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『器と暮らす』

器が好きだ。

僕が好きなのは、飾るための器ではなく、実際に食材を盛り付けたりして使用することができる器だ。

考えてみると、器というのは不思議なもので、機能が色々とある。

よく意識されるのは「何かを盛る」機能。
そして、美術品として評価される場合の「見た目」の機能。
忘れがちなのは、例えば持ったときの重さや手触りが「触覚を刺激する」機能。
美しさとは別に、形や雰囲気が景色に与える影響、存在感みたいなものも、一つの機能と言えるかもしれない。

美術品としての評価をされる器の中には驚くほど高価なものがある。
高価なのだから飾られるだけの器かと思えば、格式の高い茶会で、茶器として普通に使われたりする。
器はその場に集った人の間で話題となり、人と人とをつなぐ機能を有することもある。
器自体の姿形が変わるわけではないのに…不思議だ。

対極にあるのは、百均やニ〇リにあるような器だろう。
清潔感があり、食べ物を盛りやすく、軽くて扱いやすい。電子レンジや食洗機にも対応しているものもあり、美術品的器に比べ、実用品としてはより有用。
なのに、価格は低い。
便利だから高いとは限らない。
そこから、器の価値は、実用品としての機能とはほとんど結びつきがないことがわかる。

作品としての器、という側面から考えてみると、用途があることが特徴であるように思える。
例えば、絵画にはこれといった用途は見当たらない。器なら、食べ物を持ったり、水分をためておくことが普通にできる。
用途があることは、一種の制約を生む。
「使える必要がある」ことを意識したときに生じる葛藤や制約に対してどう向き合うか。
そこに単純ではない多面的な美しさが生ずるのではないかと推測することができる。

こんな風に器が何であるかを考えると、それが何であるかわからなくなる不思議さが、器にはあると思う。

もっと素朴に考えてみよう。

器が与えてくれる体験は、絵画のそれに比べて、圧倒的に物質的だ。
だから、自然と五感を多方面で刺激する体験となる。
手のひらを通して感じる形や手触り、重さを通じて、

「何かがあるということ」「自分が存在するということ」

そんな実感を、生活の中にほんの少しだけ、与えてくれるような気がする。

もっと素朴に考えてみよう。

器のことを意識するのはどんな瞬間だろうか。
一番に思いつくのは、料理をするとき、食事をするときだろう。

料理をするとき、どの器に盛ろうかと考えることの楽しさは、お気に入りの器を持っている人は、きっと知っている。
それはほとんど毎日のことなのに、その都度、ほんの少しだけ「ときめき」とか「高揚感」みたいなものを与えてくれる(少し大げさかもしれない)。
これが、器と暮らす、ということなのだと思う。

器と暮らすことの幸せは、この町特有のものでは決してない。
けれど、その幸せは、目立たないものだからこそ、のんびりとした暮らしの中でないと感じにくい部分がある。
その意味で、この町の持つのんびりとした空気と、余白の多さは、器と暮らすことの幸せをとても感じやすくする。

人生に疲れたとき、人生を減速させたいと思ったとき。
皆様の生活に「お気に入りの器」を取り入れてみてはいかがでしょうか。
できることなら、煩わしい様々なものを手放して、器と暮らすことの幸せを感じられるような、余白のある場所や過ごし方も含めて。

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