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亀戸町のお為さん(嘉永三年)

10 すみと里と為

 為は自分の立場をわきまえていた。海老蔵はもう、自分ひとりの海老蔵ではない。木場の家に世話になると決めた時点で、為は正妻すみを立てることを決めていた。猿蔵と幸蔵を育ててくれた恩義があったからだ。

 夜になり子どもたちを寝かせると、階下は為と加納かの、すみ、里の女だけになった。海老蔵は先に二階で休んでいる。為は

「さぁ、おかみさん、親方のお側へ」

と促した。するとすみは笑って、

「わたしゃ嫌ですよ」

と言った。


 人の気持ちに敏感な為から見ても、本心で言っているように見える。嫌味でも遠慮でもなく、本当にすみにその気はないようだ。加納かのは黙って事の成り行きを見守っている。為は里に頼む事にした。

「そんならお里さん、あなたが何卒」

「いいえ、わたしゃもう男を断ちました。何卒お為さん、あなたが御面倒を見てあげてください」

 そこへ二階で聞いていた海老蔵が堪りかねて降りてきて加納かのに言った。

「おい、ばぁや、おいらがじじいになったもんだから、この通りみんなに嫌われている。いっそお前が側へきて寝ろ」

「何を馬鹿なことをお言いなさいます。わたくしにはあかん平さんという大事な坊ちゃんがありますから、とても親方のお世話までは焼ききれません。つまらないことを仰らずと、お為さんを連れて、早く二階へお上がんなさいまし」

 子どもの頃から世話になっている加納は、今や海老蔵にここまで言えるようになっていた。海老蔵は

「またばぁやに叱られたか」

と笑って二階に戻っていった。

 為は切なくなった。しかしここで為が海老蔵を追いその後もずっと一緒に寝る事になれば、すみも里もいずれ面白くなくなってくるのが人情というものだ。いくら二人が、もう海老蔵とその気がないのが本心だったとしても、だ。これは為が長い妾奉公生活で得た教訓だった。だからすみが

「本当にばぁやが言う様に、お為さん、お前さんに頼みますよ」

と言った時も、

「いいえ、そう言うものではありません」

と、為は頑なに承知しなかった。面白くない海老蔵は、猿若町から八代目や門人を呼び出して夜会をし、その日から門人たちを泊まらせるようになった。木場の家は、それほど広く贅沢なものだった。

 それなのになぜ八代目が木場を出たかというと、歌舞伎関係者は本来、稽古通いや舞台準備などの利便性から劇場に近い芝居町(堺町、葺屋町)に住む事を申し渡されているからである。芝居町が浅草に移転したのを機に、八代目はその取り決めに従い猿若町一丁目に引っ越した。

 一方、芝居町に住まない役者たちにも言い分はあった。江戸は火事が多い。長屋が密集する芝居町は貰い火で衣装が燃えてしまう事も珍しくなかった。芝居町から近く交通の便が良い隅田川付近に別荘を持つのは、衣装代を持たねばならない座頭たちの致し方ない策でもあった。海老蔵もその一人で、四代目の死後人手に渡った深川木場の家を買い戻し、そこから芝居小屋に通勤している。

 他に隅田川付近に別荘を構えていた者は、五代目松本幸四郎、三代目坂東三津五郎、三代目尾上菊五郎、五代目岩井半四郎である。

隅田川東部に住んだ役者たち
たばこと塩の博物館「浮世絵に見る名所と美人」より


 海老蔵が江戸に帰って最初の舞台は、三月の河原崎座に決まった。そこへは海老蔵の三男で六代目松本幸四郎の養子になった七代目市川高麗蔵(初名新之助。里の子)、 為の息子で四男の市川猿蔵、六男の市川幸蔵、七男の市川あかん平、そして、五男の河原崎長十郎も出ることになった。

 長十郎と海老蔵の初めての親子共演に、為の心は高鳴った。加納かのも自分が世話をしているあかん平の初舞台とあって落ち着かなかった。この時長十郎はまだ、海老蔵が実の父とは知らずにいた。

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