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亀戸町のお為さん 完(安政五年〜安政六年)

27 二人の絆

 加納は為が心配だった。海老蔵が江戸へ帰ってからの為は、今までの内外の忙しい働きがなくなったせいか、毎日気が抜けたようにぼんやりしている。その上、

「親方はああ言ってお立ちになったものの、お年がお年だけに、ひょっとしたらあれが一生の別れになってしまうんじゃないだろうか。もうお目にかかれないんじゃないだろうか」

などと、いつも気丈な為がまるで嘘のように弱気な発言を繰り返すようになり、心持ちにも締まりがなくなって、以前は女々しい愚痴を言うのが大嫌いだったのに、海老蔵の思い出話や我が身の上についてもぶつぶつ言うようになった。

「わたしがつまらない目にあってもじっと辛抱して切り抜けて来たのも、親方というものがお傍にあればこそ。前途の望みも確かでない身の上になった今、何を張り合いにして生きていけばいいのだろう。ああ、つまらない。わたしゃこの先生きていくのが馬鹿らしくなったよ」

「何を馬鹿なことをおっしゃるのです。あなたのことは、知っている者はちゃんと知っています。それだけでいいじゃありませんか。親方が行っておしまいなすってから、あなたの張りが抜けるのも無理ないとは思いますけれども、親方だってああおっしゃってくだすったことですし、どっしりお待ちなさっていればいいんです。それに、お為さんにはかわいい子どもたちがおありじゃありませんか。その子どもたちのためにも、もっとしっかりなさらなくっちゃあ」

 加納がいくらそう言っても効き目がなかった。

「ああつまらない。生きている甲斐がない」

 子どもの前でこそ言わなかったものの、加納と二人になると、為はこればかり言った。これ程の人でも張りが抜けると、こうも締まりがなくなるものかと、加納は情けなくなった。

 そんなある日のこと、為にめくり(花札)の誘いがかかった。めくりやサイコロは役者の世界では盛んに行われる。木場にいた頃、為も海老蔵に連れられ何度か行ったことがある。勝ち気な為は勝負事が嫌いではなかった。加納はここぞとばかりに、為に勧めた。

「お好きな遊びでもなされば、ちっとは憂さ晴らしにもなり、頭の方もしゃっきりとなさいますから」

「めくりはもういいよ」

「そう言わず、たまには出かけてきてください」

 乗り気でない為を、加納は無理に押し出した。

 元来勝負事が好きな為は、行けば行ったで男衆に一歩たりとも引けを取るまいと張り切った。この日以来、為はすっかり冴え返り、まるで使う機会のなくなった才の捌け口にでもするかのように、勝負事にのめり込んでいった。

 安政六年一八五九年二月、海老蔵から二通目の手紙がきた。一通目は谷町から江戸に無事到着したという報告の手紙だった。久しぶりの海老蔵からの手紙に、為の心は浮き立った。手紙は

根元草摺引こんげんくさずりびき曽我五郎時宗そがごろうときむねが大入り繁盛で、見物は俺がいつまでも若いのに驚いていた」


という内容だった。為は笑った。

「お父っさんは、相変わらずだよ」

 為は子どもたちに海老蔵の手紙を見せてやった。

安政六年一月に曽我五郎時宗を演じる海老蔵(豊国画)
ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)


 為が折ある毎にめくりに出かけるようになり、加納はだんだん心配になってきた。元気になったのはいいが、さすがに薬の効きすぎではないだろうか。賭博は罪だ。あんなにしょっちゅう出かけて、捕まりでもしないかと加納は不安だった。とはいえ、自分で勧めておいて止めるようなことはしたくなかった。それは筋が違う。

(まあ、お為さんもあれだけ賢いひとだから、そのうちご自分で気が付いておめなさるだろう)

 加納は当分、目を瞑ることにした。

 賭博場に手入れがあったのは、三月七日の晩だった。為は捕まり、二泊三日、薄暗い番所で日を送ることになった。加納が後悔しても遅かった。
 番所の悪い空気の中で二晩過ごしたせいだろうか。戻ってきた為は病がちになり、布団から出れない日が続いた。

 一方、海老蔵もその頃体調を崩していた。
 正月の十五日から始まった「根元草摺引」こんげんくさずりびき は、大入りのため延長となり、二月いっぱいまで演ることになった。しかし二月に入ってすぐ海老蔵は具合が悪くなり、それを隠して出ようとしたが、楽屋から舞台に向かう途中で黄色い水を吐いた。出演を止められた海老蔵は、

「いいや、おらあどうしても出る。舞台で死ぬんだ」

と言って無理に出たが、台詞が出ず動きもままならなかった。舞台脇にいた頭取は急いで幕を引かせた。

 海老蔵は猿若町と木場の家を手離し、五男権十郎のいる河原崎家に世話になっていた。すみや里はそれぞれの筋へ戻した。一日も早く全額返済し、為のところに戻ってやりたいがための決断だった。先を託す権十郎との時間も持ちたかった。

 権十郎は、父海老蔵が自分のいる河原崎家を頼ったことが嬉しかった。八代目の件を水に流し海老蔵を家に迎えた義父権之助にも感謝した。

 権十郎は八代目に続き猿蔵が亡くなった時、九代目団十郎を継ぐのは自分しかいないと覚悟を決めた。河原崎を継ぐ身分ゆえ口には出せないが、不思議とそうなる予感があった。権十郎と海老蔵は最初で最後のこの短い同居の間に、互いの思いを無言のうちに確認し合った。

 二月の中頃には持ち直したものの、次の出し物の相談をして稽古に入ろうという三月始め、海老蔵は再び病に倒れた。そして三月二十三日、のちの九代目市川団十郎に看取られ、河原崎家で六十八年の人生を終えた。

豊国が描いた海老蔵の死絵
先に逝った長男団十郎と四男猿蔵も描かれている
ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)


 為が海老蔵の死を知ったのは、四月十一日の事だった。やまいとこに座って手紙を読んでいた為は、手紙を置き、しばらく呆然とした。その後いきなりハッと倒れ伏して、身悶えして泣いた。加納は何事かと手紙を開いて読んだ。読み終えると、加納は何も言えなくなり、ただ為の側にいた。為は加納の事など見えていないかのように、声も抑えず泣き続けた。泣いて泣いて泣き抜いた後、やっと静まり、

「永年御介抱をしていながら、死水を取らなかったのは一体どういう因果があっての事なのだろう」

と呟いた。その後すっかり気を取り直して、

「ばぁや、お焼香の用意をしておくれ」

と言った。加納はすぐに花と香、その他の支度をととのえた。為は子どもたちに焼香させた。

 その晩、為と加納は念仏を唱えて海老蔵の冥福を祈った。夜中に為は便所はばかりに行くため床を出、その帰りの廊下の何もないところで転んだ。そのまま立ち上がらないので、加納はびっくりして為に駆け寄り、起き上がらせた。なんとか床に連れ戻すと、為は苦しそうな息遣いで言った。

「ばぁや、帳面、帳面を持ってきて」

「お為さん、しっかりしてください。こんな夜半やはんに帳面なんぞ、一体どうなさるんです」

「若旦那(権十郎)のところへ書き置きをやるんだよ。子どもたちの行く末の事を頼むのは、若旦那よりほかにないんだからねえ」

「何をつまらない事をおっしゃるんです。これぐらいな事でそんなに弱り込むなんて、あんまり意気地がないじゃあありませんか」 

「お加納、帳面を、持ってきて」

 加納はこれは逆らってはならぬと気が付いて、帳面と筆を取ってきて為の前に置いた。為は筆を取った。しかしいざ書こうとすると、手がガクガク震え、書いても書いてもみみずなりの字になってしまう。為は諦めて筆と紙を投げ出し、そのまま寝た。

 翌日皆で江戸へ弔いに帰ろうとしたが、為が路用を工面しようとすると、海老蔵が置いていった手当はもうほとんど残らない事がわかった。

(これに手をつけたら子どもたちを食べさせていけなくなる)

 為は諦めざるを得なかった。江戸への長い道中を考えると、自分の身体も持たなそうだった。

 為のやまいは悪化し、ついにとこから起き上がれなくなった。医者は心の臓に障りがあって疲れているのだと言った。加納がスッポンの血を飲ませても一向に良くなる気配はなかった。

 五月十一日、為は加納と幸蔵、壽蔵、ひろを枕元に呼んだ。そして加納の手を握り、

「わたしもこれまで随分奉公人を使ったけれど、お前ほど忠義な者は初めてで、お前ほど気の強い者も初めてだよ。でもこれからは気が強いだけではやっていけないよ。本当に、乞食にでもお辞儀をする気になって、子どもたちを立派な役者に仕立てておくれ。これがわたしの一生の願いだよ」

と言った。それから間もなくして、為は息を引き取った。

 海老蔵が亡くなった翌々月の為の死に、加納は二人の切っても切れない絆を見た気がした。海老蔵を失った為は脆かった。海老蔵も同様だったのではないかと加納は思った。悲しみと言いしれぬ感動を覚えながら、加納は泣き喚く子どもたちを抱き寄せ、為の願いは必ず叶えると心に誓った。


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