屋は天神橋のどの辺か
お為さんのいた天神橋際の越前屋は、天神橋交番の右側付近にありました。

越前屋の正確な位置を知るため、東京都立図書館で「復元・江戸情報地図」の亀戸天神部分をコピーしてきました。

「復元・江戸情報地図」朝日新聞社
亀戸天神部分切取
「復元・江戸情報地図」は、安政三年の江戸とその周辺を六五〇〇分の一に復元し、現在の東京の同一地域の実測地図と重ね合わせた状態で印刷したものです。かなり精度が高いので、江戸時代の建物の位置を確認する時は、必ずこの地図を使っています。
これで越前屋の場所を特定してみようと思います。まずは越前屋のあった天神橋際に❌印をつけます。

江戸地図の下に重ね合わせた現代の地図がうっすらと見え、今の方が道路幅が広いのがわかります。点線は歩道ラインです。越前屋は橋詰広場に建てられていましたが、今は橋詰めしていないので、広場部分までしっかり橋が架かっています。となると、越前屋があったのは橋上の歩道に寄った辺りでしょうか。

Googleマップより
ちなみに天神橋をこのまままっすぐ西に渡ると錦糸町です。そして天神橋を背中に亀戸側を見るとこんな感じです。

交番の植木鉢が綺麗です。この植木鉢は近所の方が管理されているそうです。お会いしたことはありませんが、素敵な方ですね。
鶴屋南北宅は百姓地のどの辺か
越前屋の位置がわかったところで、次は鶴屋南北宅を調べてみます。
鶴屋南北が住んでいた百姓地を見ると「復元・江戸情報地図」がどれだけ精度が高いのかがわかります。まずは鶴屋南北が住んでいたという百姓地を本所絵図で見てみます。

(嘉永二年一文久二年)尾張屋清七「本所絵図」
国立国会図書館デジタルコレクションより
そして「復元・江戸情報地図」の百姓地がこちらの赤く囲んだ部分です。

ぜんぜん違いますね。
実際の百姓地は細長かったようです。では、この百姓地のどの辺に鶴屋南北は住んでいたのでしょうか。地主の植木屋清五郎の隣りに借家していた事は複数の文献に残っていますが、それが百姓地のどの辺だったのかまでは、鶴屋南北の研究者たちも明らかにしていません。
地主は敷地の奥に家を構えます。本所絵図の「百姓地」の文字の向きから、入り口(木戸)が亀戸町側だったことがわかるので、地主は東よりに住んでいた事まではなんとか推測できます。

鶴屋南北宅がこの赤丸の北側なら現在は車道となり、南側なら鳥長という料理屋になります。
うーん、どっちでしょうね?
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